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2008年02月02日

●橋下徹は、国家権力の犬か

 2月1日(金)の朝刊(『毎日新聞』)を見て驚いた。1面に「国政に異議言うべきではない 岩国市長選 応援で橋下氏」とあったからである。
 アメリカの空母艦載機部隊の移転をめぐり、06年に住民投票と市長選で反対派市長が当選。国は、報復として補助金を打ち切り。現反対派市長があらためて民意を問うとして辞職した。その市長選で、賛成派自民党の候補の応援に関わった橋下の発言である。
 橋下の意見としては、「国防における防衛政策に関して、自治体が法律上の手続きを使って異議をさしはさむべきではない」ということだそうだ。
 まあ、彼の奴隷根性はどうでもよい。彼の思想からして容易に想像できることである。問題は、「国の防衛政策に、地方は逆らうな」と、知事の立場から住民に押しつけている点にある。沖縄をはじめとして、米兵を受け入れる自治体において、米兵の不法・無法行為に苦しめられている現実を無視するつもりだろうか。米兵がおこす様々な犯罪について苦しめられているのは、日本だけではない。隣の韓国においても同じであるし、米軍が駐留しているすべての国で、住民が犠牲になっている。。
 住民が、地元において、安全で平和な暮らしを望むのは当然のことである。これは、国の国防政策においても同じことである。岩国市民の多数が移転に反対であれば、国はその住民の意思を最大限、尊重すべきである。
 さらに、橋下は言う。
 「(移転が)国政の現場で決定され負担を被る以上、利益や便益を国に主張すべきだ」 
 これを奴隷といわずして何というのか。国政の現場で決定されたことには従え。しかし、負担を強いられる分、お金をせびればよいというのであるから、許し難い。
 安全や安心、平和な暮らしというのは、金に換えられるものではない。米兵に強姦された女性や殺害された一般人など、世界中にたくさんいるが、いくらお金を積まれても、満足できるものにはならない。当然である。移転を受け入れ、国から何らかの利益や便益を得て、立派な集会場や施設などができても、まったく意味はない。住民にとって大切なことは、安心で安全な暮らしなのだ。

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2008年02月01日

●中国製“農薬ぎょうざ”事件について思う

 中国でつくられたギョウザを食べ、中毒で人が倒れるという、あってはならない事件が起きた。被害を受けた人は、一口食べて「苦い」と感じ、その後に嘔吐、気絶したというのだから、かなりの高濃度で含まれていたのだろう。
 さて、この“農薬ぎょうざ事件”問題の本質は、どこにあるのか。僕は、「中国製が問題である」というのは、本質を見誤る論点の立て方であると思う。重要なことは、日本における食料自給率の低さと長期にわたる不況および、そこからくる生活難が問題であると考える。

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2007年11月17日

●危機管理能力のない経営者~~船場吉兆

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 今、新聞やニュースでは、船場吉兆の話題が毎日取りざたされている。その前は、伊勢の赤福だった。もっと前は、ミートホープの偽装……。
 こうした報道を見るたびに、経営側はなぜもっと潔く責任を認め、改善に切り替えないのかという疑問しかわかない。経営者にとっては、もちろん適切な利益を上げるということも重要であるが、やはり問題が起こったときに、きっちりと説明し、問題があれば改善するということも重要な責任ではないのだろうか。
 ミートホープにしても、赤福にしても、そして船場吉兆にしても、問題発覚時に適当なウソをつきごまかし、矛盾をつかれると、また、ウソで塗り固める。そして、その間に問題がドンドン大きく、深刻化してしまうという悪循環に入ってしまっている。これでは、再建できる問題も、再建不可能にまで陥ってしまうことは明白である。
 もちろん、再建不可能になって、倒産したとして、経営者は良い。自分たちの責任を、自分でとるのだから。しかし、従業員はどうか? 責任をとる能力のない経営者の失敗につきあわされ、解雇や賃金を下げられては、どうしようもない。
 船場吉兆は、あろうことか、現場でもっともよく働いている、いわば会社の利益の源となっているとパート労働者に、「自分で賞味期限のシールを貼り替えた」という偽装の念書を書かせたという。とんでもない話だ。
 企業にとって、パート労働者というのは、やすく使える“都合のいい”働き手である。正社員とは、給与体系違えば、責任の度合いも全く違う。そのパート労働者に責任をなすりつけるなど、まったくもって許し難い。
 そもそも、経営陣が言うように、仮に“パート労働者がかってにおこなった”行為としても、現場の社員が責任をとるべきだろう。それが、社員の役割ではないのか。さらに、現場の社員すら責任をとれないようなものであれば、会社役員が責任をとる。当然のことである。そうした責任感の全くない、我が身の保身ばかりを考える船場吉兆の経営陣は、恥を知るべきである。さらに、恥ずかしいことに、責任逃れは、パート労働者に押しつけるだけでなく、取引先などにも責任を押しつけている。地鶏と銘打って売っていたものが実はブロイラーであった点に関し、社長は業者にだまされたというような発言をしている。しかし、この業者は、ブロイラー専門の業者であったそうである。では、老舗中の老舗である船場吉兆は、ブロイラー専門業者に“地鶏”を注文したのだろうか。ほんとうに恥ずかしい。
 さて、ミートホープにせよ、赤福にせよ、船場吉兆にせよ、なぜこんなに無責任が横行するのであろうか。
 ウソをついてごまかしても、そのウソをまたウソでごまかさないといけない事態が早晩やってくることは、明白であるし、そもそもウソというのは、どこまでいってもウソであって、真実になることはない。そんなことは、小学生高学年から中学生くらいになってくると、自然と分かってくるものである。はじめは、通用していたウソが次第に大きくなり重くなり、やがては自分のみを守るためのウソが自分の重荷になってくるということを。
 経営者は、少なからず社員やパートを抱え、その人たちの生活を支える給与を支払っているのだから、きっちりと責任をとってもらわないと困る。問題が発覚すれば、即、自汁関係を調査し、明らかにし、改善から再建へと動くべきである。

2007年11月02日

●好きなものを食べられるのは幸せなこと

 『毎日新聞』(10月31日付)の投稿「大食いのテレビ見て飢餓を思う」を読んで思う。
 投稿者は、82歳の女性である。彼女は、こういう。

 あられもなく大きな口を開けて、さも得意げに大量の高級食品をパクパクと食べているお嬢さん。いったいどのような学校・家庭教育を受けたのか考えさせられます。
 同じ年頃のころ、私たちはちょうど戦中、戦後で極めて厳しい日々を過ごしました。今、地球上では飢えている可哀そうな子供たちも大勢います。大食いの光景をテレビで見ると気分が悪くなります。

