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2008年02月02日

●橋下徹は、国家権力の犬か

 2月1日(金)の朝刊(『毎日新聞』)を見て驚いた。1面に「国政に異議言うべきではない 岩国市長選 応援で橋下氏」とあったからである。
 アメリカの空母艦載機部隊の移転をめぐり、06年に住民投票と市長選で反対派市長が当選。国は、報復として補助金を打ち切り。現反対派市長があらためて民意を問うとして辞職した。その市長選で、賛成派自民党の候補の応援に関わった橋下の発言である。
 橋下の意見としては、「国防における防衛政策に関して、自治体が法律上の手続きを使って異議をさしはさむべきではない」ということだそうだ。
 まあ、彼の奴隷根性はどうでもよい。彼の思想からして容易に想像できることである。問題は、「国の防衛政策に、地方は逆らうな」と、知事の立場から住民に押しつけている点にある。沖縄をはじめとして、米兵を受け入れる自治体において、米兵の不法・無法行為に苦しめられている現実を無視するつもりだろうか。米兵がおこす様々な犯罪について苦しめられているのは、日本だけではない。隣の韓国においても同じであるし、米軍が駐留しているすべての国で、住民が犠牲になっている。。
 住民が、地元において、安全で平和な暮らしを望むのは当然のことである。これは、国の国防政策においても同じことである。岩国市民の多数が移転に反対であれば、国はその住民の意思を最大限、尊重すべきである。
 さらに、橋下は言う。
 「(移転が)国政の現場で決定され負担を被る以上、利益や便益を国に主張すべきだ」 
 これを奴隷といわずして何というのか。国政の現場で決定されたことには従え。しかし、負担を強いられる分、お金をせびればよいというのであるから、許し難い。
 安全や安心、平和な暮らしというのは、金に換えられるものではない。米兵に強姦された女性や殺害された一般人など、世界中にたくさんいるが、いくらお金を積まれても、満足できるものにはならない。当然である。移転を受け入れ、国から何らかの利益や便益を得て、立派な集会場や施設などができても、まったく意味はない。住民にとって大切なことは、安心で安全な暮らしなのだ。

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2008年02月01日

●中国製“農薬ぎょうざ”事件について思う

 中国でつくられたギョウザを食べ、中毒で人が倒れるという、あってはならない事件が起きた。被害を受けた人は、一口食べて「苦い」と感じ、その後に嘔吐、気絶したというのだから、かなりの高濃度で含まれていたのだろう。
 さて、この“農薬ぎょうざ事件”問題の本質は、どこにあるのか。僕は、「中国製が問題である」というのは、本質を見誤る論点の立て方であると思う。重要なことは、日本における食料自給率の低さと長期にわたる不況および、そこからくる生活難が問題であると考える。

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2007年11月17日

●危機管理能力のない経営者~~船場吉兆

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 今、新聞やニュースでは、船場吉兆の話題が毎日取りざたされている。その前は、伊勢の赤福だった。もっと前は、ミートホープの偽装……。
 こうした報道を見るたびに、経営側はなぜもっと潔く責任を認め、改善に切り替えないのかという疑問しかわかない。経営者にとっては、もちろん適切な利益を上げるということも重要であるが、やはり問題が起こったときに、きっちりと説明し、問題があれば改善するということも重要な責任ではないのだろうか。
 ミートホープにしても、赤福にしても、そして船場吉兆にしても、問題発覚時に適当なウソをつきごまかし、矛盾をつかれると、また、ウソで塗り固める。そして、その間に問題がドンドン大きく、深刻化してしまうという悪循環に入ってしまっている。これでは、再建できる問題も、再建不可能にまで陥ってしまうことは明白である。
 もちろん、再建不可能になって、倒産したとして、経営者は良い。自分たちの責任を、自分でとるのだから。しかし、従業員はどうか? 責任をとる能力のない経営者の失敗につきあわされ、解雇や賃金を下げられては、どうしようもない。
 船場吉兆は、あろうことか、現場でもっともよく働いている、いわば会社の利益の源となっているとパート労働者に、「自分で賞味期限のシールを貼り替えた」という偽装の念書を書かせたという。とんでもない話だ。
 企業にとって、パート労働者というのは、やすく使える“都合のいい”働き手である。正社員とは、給与体系違えば、責任の度合いも全く違う。そのパート労働者に責任をなすりつけるなど、まったくもって許し難い。
 そもそも、経営陣が言うように、仮に“パート労働者がかってにおこなった”行為としても、現場の社員が責任をとるべきだろう。それが、社員の役割ではないのか。さらに、現場の社員すら責任をとれないようなものであれば、会社役員が責任をとる。当然のことである。そうした責任感の全くない、我が身の保身ばかりを考える船場吉兆の経営陣は、恥を知るべきである。さらに、恥ずかしいことに、責任逃れは、パート労働者に押しつけるだけでなく、取引先などにも責任を押しつけている。地鶏と銘打って売っていたものが実はブロイラーであった点に関し、社長は業者にだまされたというような発言をしている。しかし、この業者は、ブロイラー専門の業者であったそうである。では、老舗中の老舗である船場吉兆は、ブロイラー専門業者に“地鶏”を注文したのだろうか。ほんとうに恥ずかしい。
 さて、ミートホープにせよ、赤福にせよ、船場吉兆にせよ、なぜこんなに無責任が横行するのであろうか。
 ウソをついてごまかしても、そのウソをまたウソでごまかさないといけない事態が早晩やってくることは、明白であるし、そもそもウソというのは、どこまでいってもウソであって、真実になることはない。そんなことは、小学生高学年から中学生くらいになってくると、自然と分かってくるものである。はじめは、通用していたウソが次第に大きくなり重くなり、やがては自分のみを守るためのウソが自分の重荷になってくるということを。
 経営者は、少なからず社員やパートを抱え、その人たちの生活を支える給与を支払っているのだから、きっちりと責任をとってもらわないと困る。問題が発覚すれば、即、自汁関係を調査し、明らかにし、改善から再建へと動くべきである。

2007年11月02日

●好きなものを食べられるのは幸せなこと

 『毎日新聞』(10月31日付)の投稿「大食いのテレビ見て飢餓を思う」を読んで思う。
 投稿者は、82歳の女性である。彼女は、こういう。

 あられもなく大きな口を開けて、さも得意げに大量の高級食品をパクパクと食べているお嬢さん。いったいどのような学校・家庭教育を受けたのか考えさせられます。
 同じ年頃のころ、私たちはちょうど戦中、戦後で極めて厳しい日々を過ごしました。今、地球上では飢えている可哀そうな子供たちも大勢います。大食いの光景をテレビで見ると気分が悪くなります。

 この表現からすると、非難されているのは、ほぼ間違いなくギャル曽根こと曽根菜津子さんであろう。
 さて、以前、僕も曽根さんの大食いについては、ブログで書いた
 そもそも、僕は、この投稿者と同じような考えを持っていたし、今も持っている。母親からそう教わったからだ。お茶碗に、ご飯が一粒でもついていようものなら、「残さず食べなさい」と怒られた。「一粒の米には、8人の神さんがいる」とか「お百姓さんが一生懸命につくったものだから」「もったいない」といわれた。そのおかげで、今でも出されたものは、残さずに食べるくせがついている。カウンターしかないような赤提灯で、魚の煮物などを食べると、女将さんが皿を下げるときに「まあ、猫もびっくりやね」とうれしげにいわれることもあるくらい、残すのは嫌いである。
 したがって、曽根さんの名前は、ずいぶん前から聞いてはいたが、彼女がでている番組など、見ようとも思わなかったし見なかった。が、以前の記事にも書いたように、一度見てすっかりとファンになってしまった。
 その理由は、繰り返しになるが、その食べっぷりにある。
 かつての僕と、この投稿者は、大きな勘違いををしていると思うのだ。つまり、世界には飢えて死ぬ子どもも多い。そして、国内においても、餓死者は増加の一途をたどっている。しかし、問題は、大食いにあるのではけっしてない。問題は、あまりにも多くのものが捨てられているという点にある。
 さらに、曽根さんの食べっぷりに魅せられるファンが多いことは、彼女のブログを見ても分かるが、なぜ、人は彼女の食べっぷりに魅せられるのか。それは、食べるという行為が人の本能であり、本当に幸せそうに食べる彼女を見て、自分も擬似的に幸福感を味わっているのだと思うのである。
 投稿者は、自分の若い頃は食べられずに……という。僕の母親も、戦中・戦後は本当に食べ物には苦労したといっていた。だから、僕たち子供には、本当においしいものを食べさせてくれたし、しかし残すことは許さなかった。好きなものを腹一杯に食べることができる幸せは代え難いものである。
 僕は、曽根さんの食べっぷりを見ていて思うのは、食べることのできる幸せを彼女が本当に体現できている点にあると思うのである。食べることができない人がいるから大食いがいけないのではなく、むしろ食べることができない人がいるから、食べることのできる彼女は人を魅了するのではないかと思うのである。
 一度、投稿者を含め、曽根さんの食べっぷりに違和感を覚える人は、若い人がよく行くような居酒屋などに行ってみるといい。どれほど多くの若い人たちが、たくさんの食べ物を残しているか。僕の母や投稿者が若い頃に比べると、日本は確かに豊かになっている。だからこそ、多くの若い人たちは、外食に出かけては、食べたいものをたくさん注文しては、食べきれずにたくさん残しているのである。この現実こそ、問題にすべきではないだろうか。
 僕も、妻も食べることは大好きなので、よく外食に出かけるが、そのたびに大量の食べ残しが下げられていくのを見て、「もったいないなあ」と愚痴をこぼす。それこそ、「食べられない人がいるのに」なのだ。
 外食だけではない。コンビニなどで賞味期限を過ぎたおにぎりやお弁当がどれだけ廃棄されているか。大阪の日雇い労働者の街・釜が崎にいけば、賞味期限切れと思われるコンビニの弁当が、路頭で150円やら200円で売られている。十分に食べられるのに、捨てられている。これが現実の社会である。テレビで映し出されている世界など、いわば「架空」のものであり、問題は現実に廃棄され、処分されている食品の多さ、そしてそうしたものを生み出す、僕たち、この投稿者も含め、消費者にある
 かつての僕がそうであったように、曽根さんを非難する人の気持ちはよく分かる。しかし、問題は、たくさん食べるということにあるのではなく、たくさん捨てるということにあるのではないだろうか。そして、前向きに考えると、自分の好きな食べ物を好きなだけ食べられるというのは、本当はとても幸せなことなのだと思うのである。

2007年11月01日

●耳の不自由な人間は落語を聞いちゃいけないのか?

 落語とは、なんとすごい芸なんだろうかと、昨今の落語ブームの中で、よく考える。
 着物を着たひとりの人が、小さい机の前で正座し、話をするだけなのに、それが人間の喜びやおかしさ、悲しさなどを表現し、聞き手の中で大きくふくらませるのだから、本当におどろくべき芸である。
 たしかに、ほとんど動きもなく、派手さもない落語は、テレビの普及の中で一時漫才やコントにその活躍の場を失われつつあった。とくに大阪では、東京と違い、落語にふれる場というのは、急速に奪われていったと思う。しかし、大阪でも、ドラマ『タイガーアンドドラゴン』のヒットや天満宮の繁盛亭の落成によって確実に落語が大きな娯楽へと成長しつつある。
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 そうした落語復権のなか、三笑亭夢之助という落語家が、島根県安来市主催の敬老会での独演会で、自分の落語を手話通訳している人に対し、
「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」
「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、皆さんも散りますよね」