 この表現からすると、非難されているのは、ほぼ間違いなくギャル曽根こと曽根菜津子さんであろう。
 さて、以前、僕も曽根さんの大食いについては、ブログで書いた
 そもそも、僕は、この投稿者と同じような考えを持っていたし、今も持っている。母親からそう教わったからだ。お茶碗に、ご飯が一粒でもついていようものなら、「残さず食べなさい」と怒られた。「一粒の米には、8人の神さんがいる」とか「お百姓さんが一生懸命につくったものだから」「もったいない」といわれた。そのおかげで、今でも出されたものは、残さずに食べるくせがついている。カウンターしかないような赤提灯で、魚の煮物などを食べると、女将さんが皿を下げるときに「まあ、猫もびっくりやね」とうれしげにいわれることもあるくらい、残すのは嫌いである。
 したがって、曽根さんの名前は、ずいぶん前から聞いてはいたが、彼女がでている番組など、見ようとも思わなかったし見なかった。が、以前の記事にも書いたように、一度見てすっかりとファンになってしまった。
 その理由は、繰り返しになるが、その食べっぷりにある。
 かつての僕と、この投稿者は、大きな勘違いををしていると思うのだ。つまり、世界には飢えて死ぬ子どもも多い。そして、国内においても、餓死者は増加の一途をたどっている。しかし、問題は、大食いにあるのではけっしてない。問題は、あまりにも多くのものが捨てられているという点にある。
 さらに、曽根さんの食べっぷりに魅せられるファンが多いことは、彼女のブログを見ても分かるが、なぜ、人は彼女の食べっぷりに魅せられるのか。それは、食べるという行為が人の本能であり、本当に幸せそうに食べる彼女を見て、自分も擬似的に幸福感を味わっているのだと思うのである。
 投稿者は、自分の若い頃は食べられずに……という。僕の母親も、戦中・戦後は本当に食べ物には苦労したといっていた。だから、僕たち子供には、本当においしいものを食べさせてくれたし、しかし残すことは許さなかった。好きなものを腹一杯に食べることができる幸せは代え難いものである。
 僕は、曽根さんの食べっぷりを見ていて思うのは、食べることのできる幸せを彼女が本当に体現できている点にあると思うのである。食べることができない人がいるから大食いがいけないのではなく、むしろ食べることができない人がいるから、食べることのできる彼女は人を魅了するのではないかと思うのである。
 一度、投稿者を含め、曽根さんの食べっぷりに違和感を覚える人は、若い人がよく行くような居酒屋などに行ってみるといい。どれほど多くの若い人たちが、たくさんの食べ物を残しているか。僕の母や投稿者が若い頃に比べると、日本は確かに豊かになっている。だからこそ、多くの若い人たちは、外食に出かけては、食べたいものをたくさん注文しては、食べきれずにたくさん残しているのである。この現実こそ、問題にすべきではないだろうか。
 僕も、妻も食べることは大好きなので、よく外食に出かけるが、そのたびに大量の食べ残しが下げられていくのを見て、「もったいないなあ」と愚痴をこぼす。それこそ、「食べられない人がいるのに」なのだ。
 外食だけではない。コンビニなどで賞味期限を過ぎたおにぎりやお弁当がどれだけ廃棄されているか。大阪の日雇い労働者の街・釜が崎にいけば、賞味期限切れと思われるコンビニの弁当が、路頭で150円やら200円で売られている。十分に食べられるのに、捨てられている。これが現実の社会である。テレビで映し出されている世界など、いわば「架空」のものであり、問題は現実に廃棄され、処分されている食品の多さ、そしてそうしたものを生み出す、僕たち、この投稿者も含め、消費者にある
 かつての僕がそうであったように、曽根さんを非難する人の気持ちはよく分かる。しかし、問題は、たくさん食べるということにあるのではなく、たくさん捨てるということにあるのではないだろうか。そして、前向きに考えると、自分の好きな食べ物を好きなだけ食べられるというのは、本当はとても幸せなことなのだと思うのである。

2007年11月01日

●耳の不自由な人間は落語を聞いちゃいけないのか?

 落語とは、なんとすごい芸なんだろうかと、昨今の落語ブームの中で、よく考える。
 着物を着たひとりの人が、小さい机の前で正座し、話をするだけなのに、それが人間の喜びやおかしさ、悲しさなどを表現し、聞き手の中で大きくふくらませるのだから、本当におどろくべき芸である。
 たしかに、ほとんど動きもなく、派手さもない落語は、テレビの普及の中で一時漫才やコントにその活躍の場を失われつつあった。とくに大阪では、東京と違い、落語にふれる場というのは、急速に奪われていったと思う。しかし、大阪でも、ドラマ『タイガーアンドドラゴン』のヒットや天満宮の繁盛亭の落成によって確実に落語が大きな娯楽へと成長しつつある。
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 そうした落語復権のなか、三笑亭夢之助という落語家が、島根県安来市主催の敬老会での独演会で、自分の落語を手話通訳している人に対し、
「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」
「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、皆さんも散りますよね」

 といい、手話通訳者を舞台からおろしたというのだから、とんでもない差別事象である。
 まず、第一に落語は話し言葉なので手話に変えられないとは、なんという傲慢さであろうか。たとえば、自分が年をとって、あるいは病気などで耳が不自由になったときのことを想像してみるといい。知りたいと思っている人間に対し、「いや、これは話し言葉だから良いのであって、手話で表現できない。だからあなたにはムリなのだ」といわれたら、どうだろうか。暗澹たる気持ちになる。
 さらに、大半の人間は耳が聞こえるから手話は必要ないという表現もひどい。ひどすぎる。自分は、耳も聞こえる“多数者”であるからこういう人を傷つける発言ができるのであろう。“少数者”は排除していいのだろうか。こういう“多数者”意識というのは、どうすれば持つことができるのだろうか。きわめて疑問に感じる。しかも、この場は敬老会であり、耳の不自由な人も多いはずであり、いろいろな意味で人生の先輩に対して、配慮すべき場であるはずなのだ。
 また、最悪なのは、こうした自分の差別意識を落語を楽しみにきた客に押しつけ、同意を求めている点である。差別の煽動である。絶対に許すことができない。
 芸人とは、人を楽しませるために仕事をしているのではないのだろうか。それなのに、耳の聞こえない人を排除し、それを客に押しつけ、いやな思いをさせるとは、すでに芸人ではない。当然のことであるが、「手話通訳がつくので夢之助さんの落語を楽しめると期待していたのに」という耳の不自由な人もいたという。『毎日新聞』(10月31日付)
 この夢之助という人は、落語をどう考えているのだろうか。耳の不自由な人には必要のない、“健常者”だけが楽しめばよい娯楽だとおもっているのだろうか。あるいは、手話通訳者がいるだけで、落語がやりにくいほど夢之助という落語家は噺が下手なのか。手話通訳を通じて、自分の噺が面白いと感じる耳の不自由な人をファンにさせようという気持ちはまったくなかったのか。
 いずれにせよ、こんな人は、芸人であると僕は、絶対に認めたくはない。
 なお、昨年、この安来市主催の敬老会には、宮川大助・花子さんを招き、漫才を披露したそうである。そのとき、花子さんは手話通訳者に「ありがとう」といったそうである。宮川花子さんがどういう意味で手話通訳者に感謝の意をのべたのかは分からないが、僕がもし芸人だったとすると、やはり“自分の芸を耳の不自由な人にも分かるように伝えてくれてありがとう”と思うだろう。

 ※なお、「くまさんの自立」さんのブログで、三笑亭夢之助という人物の品性が語られている。

2007年10月26日

●これは一種のセクハラでは?


 昔から、よく思っていたのだが、電車の中でスポーツ新聞のポルノ記事やセックス記事を広げて読むのは、恥ずかしいことではないだろうか。
 ポルノが悪いと言っているんではない。人前で読んだり、見たりするものではなく、1人でコッソリ見るというのが、“正しい”見方なんじゃないかと思うのだ。
 さらに、見たくもないのに「○○、レイプ」などという見出しを見せられるのは、不愉快きわまりない。
 世間の女性は、どう感じているのだろうか。あるいは、スポーツ紙のセックス記事を読むオヤジを、自分の子どもが見ることは不快ではないだろうか。
 さらに、学校教育において、正しい性知識を学ばせる性教育にたいして過剰に反応する部類の人たちは、公共の場で広げられているセックス記事やポルノ記事や写真など“有害な”ものにはほとんど反応していないように見えるが、これも理解できない。
 まあ、性教育に過剰反応する部類の人たちは、日教組や全教が諸悪の根源のように考える方が多いように見受けられるが、日教組や全教にそんな強力な影響などあるはずもなく、公共にポルノをばらまいているのは、フジサンケイグループが発行する「夕刊フジ」や「サンスポ」だったりするから、不思議なものだ。
 ちなみに、中学生の頃、親に隠れて買うスポーツ紙は必ず「サンスポ」だったσ(^-^;) スポーツ記事しか載せない「日刊スポーツ」などは、決して買わなかった。。。

2007年10月21日

●1600円の過払い返還

■納税の確認について

 この間、会社の経理課から電話があった。なんでも、H17年度の年末調整において、連れあいの収入の申告額に過ちがあったので、年末調整で過払い分を納めよというものであった。
 聞くところによると、年収にして10万円ほど、“過小申告”しており、過払い分1600円を税務署に納めよということである。原因は、たぶん妻がパートでつとめる会社が交通費を含め、僕が交通費を抜いて申告したのが、月額にしておよそ9000円ほどの差を生んだのだろう。いずれにせよ、確認はしていないし、給与明細なども処分しているので、税務署の調査が正しければ、僕は“脱税”していたことになるので、来月分の僕の給与から天引きで税務署へ1600円を支払うよう、経理課に頼んでおいた。
 さて、それにしてもなんとも解せない点がある。それは、1600円を納めよといわれたことではない。僕の行った申告が誤っていたならば、訂正されるのは当然である。解せないのは感情的なものである。
 夫婦2人で働いて、裕福ではないが、とりあえず暮らしていける生活をしている世帯の年収10万円の誤差を見つけ出し、1600円の過払い分を戻せという事務処理は何なのかという感情的な疑問なのだ。
 僕は、以前から書いているように、つい2年前にフリーター生活から足を洗い、正社員になったのだが、入社してわずか2年で満足な給与がもらえるはずもない。たぶん、同年代の公務員は、僕の年収の2倍以上はもらっているのではないだろうか。そう考えると、その税務署員は時給にして3000円くらいの報酬は取っていることになる。僕の申告の誤りを1時間かけて発見したとするならば、彼は3000円の報酬を取って、1600円分の仕事をしたことになり、コストを考えると最低でも1400円の“税金のムダづかい”をしているのではないかと思うのである。
 何度も、繰り返すが、誤りは正さないといけない。脱税はいけない。が、1600円の年末調整の払いすぎに対して、3000円以上コストをかけて、取り戻すというのは、いったいいかがなものなのだろうか。疑問に思えてならない。
 話は変わるが、この間、NHKの『クローズアップ現代』をみた。「船出はしたけれど
~郵政新会社の課題~」という特集で、郵政民営化における新たな問題点がテーマである。正確に言えば、郵政会社が上場するにあたって、上場基準を満たさないといけないわけだが、監査法人が入ると一般企業ではありえない問題点が出てきているというのである。
 全国に散らばる郵貯のATMの保守・管理を、郵政OBのいわゆるファミリー企業が牛耳っているというのだ。その取引額は、年間50億円。大変な額である。しかも、ひどいことに、この会社には、従業員がほとんどおらず、実際の業務はすべて丸投げで他の会社がやっているという。
 つまり、このATMの保守・管理を行うという郵政OBの企業は、郵政から受けた仕事をそのまま別会社に振るだけで巨額の利益を得ているのだ。この利益の源泉は、税金であり、郵貯利用者が本来受けるべき利潤である。それを、このOB企業は、何もせず巨額な売り上げを上げるのである。
 また、全国の特定郵便局の家賃が近隣同種の物件に比べ、平均にして30%ほど高いということも上げられていた。このこともまったく不可解きわまりない。特定郵便局長会の会長だったかがでて、家賃が高いのは郵便局舎の窓やフェンスは特注のものであって、コストが高くつくからだ、と説明していたが、説明になっていない。特注であるので建設費が30%高くなるというのなら分かるが、なぜ家賃が3割も高くなるのか。月づきの家賃が3割も高くなるほど、局舎の管理・維持費に金がかかるというのだろうか。
 いずれにせよ、一般企業ではありえない高コスト状況、無駄遣いが行われているのは事実であり、それは本来ならば、国民や郵貯利用者が得なければならない利益であることはまちがいない。
 さて、月9000円ほどの申告漏れにたいする調査がおこなわれ、その一方では郵政ファミリー企業への数十億円という利益供与や特定郵便局への破格の優遇がおこなわれている現実を見ると、ますます1600円の過払い分を支払えと言う“正当な”要求が疑問に思えてならない。

2007年09月26日

●ケータイの通信費

 最近、携帯電話のキャリアを変えた。それまで使っていたツーカーホンがいよいよ停波されるからだ。
 以前の記事にも書いたが、通信費ごときに、何千円も使うのは、僕にとっては、とてももったいなく思え、受け専用でロングプリケーを使っていた。完全に受け専なら、月300円ほどで持てる計算だが、実際にはメールを多用してたので、月800円くらいにはなっていた。それでも、他のケータイからすると破格値で持てた。
 そのロングプリケーも使えなくなるので、どうしようかと悩んでいたのだが、auが基本料半額のプラン(誰でも半額)を出したので、ついに乗り換えてしまった。
 プリケーは、90ヵ月ほど使っていて、機種変更も4年ぶりくらいだったので、新しいau携帯を持った時には、まさに浦島太郎状態。
 2GBのメモリーを入れているので、以前のケータイとは比べものにならない高画質の写真が、しかも大量に撮れる。さらに、ボイスレコーダとしても、使えるし、動画も結構面白い。

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2007年09月07日

●原発の定期検査期間の延長


 経済産業省は、これまで13ヶ月ごとにおこなわれてきた原子力発電所の定期検査を、2年ごとに延長しようとしているらしい。
 検査回数を減らせば、原発が稼働している時間を増やすことができ、より多くの発電量を確保、二酸化炭素排出量の削減につながるというのが、その“大義”らしい。
 しかし、原発はその他一般の発電所や工場などとは、同じように考えることのできない、極めて危険性の高いものである。
 まず、第1に放射能の安全性の問題がある。ひとたび事故が起こったさいには、人的被害は想像を超えるものとなる可能性がある。
 次に、その被害は1代ではおわらず、直接に被曝した人の子や孫にまで及ぶ可能性がある。
 僕の知り合いの女性で、十年おきくらいにガンを発症し、手術をくりかえしてきた人がいるのだが、彼女は自分は長生きできないと、常々言っている。理由は、また自分の体のどこかでガンが発症するかわからない、父親をガンで亡くしているからである。
 彼女の祖父は、広島で被爆しており、その影響を、ある種の“運命”のように考えているのだ。
 放射線は、遺伝子を破壊する。破壊された遺伝子が、子や孫に引き継がれた場合、二次被害、三次被害と数十年にわたる被害の可能性があるのだ。
 第3には、放射能が空気中に漏れた場合、被曝の可能性が周辺諸国に及ぶことも、十分に考慮しなければならないだろう。
 1986年に起きたチェルノブイリ原発の事故は、重要な教訓である。放射能は、偏西風にのって、世界を一周する。
 さて、原発一般の危険性だけ考えても、慎重には慎重を重ねて、少々ナーバスなくらいの方が良いのでは、と僕は思うのだが、さらに考えないといけない問題がある。
 それは、原発施設の建て替え問題である。コンクリートの寿命はいうにいおよばず、被曝し続けている施設の耐久性、老化の問題である。
 原子力発電所の建て替えなど、果たしてリアルな問題としてあり得るのだろうか。
 ただでさえ、低レベル廃棄物の処分場がないのに、巨大な“核のゴミ”と化した老築化した原子力発電所を安全に解体し処分できるとは思えない
 1基当たり世界最高の発電能力を持つ柏崎刈羽原発が、地震の被害を受け、白々しくも政府やマスコミは“想定外の規模”と、責任は「自然の力」であるかのように喧伝しているが、活断層の危険性は以前から指摘されていた。柏崎沖の活断層については、存在がわからなかったのでは決してなく、単に調査しなかっただけである。百歩譲って、活断層の存在が知られていなかったとしても、今回被災した柏崎刈羽原発が“砂州”の上に建設されている事実は知らなかったとは言えないだろう。なぜなら、地盤の弱い砂州の上に無理やり建設された柏崎原発の基礎はかなり深くまで打ち込んでいるからである。
 活断層の存在の疑いがあっても隠し、地盤の弱い砂州の上に建設していることも隠し、ただひたすら原発の必要性と安全性のみを誇張し、建設された原発が被災したら“想定外”などと逃げる政府がいう安全性など、まったく信用することができない。
 ましてや、これまで13ヶ月ごとに検査してきたものを、24ヶ月ごとに延長するなど、絶対に認めることなどできない。
 24時間、コンビニやスーパーマーケットが空いている“便利な社会”を目指すのであれば、原発とそのリスクは負わねばならないだろうし、子や孫にまで継がれているリスクをなくしたいのであれば、少々不便でも安心して暮らせる社会を目指さねばならないだろう。今、真剣に考えていかないのではないかと思う。