 といい、手話通訳者を舞台からおろしたというのだから、とんでもない差別事象である。
 まず、第一に落語は話し言葉なので手話に変えられないとは、なんという傲慢さであろうか。たとえば、自分が年をとって、あるいは病気などで耳が不自由になったときのことを想像してみるといい。知りたいと思っている人間に対し、「いや、これは話し言葉だから良いのであって、手話で表現できない。だからあなたにはムリなのだ」といわれたら、どうだろうか。暗澹たる気持ちになる。
 さらに、大半の人間は耳が聞こえるから手話は必要ないという表現もひどい。ひどすぎる。自分は、耳も聞こえる“多数者”であるからこういう人を傷つける発言ができるのであろう。“少数者”は排除していいのだろうか。こういう“多数者”意識というのは、どうすれば持つことができるのだろうか。きわめて疑問に感じる。しかも、この場は敬老会であり、耳の不自由な人も多いはずであり、いろいろな意味で人生の先輩に対して、配慮すべき場であるはずなのだ。
 また、最悪なのは、こうした自分の差別意識を落語を楽しみにきた客に押しつけ、同意を求めている点である。差別の煽動である。絶対に許すことができない。
 芸人とは、人を楽しませるために仕事をしているのではないのだろうか。それなのに、耳の聞こえない人を排除し、それを客に押しつけ、いやな思いをさせるとは、すでに芸人ではない。当然のことであるが、「手話通訳がつくので夢之助さんの落語を楽しめると期待していたのに」という耳の不自由な人もいたという。『毎日新聞』(10月31日付)
 この夢之助という人は、落語をどう考えているのだろうか。耳の不自由な人には必要のない、“健常者”だけが楽しめばよい娯楽だとおもっているのだろうか。あるいは、手話通訳者がいるだけで、落語がやりにくいほど夢之助という落語家は噺が下手なのか。手話通訳を通じて、自分の噺が面白いと感じる耳の不自由な人をファンにさせようという気持ちはまったくなかったのか。
 いずれにせよ、こんな人は、芸人であると僕は、絶対に認めたくはない。
 なお、昨年、この安来市主催の敬老会には、宮川大助・花子さんを招き、漫才を披露したそうである。そのとき、花子さんは手話通訳者に「ありがとう」といったそうである。宮川花子さんがどういう意味で手話通訳者に感謝の意をのべたのかは分からないが、僕がもし芸人だったとすると、やはり“自分の芸を耳の不自由な人にも分かるように伝えてくれてありがとう”と思うだろう。

 ※なお、「くまさんの自立」さんのブログで、三笑亭夢之助という人物の品性が語られている。

2007年10月26日

●これは一種のセクハラでは?


 昔から、よく思っていたのだが、電車の中でスポーツ新聞のポルノ記事やセックス記事を広げて読むのは、恥ずかしいことではないだろうか。
 ポルノが悪いと言っているんではない。人前で読んだり、見たりするものではなく、1人でコッソリ見るというのが、“正しい”見方なんじゃないかと思うのだ。
 さらに、見たくもないのに「○○、レイプ」などという見出しを見せられるのは、不愉快きわまりない。
 世間の女性は、どう感じているのだろうか。あるいは、スポーツ紙のセックス記事を読むオヤジを、自分の子どもが見ることは不快ではないだろうか。
 さらに、学校教育において、正しい性知識を学ばせる性教育にたいして過剰に反応する部類の人たちは、公共の場で広げられているセックス記事やポルノ記事や写真など“有害な”ものにはほとんど反応していないように見えるが、これも理解できない。
 まあ、性教育に過剰反応する部類の人たちは、日教組や全教が諸悪の根源のように考える方が多いように見受けられるが、日教組や全教にそんな強力な影響などあるはずもなく、公共にポルノをばらまいているのは、フジサンケイグループが発行する「夕刊フジ」や「サンスポ」だったりするから、不思議なものだ。
 ちなみに、中学生の頃、親に隠れて買うスポーツ紙は必ず「サンスポ」だったσ(^-^;) スポーツ記事しか載せない「日刊スポーツ」などは、決して買わなかった。。。

2007年10月21日

●1600円の過払い返還

■納税の確認について

 この間、会社の経理課から電話があった。なんでも、H17年度の年末調整において、連れあいの収入の申告額に過ちがあったので、年末調整で過払い分を納めよというものであった。
 聞くところによると、年収にして10万円ほど、“過小申告”しており、過払い分1600円を税務署に納めよということである。原因は、たぶん妻がパートでつとめる会社が交通費を含め、僕が交通費を抜いて申告したのが、月額にしておよそ9000円ほどの差を生んだのだろう。いずれにせよ、確認はしていないし、給与明細なども処分しているので、税務署の調査が正しければ、僕は“脱税”していたことになるので、来月分の僕の給与から天引きで税務署へ1600円を支払うよう、経理課に頼んでおいた。
 さて、それにしてもなんとも解せない点がある。それは、1600円を納めよといわれたことではない。僕の行った申告が誤っていたならば、訂正されるのは当然である。解せないのは感情的なものである。
 夫婦2人で働いて、裕福ではないが、とりあえず暮らしていける生活をしている世帯の年収10万円の誤差を見つけ出し、1600円の過払い分を戻せという事務処理は何なのかという感情的な疑問なのだ。
 僕は、以前から書いているように、つい2年前にフリーター生活から足を洗い、正社員になったのだが、入社してわずか2年で満足な給与がもらえるはずもない。たぶん、同年代の公務員は、僕の年収の2倍以上はもらっているのではないだろうか。そう考えると、その税務署員は時給にして3000円くらいの報酬は取っていることになる。僕の申告の誤りを1時間かけて発見したとするならば、彼は3000円の報酬を取って、1600円分の仕事をしたことになり、コストを考えると最低でも1400円の“税金のムダづかい”をしているのではないかと思うのである。
 何度も、繰り返すが、誤りは正さないといけない。脱税はいけない。が、1600円の年末調整の払いすぎに対して、3000円以上コストをかけて、取り戻すというのは、いったいいかがなものなのだろうか。疑問に思えてならない。
 話は変わるが、この間、NHKの『クローズアップ現代』をみた。「船出はしたけれど
~郵政新会社の課題~」という特集で、郵政民営化における新たな問題点がテーマである。正確に言えば、郵政会社が上場するにあたって、上場基準を満たさないといけないわけだが、監査法人が入ると一般企業ではありえない問題点が出てきているというのである。
 全国に散らばる郵貯のATMの保守・管理を、郵政OBのいわゆるファミリー企業が牛耳っているというのだ。その取引額は、年間50億円。大変な額である。しかも、ひどいことに、この会社には、従業員がほとんどおらず、実際の業務はすべて丸投げで他の会社がやっているという。
 つまり、このATMの保守・管理を行うという郵政OBの企業は、郵政から受けた仕事をそのまま別会社に振るだけで巨額の利益を得ているのだ。この利益の源泉は、税金であり、郵貯利用者が本来受けるべき利潤である。それを、このOB企業は、何もせず巨額な売り上げを上げるのである。
 また、全国の特定郵便局の家賃が近隣同種の物件に比べ、平均にして30%ほど高いということも上げられていた。このこともまったく不可解きわまりない。特定郵便局長会の会長だったかがでて、家賃が高いのは郵便局舎の窓やフェンスは特注のものであって、コストが高くつくからだ、と説明していたが、説明になっていない。特注であるので建設費が30%高くなるというのなら分かるが、なぜ家賃が3割も高くなるのか。月づきの家賃が3割も高くなるほど、局舎の管理・維持費に金がかかるというのだろうか。
 いずれにせよ、一般企業ではありえない高コスト状況、無駄遣いが行われているのは事実であり、それは本来ならば、国民や郵貯利用者が得なければならない利益であることはまちがいない。
 さて、月9000円ほどの申告漏れにたいする調査がおこなわれ、その一方では郵政ファミリー企業への数十億円という利益供与や特定郵便局への破格の優遇がおこなわれている現実を見ると、ますます1600円の過払い分を支払えと言う“正当な”要求が疑問に思えてならない。