2007年09月05日

●橋下徹氏は弁護士にふさわしいか

 大阪弁護士会所属の橋下徹弁護士がテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審の被告(26)弁護団に対する懲戒請求を扇動したとして、このうち今枝仁弁護士ら4人が3日、橋下弁護士を相手に、1人当たり300万円の損害賠償を求める訴訟を広島地裁に起こした。
 訴状などによると、橋下弁護士は5月27日に西日本を中心に放送された民放番組の中で、同弁護団の弁護活動に触れ、「もし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求掛けてもらいたい」などと発言し、視聴者を扇動した。
 差し戻し審の弁護団に対する懲戒請求はそれまで1件もなかったが、放映後、今枝弁護士ら4人それぞれに300件を超える請求が広島弁護士会に届いた。このため、弁明書や資料の提出などの負担を強いられ、弁護活動に不当な重圧を受けたなどと主張している。
橋下弁護士を提訴=テレビで「懲戒を扇動」-光市母子殺害差し戻し審で・広島

 山口県光市・母子殺害事件関連で、橋下徹氏が弁護士4人から訴えられた
 この事件は、発生後、すでに8年もの時間が経過しているが、その残虐さから、それほどの時間が経っているようには思えない。
 その上で、被告人の弁護士が、犯罪の背景には「母に対する人恋しさに起因する母胎回帰」があったと主張し、被告人を弁護するためとはいえ、あまりにもひどいのではないかと、今でも思っている。
 弁護士・橋下氏は、この弁護団の主張に「弁護士というのはこんなふざけた主張をするものなんだと印象付けた今回の活動は、完全に懲戒事由にあたる」とし、テレビ番組では、「もし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」などとマスコミを使って扇動したそうだ。
 僕は、弁護士というのは、法律にのっとって、依頼者の利益を守る者であると考えている。したがって、依頼者の犯罪や行為が、どんなに許せないないものであっても、法律に基づいて、弁護活動を行うべきである。ある意味、自己を殺さないとできない仕事であり、葛藤も多いだろうなあなどと勝手な想像もしている。
 さて、この橋下氏の発言に強い違和感を持つ理由は2点ある。
 一つは、法律に忠実にのっとって活動する弁護士としての資質である。
 被告の弁護人の主張を“こんなふざけた”などと私情を感情的に露わにしているが、こんな人物に弁護士が務まるのだろうか?
 彼の得意とする分野が何か知らないが、例えば、彼に離婚訴訟の弁護を依頼したところ、「そんなことしてたんじゃあ、奥さんから、離婚請求されても仕方ないわ。」などと、彼の私情が挟まれるんではと思ってならない。法にのっとって、依頼者の利益を守るということは、大変なことである。弁護士は、依頼者が、酒クセが悪く、浮気をし、暴力夫であっても、法律に基づき、しっかり弁護しなければならない。どれだけ極悪非道な犯罪者であっても、弁護人は弁護に徹底すべきであり、世論から大きな非難を受けようが貫かないといけないだろう。それなのに、世論に迎合し、さらに煽るなど、弁護士としての資質に大きな疑問を感じざるをえない。
 二つに、法律とは権力の暴走を一定程度抑制する作用をするものであり、権力者は常に自らの都合のいいように法律を変えようとする。
 対して、権力を持たない庶民は、代議士や弁護士を通じ、自らの身を守るしかすべはない。
 橋下氏は、テレビで見る限り、彼のその下品な芸風に目はつぶっても、明らかに権力者サイドのものの考え方をする人物である。
 権力者サイドの考え方を持つのは勝手なのだが、問題は権力をカサに着て、マスコミ=テレビという公共の電波を使って、大衆を扇動する点は極めて危険である点である。
 彼の発言やブログの記事を読んでも、知性のカケラもみられないので、“テレビに露出する芸能人の責任”と言ったところで、橋下氏が理解できるとは思えないのだが、光・母子殺害事件に対して、その弁護士に自らの“正義感”を“示す”前にやるべきことは、山ほどあるのではないだろうか。
 大阪府下、最難関といえる高校に入学し、弁護士になった人間の“使命”が、テレビ番組で粗野で下品な芸風を披露し、一殺人事件を興味本位的に煽りたてるだけでは、あまりにもお粗末だ。
 本業であると思われる弁護士など廃業してしまい、タイタン所属の芸能人としてやっていくのが良いのではないだろうか。
▼橋下徹・大阪府知事(確定) 就任前から公約撤回
▼橋下徹は、国家権力の犬か
▼橋下徹・大阪府知事には、なにもしないことを望む
▼橋下徹氏は弁護士にふさわしいか

2007年09月04日

●少しは暮らし本位の政治を志すか

 国民の生活を無視し続け、安心や豊さのカケラにもならない「美しい国」やら「憲法改正」などにこだわり続けてきた我が安倍首相。
 参院選での自民党大敗北という結果を受けて、ようやく“政治”をやろうとしているらしい。
 発展めざましいインドに赴き、インド国会で官僚の作文を、例のかん高い声で朗読したようだ。
 日本国の優秀な官僚は、首相演説の原稿に“拍手を待つ間”を入れてくれた。安倍首相は、官僚の配慮に感謝しつつ、原稿通りに拍手を待つ“間”を朗読中に入れるも、間を入れるだけ拍手はなかったようだ。『毎日新聞』(8月23日)
 我が安倍首相は、「自分の朗読はインド国会議員に大きな支持を得た。だから、インドとの外交を進めていくのは使命である」と思っているかもしれない。
 しかし、政治というのは理念やイデオロギーだけでおこなわれるものではない。理念の正しさが必要であることは当然のことながら、反対意見などを受け入れ、その上で政策を推し進めていく力が必要である。また、同時にそうしたリーダーシップが発揮できるのは、政治責任がとれる人物に限られる。責任のとれない人間の言うことなど信用はできない。「言うは易し」なのだ。
 安倍首相は、与党敗北の責任をとらず、今なお涼しい顔をして権力のイスにしがみついているが、インド国会議員にしてみれば、そんな責任義務を果たすことができない人物の朗読など聞くに値しないだろう。
 安倍首相と、安倍を党総裁として奉り続ける自民党が、どれだけ存在し続けるかが、日本の民主主義度をはかる格好のバロメーターになるだろう。

2007年08月19日

●官僚を使えない安倍内閣

 防衛省人事が“痛み分け”で解決した。しかし、これを解決と言っていいのだろうか?
 公務員とは、国の最高法規である日本国憲法第15条に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」と明確化してある。いわゆる“公僕”である。その公務員が防衛相の人事を覆がえすべく官邸に押しかけ、行政の長である首相に直訴するなどおこがましいにもほどがある。
 というか、問題の本質は、守屋武昌氏の“力”というより、小池防衛相の力量不足、安倍首相の指導力不足にある。
 会社をはじめ、多くの組織に共通していえることだろうが、トップになったからエライというのではない。よそからトップが来ても、力がなければ、部下はついてこないし、それどころか頭の上を通り過ぎることさえある。当然のことだろう。力のない上司に従うほどイライラすることはないし、それはみすみす自分の評価を下げてしまうことにもなりかねない。
 『毎日新聞』によると、一官僚が官邸を巻き込むほどの力を持つにいたったのは、小泉劇場内閣において、官僚に丸投げしたせいであると分析している。
 小泉首相は、官僚から政治を政治家へと高々とスローガンを掲げたが、彼が得意とする「郵政」以外は、ほとんどふれることはできず、あとは威勢のいい言葉で誤魔化していたにすぎない。日米の防衛政策の中で、小泉氏がブッシュの前で踊りを披露し、守屋氏が力をつけていったというのが本質であるようだ。
 わが安倍首相も、小泉に負けず劣らず、中身がない、、、もとい政策に弱いため、力のある官僚の言いなりになったというのが本当のことだろう。
 そもそも、安倍首相が組閣する内閣の人事において、国民あるいは国内に暮らす外国人が安心できる者が1人でもいたのだろうか。悲しい限りである。これが、日本の政治の実情なのだろう。

 P.S. ところで、小泉・安倍と軽め首相が公然と指示する靖国神社参拝が、参院選自民惨敗の後、あっとうてきに減ったのだが、これは真の愛国主義者・国粋主義者の方々はどう見ているのだろうか。靖国参拝問題など、この程度のものなのだろうか(汗

2007年08月08日

●格差の有無の論議などおとぎ話のように生ぬるい

 毎週買っているわけではないが、ときどき買う雑誌に『週刊アスキー』がある。
 その8月14日号の神足祐司氏のコラム「Scene2007」に
 

“格差社会の有無なんて、おとぎ話みたいに生ぬるい。実際には何百万という若者が、生活を続けられるかどうかの瀬戸際にある。ネットカフェ難民。ワンコールワーカー。ある労働者団体の幹部は「トラックの荷台がケータイに、木賃宿がネットカフェに変わっただけ」と言った。それでも、昔の口入れヤクザは1割しかハネなかったと。今の派遣は5割ハネられる。”

 格差があるかないか、広がっているかどうかという議論が未だにある。神足氏は、“生活続けられるかどうかの瀬戸際”の若者が存在している中では、格差社会があるかないかの論議など、まるでおとぎ話のように生ぬるい話だと弾劾している。
 まったくその通りだろう。年収300万の人間と年収1億の人間がいるという“格差”の問題など、すでに通りこしてしまっているのだ。今や、米国並みに貧困にあえぐ人々が出てきている。
 僕は、つい数年前までフリーターだったので思うのだが、30台前半くらいであれば、なんとか食っていけると感じる。しかし、30台も後半になってくると、体力的にもきつくなり、頭脳も弱くなり新しいことへの対応もきつくなる。また、人生が70年とすると、折り返し地点でもあり、将来を考えるとやはり不安を感じる。
 小泉改革によって、規制緩和が進み、労働者の“カンバン方式”ともいえる派遣労働者、非正規雇用の労働者が増えている。今、ネットカフェ難民だとかワンコールワーカーなどと呼ばれる若者が、10年後、あるいは20年後どのように暮らしているのだろうか。もちろん、自分の生活の足下も、かなり怪しげであり、こんな不安定な社会はなんとか変革しないと、ますます社会が歪んでいくように思えてならない。
 

2007年08月06日

●病む社会を感じる

 最近、ほんとに仕事がつらい。どうも会社は、今年中にも上場するらしい。上場企業に“ふさわしい”社内環境にするため、重箱の隅をつつくような“雑務”が増えた。
 それと反比例するように、売上を伸ばすために、給与を抑えている。まさに、一労働者にとっては、踏んだりけったりという状況である。
 さて、8月1日、PL花火大会の影響か、終電間際の電車にも多くの人がのっていた。そのなかで、かなり泥酔しきって、前後左右も分からないサラリーマンが乗ってきた。年齢は30台後半か、中肉中背のサラリーマンである。
 彼は、立ってるのも精いっぱい、盛んに電車に床に唾をはき、床はベトベト。チャックは全開でシャツが大きく出ていたので、不幸中の幸い(汗)でみたくないものは見えなかったが、不愉快極まりなかった。
 僕にとって、イヤだったのは混んでる車内で、ゲロをかけられること。できるだけ目を合わさないようにしながら、用心していた。

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2007年08月03日

●安倍首相の“使命”

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 『毎日新聞』(7月31日つけ)で、安倍首相が辞任しない、そして与党内から辞任論がわかないのは「自由で民主的な風土」がないからか、だとすれば党名を変更せよという、変わった記事が載った。
 自民党=自由民主党に、自由で民主的な風土などあったことがあるのだろうか。小泉劇場政治で議会の圧倒的多数をとった自民党は、問題発言を続け、横暴の限りを尽くしてきたのは、そういうことなのだろうと理解してきた。
 そもそも、党名の由来である「自由で民主主義」とは、国民のためのものではないだろう。自民党は、大企業の利益を代弁する政党であり、企業が金もうけをする自由と、企業活動の“民主主義”を担保する政党ではないのか。
 それは、通称村上ファンドの村上が記者会見で「金もうけをすることが悪いことなのか!」と毒気をついたことをみれば、明らかである。そこには、モラルや道義など、一片のかけらもなく、あるのは金もうけの“自由と民主主義”なのだ。
 ほんとうに、民主主義が根付いているならば、国政選挙で国民の支持を得られないと分かった時点で、政権を明け渡すだろう。なぜなら、主権は自民党にあるわけではなく、天皇にあるわけでもない。国民にあるのだ。日本国剣法にはそう書いてある。国民の信を問えない政党に、政権を担う権利も義務もないはずなのだ。
 安倍晋三は、参院選で自民敗北が決定した記者会見で「使命をまっとうする」などと言っていたが、思わず連れあいと笑ってしまった。
 首相の権力は国民の支持に由来するものであり、それが国民からの“命”なのであって、その“命”をまっとうするのが使命なのではないだろうか。国民が安倍内閣および安倍自民党を見限った時点で、安部が首相である正当性はない。
 にもかかわらず、安部さんは、いったい誰から“使命”を受けているのだろうか。この時点で、彼に民主主義のかけらも、国民主権を尊重する気持ちもないことがわかる。これが、自由民主党の総裁であり、有数の経済大国・ニッポンの首相の現状なのだ。
 “政治3流”の悲しきわが祖国の現実を、何度も確認してしまう。本当に悲しいことだ。

 ※画像は、「とりあえずガスパーチョ」さんのサイトから

2007年07月30日

●安倍総裁、続投。がんばれ!