2007年09月26日

●ケータイの通信費

 最近、携帯電話のキャリアを変えた。それまで使っていたツーカーホンがいよいよ停波されるからだ。
 以前の記事にも書いたが、通信費ごときに、何千円も使うのは、僕にとっては、とてももったいなく思え、受け専用でロングプリケーを使っていた。完全に受け専なら、月300円ほどで持てる計算だが、実際にはメールを多用してたので、月800円くらいにはなっていた。それでも、他のケータイからすると破格値で持てた。
 そのロングプリケーも使えなくなるので、どうしようかと悩んでいたのだが、auが基本料半額のプラン(誰でも半額)を出したので、ついに乗り換えてしまった。
 プリケーは、90ヵ月ほど使っていて、機種変更も4年ぶりくらいだったので、新しいau携帯を持った時には、まさに浦島太郎状態。
 2GBのメモリーを入れているので、以前のケータイとは比べものにならない高画質の写真が、しかも大量に撮れる。さらに、ボイスレコーダとしても、使えるし、動画も結構面白い。

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2007年09月07日

●原発の定期検査期間の延長


 経済産業省は、これまで13ヶ月ごとにおこなわれてきた原子力発電所の定期検査を、2年ごとに延長しようとしているらしい。
 検査回数を減らせば、原発が稼働している時間を増やすことができ、より多くの発電量を確保、二酸化炭素排出量の削減につながるというのが、その“大義”らしい。
 しかし、原発はその他一般の発電所や工場などとは、同じように考えることのできない、極めて危険性の高いものである。
 まず、第1に放射能の安全性の問題がある。ひとたび事故が起こったさいには、人的被害は想像を超えるものとなる可能性がある。
 次に、その被害は1代ではおわらず、直接に被曝した人の子や孫にまで及ぶ可能性がある。
 僕の知り合いの女性で、十年おきくらいにガンを発症し、手術をくりかえしてきた人がいるのだが、彼女は自分は長生きできないと、常々言っている。理由は、また自分の体のどこかでガンが発症するかわからない、父親をガンで亡くしているからである。
 彼女の祖父は、広島で被爆しており、その影響を、ある種の“運命”のように考えているのだ。
 放射線は、遺伝子を破壊する。破壊された遺伝子が、子や孫に引き継がれた場合、二次被害、三次被害と数十年にわたる被害の可能性があるのだ。
 第3には、放射能が空気中に漏れた場合、被曝の可能性が周辺諸国に及ぶことも、十分に考慮しなければならないだろう。
 1986年に起きたチェルノブイリ原発の事故は、重要な教訓である。放射能は、偏西風にのって、世界を一周する。
 さて、原発一般の危険性だけ考えても、慎重には慎重を重ねて、少々ナーバスなくらいの方が良いのでは、と僕は思うのだが、さらに考えないといけない問題がある。
 それは、原発施設の建て替え問題である。コンクリートの寿命はいうにいおよばず、被曝し続けている施設の耐久性、老化の問題である。
 原子力発電所の建て替えなど、果たしてリアルな問題としてあり得るのだろうか。
 ただでさえ、低レベル廃棄物の処分場がないのに、巨大な“核のゴミ”と化した老築化した原子力発電所を安全に解体し処分できるとは思えない
 1基当たり世界最高の発電能力を持つ柏崎刈羽原発が、地震の被害を受け、白々しくも政府やマスコミは“想定外の規模”と、責任は「自然の力」であるかのように喧伝しているが、活断層の危険性は以前から指摘されていた。柏崎沖の活断層については、存在がわからなかったのでは決してなく、単に調査しなかっただけである。百歩譲って、活断層の存在が知られていなかったとしても、今回被災した柏崎刈羽原発が“砂州”の上に建設されている事実は知らなかったとは言えないだろう。なぜなら、地盤の弱い砂州の上に無理やり建設された柏崎原発の基礎はかなり深くまで打ち込んでいるからである。
 活断層の存在の疑いがあっても隠し、地盤の弱い砂州の上に建設していることも隠し、ただひたすら原発の必要性と安全性のみを誇張し、建設された原発が被災したら“想定外”などと逃げる政府がいう安全性など、まったく信用することができない。
 ましてや、これまで13ヶ月ごとに検査してきたものを、24ヶ月ごとに延長するなど、絶対に認めることなどできない。
 24時間、コンビニやスーパーマーケットが空いている“便利な社会”を目指すのであれば、原発とそのリスクは負わねばならないだろうし、子や孫にまで継がれているリスクをなくしたいのであれば、少々不便でも安心して暮らせる社会を目指さねばならないだろう。今、真剣に考えていかないのではないかと思う。