 自民党が歴史的敗北をした。かつて、土井社会党が圧勝したときのような爽快な気分。
 安倍内閣は、その発足当時から、多くの問題を抱えていた。
 まず、安倍の思想のなさ。それは、著書『美しい国へ』で書かれているように、まったく無内容かつ、そこに書かれている牧歌的情景は“大草原の小さな家”に代表される欧米の風景であり、日本のイメージではない。
 つぎに、内閣の顔ぶれの悪さ。
 尾身財務相は、なんと衆院議員当選8回というベテランにして、安倍から任命を受け財務相になってはじめて、「国と地方の財政状況を知り、驚いた」と発言。こういう人が国の財布をあずかる重責を担えるのかと疑問を感じざるえなかった。
 また、東の鈴木宗男、西の松岡利勝といわれる“有名”な恫喝政治家を農水相に任命した。あろうことか、国政の任務を放棄し、自死するというトンデモ農水相である。僕は、死者にむち打つのは、好きではないが、農林水産政治は、ただ日本国民のみの問題ではなく、環境問題や水産資源、動植物の保護などを含め、国際的にも大切なものである。それを、投げ出して、“死”によって“責任”を果たそうとするような者を内閣に入れるなんて、まったくとんでもない。
 あるいは、本間税調会長の愛人問題、久間防衛相による“原爆しょうがない”発言、そもそも久間という人物は質が悪いのは以前から見えていた。
 さらに、安倍政権の強引な手法も大問題である。強行採決に次ぐ、強行採決。これは、民主主義でも自由主義でもない。数による独裁である。
 安倍内閣の問題点は、らんきーブログさんの『安倍晋三政権のまとめ』に整理されているので、譲りたいが、こうした問題を様々に含みながら、人々の格差は増大し、働いても働いても食べていけない社会のあり方、都市部と地方の格差の増大など、選挙民の多くは怒っている。

 さて、こうした国民に怒りを受け、当の安倍首相、安倍総裁は、“責任は、自分にある。だからこそ、使命をまっとうするために続投する”と宣言した。
 僕は、国会議員、あるいは首相をはじめ内閣の人間の使命とは、国民の“選挙による信託”を受け成り立つものだと思っている。が、安倍氏は、国民の多くが安倍政権を否定したにもかかわらず、“使命”をまっとうすると決意表明をしている。
 えらい!!!
 ぜひ、その調子で衆議院選挙まで、首相でいてほしい。
 安倍総裁は、党内の異論をバッタバッタとなぎ倒し、自分の続投に反対する“抵抗勢力”をやっつけてもらいたい。
 安倍内閣、発足以来、こんなに応援する気持ちになったのは、初めてだ。がんばれ、安倍晋三! ファイトだ、安倍晋三! どんなに国民から支持されなくても、“使命”なるものを貫いてほしい。

2006年12月24日

●政府税調会長・ほんま辞任

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 政府税制調査会長の本間正明氏が、辞任した。
 本間氏は、「(公務員宿舎は)世の中では通用しない」などと発言し、安い公務員宿舎の売却などを促す報告書をまとめながら、みずからその“格安”公務員宿舎に、公務員でないにもかかわらず居住して、その恩恵を受けていたというのだから、もはやブラックジョークとしか思えない。さらに、その住まいには、妻とは異なる女性と暮らしていたというから、驚きを通り越して笑うしかない。
 僕は、公務員のみならず、企業は従業員の生活を保障するという意味において、住居手当や宿舎などを用意すべきだと考えている。したがって、「公務員ばかりがいい思いをして、、、」といういい方は間違えで、むしろ、世界でトップクラスの経済大国日本の企業の民間企業の福利厚生は、なぜこうも薄いのかという論議が必要であると思っている。そうした側面からも、本間氏の公務員宿舎が安いことに対して「民間では通用しない」といういい方には、非常に憤りを覚える。
 しかし、本間氏が“小さな政府”を目指して、安い公務員宿舎を廃止し、民間並みの薄い福利厚生を訴えながら、みずからはその恩恵を受けるという点はまったく納得できない。しかも、法的に問題かどうかはともかく、公務員宿舎が公務員の公務のためにつくられたという意図からすると、本間氏が公務員宿舎に暮らしていることは、まったく道理にあわない。
 さらに、ひどいことに、その宿舎に愛人と暮らしているというのだから、言語道断である。正妻と暮らさないことや正妻以外の女性と暮らすことが、一般的にいって良いか悪いかについては、それぞれの家庭の事情などがあるので、どうでもよい。
 しかし、1億5000万国民と何百万人という日本に暮らす外国人にとって税制は、生活を左右する重大事項であり、そうした人物が正妻をもちながら、愛人と暮らすなどというのは、やはり問題があるといわざるをえない。
 安倍首相は、教育基本法を改正したが、こうした教育上よくない人物を政府の要職に登用したことに対して、どうも思わないのだろうか。また、一方で公務員宿舎は売却すべしといいつつ、その恩恵を受けるという破廉恥な人物が税制調査会の会長を務めるような国が“美しい国”であると思っているのだろうか。
 先日、50年後に日本の人口は1億人を切るというニュースがあったが、こんな国に愛想をつかして海外に脱出人々でいっぱいになるんじゃないだろうか。50年後には、日本は腐敗と不誠実な人間ばかりの人口5000万人くらいの国になっていたりして。。。
 いずれにせよ、この国の指導者は本当に恥ずかしい。この国に生まれたことを誇りに思うどころか、悔しくてならない。

2006年12月21日

●自民党への巨額融資

 03年春に、税金から2兆円もつぎ込まれ、“破たん”を免れたりそな銀行が、それ以降、自民党への“融資”を急増させていると、『日刊ゲンダイ』で暴露されている。
 記事のよると、りそな銀行の自民党への融資残高は、02年で4億7500万円だったものが、りそな救済の03年には24億2500面円と5倍に増加、04年には49億円、05年には58億7500万円と、わずか2年の間に11倍も融資額を増やしている。
 そもそも、破たん寸前で、2兆円という多額の税金をつぎ込んで、生きも絶え絶えの銀行が60億円も自民党に貸し出すことができるのは異様である。なぜなら、自民党は、企業ではないからである。
 売上を伸ばしている企業に多額の融資をするのであれば、理屈もわかるが、政党に多額の融資がおこなえるなど、考えられない。自民党への融資の担保は、自民党本部だそうだが、土地は国有なので担保としての価値は存在しない。では、建物に58億円以上の価値があるのか? 老築化したコンクリートの建物にそんな価値があるとは思えない。
 つまり、自民党は、政権与党であるために、税金を利用し、りそな銀行を救済、りそな銀行は、そのお返しとして、一政党に過ぎない自由民主党へ多額の融資をおこなったとしか思えない。そして、自民党が政権政党として、りそな銀行へ費やした血税2兆円は帰ってこない。この2兆は、国の予算であるので、一政党である自民党は、返済されなくても痛くないばかりか、58億円以上もの融資という恩恵を受けることができるのである。
 これは、巨大な不正システムではないのだろうか。ワイロであるとか、私物化であるというレベルをはるかに超える巨悪であるとしかいいようがない。

 りそな銀行が実質国有化された03年以降、自民党への融資を急増させていることが分かった。02年の融資残高は4億7500万円だったが03年は24億2500万円。04年は49億円、05年は58億7500万円。アッという間に10倍に膨れ上がったことになる。
 「こりゃなんだ!」という話ではないか。りそな銀は03年春に2兆円もの税金が投入された。
  『日刊ゲンダイ』12月20日
2006年12月18日