2007年09月05日

●橋下徹氏は弁護士にふさわしいか

 大阪弁護士会所属の橋下徹弁護士がテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の被告(26)弁護団に対する懲戒請求を扇動したとして、このうち今枝仁弁護士ら4人が3日、橋下弁護士を相手に、1人当たり300万円の損害賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。
 訴状などによると、橋下弁護士は5月27日に西日本を中心に放送された民放番組の中で、同弁護団の弁護活動に触れ、「もし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求掛けてもらいたい」などと発言し、視聴者を扇動した。
 差し戻し審の弁護団に対する懲戒請求はそれまで1件もなかったが、放映後、今枝弁護士ら4人それぞれに300件を超える請求が広島弁護士会に届いた。このため、弁明書や資料の提出などの負担を強いられ、弁護活動に不当な重圧を受けたなどと主張している。
橋下弁護士を提訴=テレビで「懲戒を扇動」-光市母子殺害差し戻し審で・広島

 山口県光市・母子殺害事件関連で、橋下徹氏が弁護士4人から訴えられた
 この事件は、発生後、すでに8年もの時間が経過しているが、その残虐さから、それほどの時間が経っているようには思えない。
 その上で、被告人の弁護士が、犯罪の背景には「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」があったと主張し、被告人を弁護するためとはいえ、あまりにもひどいのではないかと、今でも思っている。
 弁護士・橋下氏は、この弁護団の主張に「弁護士というのはこんなふざけた主張をするものなんだと印象付けた今回の活動は、完全に懲戒事由にあたる」とし、テレビ番組では、「もし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」などとマスコミを使って扇動したそうだ。
 僕は、弁護士というのは、法律にのっとって、依頼者の利益を守る者であると考えている。したがって、依頼者の犯罪や行為が、どんなに許せないないものであっても、法律に基づいて、弁護活動を行うべきである。ある意味、自己を殺さないとできない仕事であり、葛藤も多いだろうなあなどと勝手な想像もしている。
 さて、この橋下氏の発言に強い違和感を持つ理由は2点ある。
 一つは、法律に忠実にのっとって活動する弁護士としての資質である。
 被告の弁護人の主張を“こんなふざけた”などと私情を感情的に露わにしているが、こんな人物に弁護士が務まるのだろうか?
 彼の得意とする分野が何か知らないが、例えば、彼に離婚訴訟の弁護を依頼したところ、「そんなことしてたんじゃあ、奥さんから、離婚請求されても仕方ないわ。」などと、彼の私情が挟まれるんではと思ってならない。法にのっとって、依頼者の利益を守るということは、大変なことである。弁護士は、依頼者が、酒クセが悪く、浮気をし、暴力夫であっても、法律に基づき、しっかり弁護しなければならない。どれだけ極悪非道な犯罪者であっても、弁護人は弁護に徹底すべきであり、世論から大きな非難を受けようが貫かないといけないだろう。それなのに、世論に迎合し、さらに煽るなど、弁護士としての資質に大きな疑問を感じざるをえない。
 二つに、法律とは権力の暴走を一定程度抑制する作用をするものであり、権力者は常に自らの都合のいいように法律を変えようとする。
 対して、権力を持たない庶民は、代議士や弁護士を通じ、自らの身を守るしかすべはない。
 橋下氏は、テレビで見る限り、彼のその下品な芸風に目はつぶっても、明らかに権力者サイドのものの考え方をする人物である。
 権力者サイドの考え方を持つのは勝手なのだが、問題は権力をカサに着て、マスコミ=テレビという公共の電波を使って、大衆を扇動する点は極めて危険である点である。
 彼の発言やブログの記事を読んでも、知性のカケラもみられないので、“テレビに露出する芸能人の責任”と言ったところで、橋下氏が理解できるとは思えないのだが、光・母子殺害事件に対して、その弁護士に自らの“正義感”を“示す”前にやるべきことは、山ほどあるのではないだろうか。
 大阪府下、最難関といえる高校に入学し、弁護士になった人間の“使命”が、テレビ番組で粗野で下品な芸風を披露し、一殺人事件を興味本位的に煽りたてるだけでは、あまりにもお粗末だ。
 本業であると思われる弁護士など廃業してしまい、タイタン所属の芸能人としてやっていくのが良いのではないだろうか。
▼橋下徹・大阪府知事(確定) 就任前から公約撤回
▼橋下徹は、国家権力の犬か
▼橋下徹・大阪府知事には、なにもしないことを望む
▼橋下徹氏は弁護士にふさわしいか

2007年09月04日

●少しは暮らし本位の政治を志すか

 国民の生活を無視し続け、安心や豊さのカケラにもならない「美しい国」やら「憲法改正」などにこだわり続けてきた我が安倍首相。
 参院選での自民党大敗北という結果を受けて、ようやく“政治”をやろうとしているらしい。
 発展めざましいインドに赴き、インド国会で官僚の作文を、例のかん高い声で朗読したようだ。
 日本国の優秀な官僚は、首相演説の原稿に“拍手を待つ間”を入れてくれた。安倍首相は、官僚の配慮に感謝しつつ、原稿通りに拍手を待つ“間”を朗読中に入れるも、間を入れるだけ拍手はなかったようだ。『毎日新聞』(8月23日)
 我が安倍首相は、「自分の朗読はインド国会議員に大きな支持を得た。だから、インドとの外交を進めていくのは使命である」と思っているかもしれない。
 しかし、政治というのは理念やイデオロギーだけでおこなわれるものではない。理念の正しさが必要であることは当然のことながら、反対意見などを受け入れ、その上で政策を推し進めていく力が必要である。また、同時にそうしたリーダーシップが発揮できるのは、政治責任がとれる人物に限られる。責任のとれない人間の言うことなど信用はできない。「言うは易し」なのだ。
 安倍首相は、与党敗北の責任をとらず、今なお涼しい顔をして権力のイスにしがみついているが、インド国会議員にしてみれば、そんな責任義務を果たすことができない人物の朗読など聞くに値しないだろう。
 安倍首相と、安倍を党総裁として奉り続ける自民党が、どれだけ存在し続けるかが、日本の民主主義度をはかる格好のバロメーターになるだろう。