●自民党は、外資から政治資金を受けるのか

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 『日刊ゲンダイ』12月16日付けで、政治資金規制法が改正されたことを報じている。
 改正内容は、
 「外資比率50%超の企業でも、5年以上株式上場していれば政治献金をしてもいい」
 という内容である。
 問題は、外国企業であっても、5年以上日本国において株式上場しておれば、政治資金が許されるという点である。
 最初に断っておくと、僕は、自民党は資本家階級の利害を守る政党であり、そういう意味では、日本企業から多額の献金を受け、その利害を守るために動こうが、米英仏あるいは中韓などの企業から献金を受け、それらの企業の利害を守ろうと動こうが、どうでもいい。
 僕にとって重大なことは、まじめに働き生活する庶民の生活を守る政党の政策である。したがって、自民党が、米英仏露や中韓の企業から多額の政治資金を受け、それら企業の利害を優先しようと、日本企業から多額の資金を受け、それら資本の利害のための政治をおこなおうが、ほとんど違いは感じない。
 ただ、問題なのは、いわゆる愛国主義者を自認する安倍首相以下、多くのそうそうたる人々が、この「買国奴」的な改正をよくしたものだということである。
 愛国主義的人間を形成するために教育基本法が改正されたが、それをつくった人間みずから外資に国を売るようなことをしていることには、違和感を感じざるをえない。
 いわゆる『新しい教科書』(扶桑社刊)を支持した人たちは、日本帝国主義の侵略戦争の犠牲者となった中国や韓国の人々の反発に、“内政干渉だ”といっていたが、直接的に政権政党である自民党に政治資金をし、他国の資本の有利になるように働きかけることのできる、今回の改正の方が、はるかに“内政干渉”であるように思うが、いかがなものだろう。
 まあ、新しい歴史教科書をつくる会にしても、勝共連合などの「外資」や「キリストの幕屋」などといういかがわしい特定の宗教団体などの動員でなされたものであろうから、今回の政治資金規制法改正など、どうでもよいのだろうけれど(笑

※参考サイト
保坂展人のどこどこ日記「政治資金規正法「外資規制」を解除に唖然 」
※※画像は、とりあえずガスパーチョさんのサイトより。

2006年12月17日

●3流政治を打破し、幸福を我が手に

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 北朝鮮を含む6カ国協議が、12月18日から1年以上ぶりに再開されるという。
 安倍首相は、小泉政権末期におきたミサイル問題に対し、強硬な姿勢を見せたが、安倍氏の政治判断は国際的なレベルとしても間違いであったし、アメリカの政治力と比べるとまったく比較にならないほど、劣っていることが明らかになった。
 とはいえ、国会では、庶民の不安と心配をよそに、教育基本法の改悪や防衛庁の“省”への格上げなど、戦争のできる国と国民づくりの政策が繰り広げられている。
 本当に、恐ろしいことだ。
 しかし、立場は異なっても、平和を求め、戦争に反対する多くの人とともに。これからもふてぶてしく生きていきたい、小異を守り大同について。

2006年12月15日

●安倍首相のボキャブラリー

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 安倍首相が12日の記者会見で、みずからの語彙力不足をまた暴露してしまったようだ。
 5分間、7問の質問に答える中で、
 「私の指示にしたがって、各部門で厳しい交渉がおこなわれていく」
 などと、“私の指示”という言葉を3度も使い、かなり自分の指導力を強調したかったようだ。
 そもそも、内閣をまとめる首相であるのだから“私の指示”があるのが当たり前で、さほど強調すべきところではない。質問した記者にしても、日本国民に限らず世界各国の人々が知りたい“核心”を答えてほしいと、質問しているのであって、首相の“指示”かどうかなど、いわばどうでもいいことだ。しかし、安倍首相は、国民の関心や世界の関心が、“自分の指導力”にあると、思っているのだろう。なんとも哀れとしかいいようがない。
 また、新聞によると、“私の判断”という言葉も強調していたよう。
 首相就任時に、“しっかりと”という無内容な形容詞を並べ立てて、“しっかり晋ちゃん”と揶揄されたが、またもや安倍首相の語彙力のなさが明らかになってしまった。
 ただ、心配なことは、人というのは、言葉でもって思考するために、語彙力のない安倍氏が本当に自分の哲学を持っており、高度な政治的判断をする能力があるのかどうかということだ(汗

2006年12月14日

●Winny地裁判決を考える

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 京都地裁は、Winny開発者の金子氏に対して、著作権侵害のほう助の罪で有罪を言い渡した。
 結論を先にいうと、僕としては、犯罪としては無罪、しかし社会的道義的責任はあると考えている。
 というのは、まず第一に技術に対してはやはり罪に問うことはできないと考える。基本的には、使う者の倫理観・モラルの問題であろう。技術を悪用されたから、その開発者が罰せられるということであれば、開発者を萎縮させてしまうことになる。
 しかし、そのうえで、金子氏は、某巨大掲示板で極めて意図的に、著作権を侵害するための匿名性の高いソフトの開発を宣言し、Winnyを開発している。また、報道での金子氏のインタビューを聞いていても、自分の開発したソフトによって、100億円もの損害を社会に与えている責任に関しては、「自分は技術屋」として、まったく悪びれる様子もなく、優秀な能力は持っているのだろうが、人格的には大きな問題があると感じざるをえない。
 弁護団は、金子氏弁護の論理として、「技術が悪ならダイナマイトを発明した者はどうか」などと、もっともらしいことをテレビで言っていたが、ノーベルは自分の発明によって多くの人々が殺されるという現実に苦しみ、人類の幸福・平和のために、みずからの財産をなげうってノーベル賞を創設している。
 金子氏とノーベルは、優秀な科学者であるということは共通しているかもしれないが、人間的な意味においては、まったく違う。そういう科学者は、原子爆弾の開発を手助けしたアインシュタインにもいえる。アインシュタインは、日本やドイツ、イタリアから世界を守るという意味では原爆の開発は必要であったといっているが、しかし、金子氏のように「技術に罪はない」などというような無責任かつ傲慢な見方をしていない。自分の作り上げたものに、誠実に向き合っている。この点から、金子氏には、しっかりと社会的、道義的責任を感じてもらわないといけないと考える。
 たしかに、有罪判決には違和感を覚えるが、京都地裁・氷室裁判長の
 「社会に生じる弊害を十分知りながら、自己の欲するままウィニーを公開、提供しており、独善的で無責任との非難は免れない」
 という意見にはまったく賛成である。優秀な人間ほど、自分がもたらす社会的影響と責任というものを実感すべきであろう。

◆ウィニー開発者に有罪、「著作権侵害をほう助」・京都地裁
ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を開発し、ゲームや映画ソフトの違法コピーを容易にしたとして、著作権法違反ほう助の罪に問われた元東大助手、金子勇被告(36)に対し、京都地裁(氷室真裁判長)は13日、罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決を言い渡した。氷室裁判長は「社会に生じる弊害を十分知りながら、自己の欲するままウィニーを公開、提供しており、独善的で無責任との非難は免れない」と述べた。
2006-12-13 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
2006年12月12日

●モラルと教育

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 今日、帰りの電車の中で、読書に夢中になっていると、前で坐っている子どもが騒がしい。ふと目を上げると、3人の男の子が座席のうえでじゃれていた。隣に父親らしい男性がおり、携帯をずっと触っていた。
 しばらくすると、車掌さんがきて、その父親に何か声をかけた。窓ガラスには、「携帯電話の電源をお切りください」とある。むかいに座る子連れも僕も、自分の坐っている場所が「優先座席」であると気がついていなかった。
 車掌から注意を受けた父親は、軽く会釈をし、携帯電話を手に包み込んだ。僕は、読んでいた本の続きが気になっていたので、何の意識もなく、本に入っていった。
 しばらくすると、僕の二つ隣に座っていた男性が、ブツブツと、なにやらいい始めた。前をみると、父親が再び、携帯を使っており、子どもたちがのぞきこんでいる
 これはいったいなんだろう。
 この父親は、自分に対する「監視」あるいは「管理」がなくなれば、何をしてもいいと思っているのだろうか。もちろん、人間であるのだから、理性が働かなくなくなることもある。僕などは、しょっちゅうだ。いい年をして、監視されなくなると、注意を受けたことを繰り返すということに、情けなさを感じる。その上で、その隣にいる3人の子どもは、「迷惑行為やマナーなどは、形式的なもので、さほど重要でない」と、父親の姿をみて学ぶだろう
 僕は、基本的な教育とは、大人が自らの姿や行動を見せることであると思っている。ちょっとした信号で、車が通っていないときは信号を無視して渡ることもあるが、目の前や近くに子どもがいたときは、信号が変わるのを待つ。それが、せめてもの僕なりの社会に対するささやかな貢献と考えている。
 見本となる大人が、マナーを守らずに、社会的常識のある子どもが育つとは思えない。