2007年08月19日

●官僚を使えない安倍内閣

 防衛省人事が“痛み分け”で解決した。しかし、これを解決と言っていいのだろうか?
 公務員とは、国の最高法規である日本国憲法第15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と明確化してある。いわゆる“公僕”である。その公務員が防衛相の人事を覆がえすべく官邸に押しかけ、行政の長である首相に直訴するなどおこがましいにもほどがある。
 というか、問題の本質は、守屋武昌氏の“力”というより、小池防衛相の力量不足、安倍首相の指導力不足にある。
 会社をはじめ、多くの組織に共通していえることだろうが、トップになったからエライというのではない。よそからトップが来ても、力がなければ、部下はついてこないし、それどころか頭の上を通り過ぎることさえある。当然のことだろう。力のない上司に従うほどイライラすることはないし、それはみすみす自分の評価を下げてしまうことにもなりかねない。
 『毎日新聞』によると、一官僚が官邸を巻き込むほどの力を持つにいたったのは、小泉劇場内閣において、官僚に丸投げしたせいであると分析している。
 小泉首相は、官僚から政治を政治家へと高々とスローガンを掲げたが、彼が得意とする「郵政」以外は、ほとんどふれることはできず、あとは威勢のいい言葉で誤魔化していたにすぎない。日米の防衛政策の中で、小泉氏がブッシュの前で踊りを披露し、守屋氏が力をつけていったというのが本質であるようだ。
 わが安倍首相も、小泉に負けず劣らず、中身がない、、、もとい政策に弱いため、力のある官僚の言いなりになったというのが本当のことだろう。
 そもそも、安倍首相が組閣する内閣の人事において、国民あるいは国内に暮らす外国人が安心できる者が1人でもいたのだろうか。悲しい限りである。これが、日本の政治の実情なのだろう。

 P.S. ところで、小泉・安倍と軽め首相が公然と指示する靖国神社参拝が、参院選自民惨敗の後、あっとうてきに減ったのだが、これは真の愛国主義者・国粋主義者の方々はどう見ているのだろうか。靖国参拝問題など、この程度のものなのだろうか(汗

2007年08月08日

●格差の有無の論議などおとぎ話のように生ぬるい

 毎週買っているわけではないが、ときどき買う雑誌に『週刊アスキー』がある。
 その8月14日号の神足祐司氏のコラム「Scene2007」に
 

“格差社会の有無なんて、おとぎ話みたいに生ぬるい。実際には何百万という若者が、生活を続けられるかどうかの瀬戸際にある。ネットカフェ難民。ワンコールワーカー。ある労働者団体の幹部は「トラックの荷台がケータイに、木賃宿がネットカフェに変わっただけ」と言った。それでも、昔の口入れヤクザは1割しかハネなかったと。今の派遣は5割ハネられる。”

 格差があるかないか、広がっているかどうかという議論が未だにある。神足氏は、“生活続けられるかどうかの瀬戸際”の若者が存在している中では、格差社会があるかないかの論議など、まるでおとぎ話のように生ぬるい話だと弾劾している。
 まったくその通りだろう。年収300万の人間と年収1億の人間がいるという“格差”の問題など、すでに通りこしてしまっているのだ。今や、米国並みに貧困にあえぐ人々が出てきている。
 僕は、つい数年前までフリーターだったので思うのだが、30台前半くらいであれば、なんとか食っていけると感じる。しかし、30台も後半になってくると、体力的にもきつくなり、頭脳も弱くなり新しいことへの対応もきつくなる。また、人生が70年とすると、折り返し地点でもあり、将来を考えるとやはり不安を感じる。
 小泉改革によって、規制緩和が進み、労働者の“カンバン方式”ともいえる派遣労働者、非正規雇用の労働者が増えている。今、ネットカフェ難民だとかワンコールワーカーなどと呼ばれる若者が、10年後、あるいは20年後どのように暮らしているのだろうか。もちろん、自分の生活の足下も、かなり怪しげであり、こんな不安定な社会はなんとか変革しないと、ますます社会が歪んでいくように思えてならない。
 

2007年08月06日

●病む社会を感じる

 最近、ほんとに仕事がつらい。どうも会社は、今年中にも上場するらしい。上場企業に“ふさわしい”社内環境にするため、重箱の隅をつつくような“雑務”が増えた。
 それと反比例するように、売上を伸ばすために、給与を抑えている。まさに、一労働者にとっては、踏んだりけったりという状況である。
 さて、8月1日、PL花火大会の影響か、終電間際の電車にも多くの人がのっていた。そのなかで、かなり泥酔しきって、前後左右も分からないサラリーマンが乗ってきた。年齢は30台後半か、中肉中背のサラリーマンである。
 彼は、立ってるのも精いっぱい、盛んに電車に床に唾をはき、床はベトベト。チャックは全開でシャツが大きく出ていたので、不幸中の幸い(汗)でみたくないものは見えなかったが、不愉快極まりなかった。
 僕にとって、イヤだったのは混んでる車内で、ゲロをかけられること。できるだけ目を合わさないようにしながら、用心していた。

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2007年08月03日

●安倍首相の“使命”

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 『毎日新聞』(7月31日つけ)で、安倍首相が辞任しない、そして与党内から辞任論がわかないのは「自由で民主的な風土」がないからか、だとすれば党名を変更せよという、変わった記事が載った。
 自民党=自由民主党に、自由で民主的な風土などあったことがあるのだろうか。小泉劇場政治で議会の圧倒的多数をとった自民党は、問題発言を続け、横暴の限りを尽くしてきたのは、そういうことなのだろうと理解してきた。
 そもそも、党名の由来である「自由で民主主義」とは、国民のためのものではないだろう。自民党は、大企業の利益を代弁する政党であり、企業が金もうけをする自由と、企業活動の“民主主義”を担保する政党ではないのか。
 それは、通称村上ファンドの村上が記者会見で「金もうけをすることが悪いことなのか!」と毒気をついたことをみれば、明らかである。そこには、モラルや道義など、一片のかけらもなく、あるのは金もうけの“自由と民主主義”なのだ。
 ほんとうに、民主主義が根付いているならば、国政選挙で国民の支持を得られないと分かった時点で、政権を明け渡すだろう。なぜなら、主権は自民党にあるわけではなく、天皇にあるわけでもない。国民にあるのだ。日本国剣法にはそう書いてある。国民の信を問えない政党に、政権を担う権利も義務もないはずなのだ。
 安倍晋三は、参院選で自民敗北が決定した記者会見で「使命をまっとうする」などと言っていたが、思わず連れあいと笑ってしまった。
 首相の権力は国民の支持に由来するものであり、それが国民からの“命”なのであって、その“命”をまっとうするのが使命なのではないだろうか。国民が安倍内閣および安倍自民党を見限った時点で、安部が首相である正当性はない。
 にもかかわらず、安部さんは、いったい誰から“使命”を受けているのだろうか。この時点で、彼に民主主義のかけらも、国民主権を尊重する気持ちもないことがわかる。これが、自由民主党の総裁であり、有数の経済大国・ニッポンの首相の現状なのだ。
 “政治3流”の悲しきわが祖国の現実を、何度も確認してしまう。本当に悲しいことだ。

 ※画像は、「とりあえずガスパーチョ」さんのサイトから

2007年07月30日

●安倍総裁、続投。がんばれ!

 自民党が歴史的敗北をした。かつて、土井社会党が圧勝したときのような爽快な気分。
 安倍内閣は、その発足当時から、多くの問題を抱えていた。
 まず、安倍の思想のなさ。それは、著書『美しい国へ』で書かれているように、まったく無内容かつ、そこに書かれている牧歌的情景は“大草原の小さな家”に代表される欧米の風景であり、日本のイメージではない。
 つぎに、内閣の顔ぶれの悪さ。
 尾身財務相は、なんと衆院議員当選8回というベテランにして、安倍から任命を受け財務相になってはじめて、「国と地方の財政状況を知り、驚いた」と発言。こういう人が国の財布をあずかる重責を担えるのかと疑問を感じざるえなかった。
 また、東の鈴木宗男、西の松岡利勝といわれる“有名”な恫喝政治家を農水相に任命した。あろうことか、国政の任務を放棄し、自死するというトンデモ農水相である。僕は、死者にむち打つのは、好きではないが、農林水産政治は、ただ日本国民のみの問題ではなく、環境問題や水産資源、動植物の保護などを含め、国際的にも大切なものである。それを、投げ出して、“死”によって“責任”を果たそうとするような者を内閣に入れるなんて、まったくとんでもない。
 あるいは、本間税調会長の愛人問題、久間防衛相による“原爆しょうがない”発言、そもそも久間という人物は質が悪いのは以前から見えていた。
 さらに、安倍政権の強引な手法も大問題である。強行採決に次ぐ、強行採決。これは、民主主義でも自由主義でもない。数による独裁である。
 安倍内閣の問題点は、らんきーブログさんの『安倍晋三政権のまとめ』に整理されているので、譲りたいが、こうした問題を様々に含みながら、人々の格差は増大し、働いても働いても食べていけない社会のあり方、都市部と地方の格差の増大など、選挙民の多くは怒っている。

 さて、こうした国民に怒りを受け、当の安倍首相、安倍総裁は、“責任は、自分にある。だからこそ、使命をまっとうするために続投する”と宣言した。
 僕は、国会議員、あるいは首相をはじめ内閣の人間の使命とは、国民の“選挙による信託”を受け成り立つものだと思っている。が、安倍氏は、国民の多くが安倍政権を否定したにもかかわらず、“使命”をまっとうすると決意表明をしている。
 えらい!!!
 ぜひ、その調子で衆議院選挙まで、首相でいてほしい。
 安倍総裁は、党内の異論をバッタバッタとなぎ倒し、自分の続投に反対する“抵抗勢力”をやっつけてもらいたい。
 安倍内閣、発足以来、こんなに応援する気持ちになったのは、初めてだ。がんばれ、安倍晋三! ファイトだ、安倍晋三! どんなに国民から支持されなくても、“使命”なるものを貫いてほしい。

2006年12月24日

●政府税調会長・ほんま辞任

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 政府税制調査会長の本間正明氏が、辞任した。
 本間氏は、「(公務員宿舎は)世の中では通用しない」などと発言し、安い公務員宿舎の売却などを促す報告書をまとめながら、みずからその“格安”公務員宿舎に、公務員でないにもかかわらず居住して、その恩恵を受けていたというのだから、もはやブラックジョークとしか思えない。さらに、その住まいには、妻とは異なる女性と暮らしていたというから、驚きを通り越して笑うしかない。
 僕は、公務員のみならず、企業は従業員の生活を保障するという意味において、住居手当や宿舎などを用意すべきだと考えている。したがって、「公務員ばかりがいい思いをして、、、」といういい方は間違えで、むしろ、世界でトップクラスの経済大国日本の企業の民間企業の福利厚生は、なぜこうも薄いのかという論議が必要であると思っている。そうした側面からも、本間氏の公務員宿舎が安いことに対して「民間では通用しない」といういい方には、非常に憤りを覚える。
 しかし、本間氏が“小さな政府”を目指して、安い公務員宿舎を廃止し、民間並みの薄い福利厚生を訴えながら、みずからはその恩恵を受けるという点はまったく納得できない。しかも、法的に問題かどうかはともかく、公務員宿舎が公務員の公務のためにつくられたという意図からすると、本間氏が公務員宿舎に暮らしていることは、まったく道理にあわない。
 さらに、ひどいことに、その宿舎に愛人と暮らしているというのだから、言語道断である。正妻と暮らさないことや正妻以外の女性と暮らすことが、一般的にいって良いか悪いかについては、それぞれの家庭の事情などがあるので、どうでもよい。
 しかし、1億5000万国民と何百万人という日本に暮らす外国人にとって税制は、生活を左右する重大事項であり、そうした人物が正妻をもちながら、愛人と暮らすなどというのは、やはり問題があるといわざるをえない。
 安倍首相は、教育基本法を改正したが、こうした教育上よくない人物を政府の要職に登用したことに対して、どうも思わないのだろうか。また、一方で公務員宿舎は売却すべしといいつつ、その恩恵を受けるという破廉恥な人物が税制調査会の会長を務めるような国が“美しい国”であると思っているのだろうか。
 先日、50年後に日本の人口は1億人を切るというニュースがあったが、こんな国に愛想をつかして海外に脱出人々でいっぱいになるんじゃないだろうか。50年後には、日本は腐敗と不誠実な人間ばかりの人口5000万人くらいの国になっていたりして。。。
 いずれにせよ、この国の指導者は本当に恥ずかしい。この国に生まれたことを誇りに思うどころか、悔しくてならない。

2006年12月21日

●自民党への巨額融資

 03年春に、税金から2兆円もつぎ込まれ、“破たん”を免れたりそな銀行が、それ以降、自民党への“融資”を急増させていると、『日刊ゲンダイ』で暴露されている。
 記事のよると、りそな銀行の自民党への融資残高は、02年で4億7500万円だったものが、りそな救済の03年には24億2500面円と5倍に増加、04年には49億円、05年には58億7500万円と、わずか2年の間に11倍も融資額を増やしている。
 そもそも、破たん寸前で、2兆円という多額の税金をつぎ込んで、生きも絶え絶えの銀行が60億円も自民党に貸し出すことができるのは異様である。なぜなら、自民党は、企業ではないからである。
 売上を伸ばしている企業に多額の融資をするのであれば、理屈もわかるが、政党に多額の融資がおこなえるなど、考えられない。自民党への融資の担保は、自民党本部だそうだが、土地は国有なので担保としての価値は存在しない。では、建物に58億円以上の価値があるのか? 老築化したコンクリートの建物にそんな価値があるとは思えない。
 つまり、自民党は、政権与党であるために、税金を利用し、りそな銀行を救済、りそな銀行は、そのお返しとして、一政党に過ぎない自由民主党へ多額の融資をおこなったとしか思えない。そして、自民党が政権政党として、りそな銀行へ費やした血税2兆円は帰ってこない。この2兆は、国の予算であるので、一政党である自民党は、返済されなくても痛くないばかりか、58億円以上もの融資という恩恵を受けることができるのである。
 これは、巨大な不正システムではないのだろうか。ワイロであるとか、私物化であるというレベルをはるかに超える巨悪であるとしかいいようがない。

 りそな銀行が実質国有化された03年以降、自民党への融資を急増させていることが分かった。02年の融資残高は4億7500万円だったが03年は24億2500万円。04年は49億円、05年は58億7500万円。アッという間に10倍に膨れ上がったことになる。
 「こりゃなんだ!」という話ではないか。りそな銀は03年春に2兆円もの税金が投入された。
  『日刊ゲンダイ』12月20日
2006年12月18日

●自民党は、外資から政治資金を受けるのか

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 『日刊ゲンダイ』12月16日付けで、政治資金規制法が改正されたことを報じている。
 改正内容は、
 「外資比率50%超の企業でも、5年以上株式上場していれば政治献金をしてもいい」
 という内容である。
 問題は、外国企業であっても、5年以上日本国において株式上場しておれば、政治資金が許されるという点である。
 最初に断っておくと、僕は、自民党は資本家階級の利害を守る政党であり、そういう意味では、日本企業から多額の献金を受け、その利害を守るために動こうが、米英仏あるいは中韓などの企業から献金を受け、それらの企業の利害を守ろうと動こうが、どうでもいい。
 僕にとって重大なことは、まじめに働き生活する庶民の生活を守る政党の政策である。したがって、自民党が、米英仏露や中韓の企業から多額の政治資金を受け、それら企業の利害を優先しようと、日本企業から多額の資金を受け、それら資本の利害のための政治をおこなおうが、ほとんど違いは感じない。
 ただ、問題なのは、いわゆる愛国主義者を自認する安倍首相以下、多くのそうそうたる人々が、この「買国奴」的な改正をよくしたものだということである。
 愛国主義的人間を形成するために教育基本法が改正されたが、それをつくった人間みずから外資に国を売るようなことをしていることには、違和感を感じざるをえない。
 いわゆる『新しい教科書』(扶桑社刊)を支持した人たちは、日本帝国主義の侵略戦争の犠牲者となった中国や韓国の人々の反発に、“内政干渉だ”といっていたが、直接的に政権政党である自民党に政治資金をし、他国の資本の有利になるように働きかけることのできる、今回の改正の方が、はるかに“内政干渉”であるように思うが、いかがなものだろう。
 まあ、新しい歴史教科書をつくる会にしても、勝共連合などの「外資」や「キリストの幕屋」などといういかがわしい特定の宗教団体などの動員でなされたものであろうから、今回の政治資金規制法改正など、どうでもよいのだろうけれど(笑

※参考サイト
保坂展人のどこどこ日記「政治資金規正法「外資規制」を解除に唖然 」
※※画像は、とりあえずガスパーチョさんのサイトより。