2006年12月11日

●「正しい和食」のナショナリズム

 エントリー「お国が決める日本食」で、農水省のくだらない和食認定を批判したが、やはり世界でも話題になっているよう。
 産経新聞のサイトでは、
 【ニューヨーク=長戸雅子】日本の農水省が世界にある和食レストランを「正しい和食」と認証する新制度の導入を検討していることに、和食ブームが続く米国のメディアが次々に反応している。ワシントン・ポスト紙が「国粋主義の復活」と報じれば、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)は「日本がスシ・ポリスを派遣する」と揶揄(やゆ)、巻き寿司の「カリフォルニア・ロール」発祥の地ではロサンゼルス・タイムズ紙が「論争の火種になる恐れがある」などと警告し、さながら"日米食文化摩擦"の様相だ。
 農水省は認証制度の検討について「食材や調理法が本来の日本食とかけ離れた料理を提供している日本食レストランが増えているため」と説明。
 現在全米に「日本食」を掲げるレストランは9000店あり、10年間で2.5倍に増加。このうち日本人、日系人がオーナーの店は10%以下に過ぎず、経営者の多くが中国、韓国などアジア系の移民という。(引用終わり)
 というが、きわめて偏見に満ちているのが、アメリカの日本食レストランに関して、「日系人がオーナーの店は10%以下に過ぎず」という表現である。そんなことをいうなら、日本で中華料理を提供しているオーナーの一体どれくらいが中国人がやっているのだろうか。ひょっとすると、1%も満たないのではないだろうか。国内でフランス人がシェフのフランス料理屋はどれだけあるのか、あるいはイタリア人がシェフのパスタ料理屋は。。。
 だいたい、中国人が作るから本格的な旨い中華料理になるとは限らないだろう。日本で生まれた日本国籍の人間で、日本食をまずく作ることのできる人を、僕は数多く知っている。あるいは、ぎゃくに、日本人でおいしいイタリアンを作る(イタリア人がどう思うかは別だが)シェフも知っている。
 食は、文化であり、どこの民族が作ろうが、旨いものは旨いし、口に合わないものは合わない。納豆が臭いという人間は、日本人であっても存在するし、熟成の進んだ臭いチーズが好きなのはヨーロッパ人に限らず、日本人でも(僕なのだが(^_^;)存在する。
 Yahoo!Japan投票で「
海外の日本食レストランで和食とかけ離れた料理が出たことありますか?」
を見ると、どうも違和感を覚える。

 そもそも、海外で、日本の食べ慣れた食事を食べることができるはずはないのではないか。ぎゃくに、認定すべきとコメントをしている人に問いたい。日本で、フレンチやイタリアン、中華、韓国料理と思っているものに、どれだけ「本物」があると思っているのだろうか。
 ほとんどが、日本人向け(正確に言うと日本の食文化にあわせて)にアレンジされているものではないのか。海外で、日本料理がその国の食文化にあわせてアレンジされるのは、当然であるし、それが日本のネイティブが違和感を覚えさせるのもまた当然である。
 スローフードとは、その地元で食べるのが、もっとも旨いというのが当然なのでないか。

2006年12月09日

●安倍政権2ヶ月

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 政権発足から2カ月がたった安倍政権を振り返ると、安倍政治の正体がわかる。
 庶民が望む景気対策や雇用対策、年金や医療、介護の問題は置き去りにされ、大日本帝国をほうふつとさせる教育基本法改正や防衛省の設置、自衛隊法の改正と、庶民の生活を完全に無視した、いや国民を戦争に再び三度地獄へと巻き込む政策が並ぶ。
 国は盛んに景気回復したと喧伝し、そういう数字を出しているが、ほとんどの庶民はまったく実感がない。そのうえ、さらに法人税を軽減し、庶民への税負担は強化しようとしている。この間、タクシーに乗ったら、運転手さんに「たくさんボーナス出てるんでしょ」なんていわれたが、昨年までボーナスなど子どもの小遣いかと間違う3万円。今年は上がったものの、それでも深夜に及ぶ残業でのタクシー代にもならない。
 そうして国を支える庶民が苦しんでいる中、安倍首相のボーナスは582万円也。歳出削減として、30%カットなので、実際は408万円、それでもデカイ。僕の年収のダブルスコアとまではいかないまでも、近いものがある。
 また、国会審議中に居眠り、ケータイいじり、新聞や読書を楽しむ国会議員のボーナスは、330万円という。まったく馬鹿げているとしかいいようがない。
 もちろん、こうした首相はじめ国会議員は、僕ら国民が選んでいるのだから、余計に虚しい。

2006年12月08日

●ハワイ・カメハメハ学校にみる歴史の重み

カメハメハ1世
 ハワイ王国を建国したカメハメハ大王という名前は、知っていたが、その名前が冠された学校があるとは知らなかった。
 ハワイにあるカメハメハ学校というのは、なんでも、その曾孫にあたる王女の遺志によって、ハワイの先住民族がアメリカ合州国から受けた不利益=差別から民族を守るために、1883年に設立されたらしい。
 こうして設立されたカメハメハ学校は、ハワイの先住民族の子どもたちを優先的に受け入れ、格安の学費で教育を提供しているという。
 こうした歴史的経緯を経て設立されたカメハメハ学校にたいして、先住民優先の入学制度が違法であるとして、原告白人が裁判をおこした件で、12月5日にサンフランシスコの連邦高裁が「合法」という判決を下した。判決要旨も原告白人の主張は、よく分からないが、僕の考えでは、まったくの「合法」であるし、むしろ州政府がもっと先住民の子どもの教育に力を入れるべきなのではないかと思うくらいである。
 社会的に不利益を受けている人への「優遇」措置に対して、「逆差別」という人が、ときどきいることは知っている。しかし、さまざまな不利益を無視して、均一な政治をおこなうことの方が、むしろ差別ではないのだろうか。
 たとえば、消費税を導入する際、あるいは消費税を3%から5%にあげる際に、自民党の国会議員からたびたび聞かれる言葉が、「消費税は、幅広く国民から負担していただける税制度である」という論理がある。この消費税の持つ均一性は、国籍を有する「国民」のみならず、日本で暮らす多くの外国人にも適用される。政治的な権利は何もないにもかかわらず、子どもから外国人まで、広く税を負担させられるのであり、やはり不平等感をぬぐえない。
 また、消費税は、年収200万の世帯にも1500万円の世帯にも「平等」に負担させられる。しかし、品物に対する割合という意味では、5%と同じであるが、年収からしたときには非常に不平等であるとしかいいようがない。
 仮にいうなら、人が1人、生きていくために、大阪では月に15万あれば、最低限度の生活はできるだろうか。そうすると、月収20万の人と、月収100万の人では、消費税の重みはまったく違うのだから。
 社会的に不利益を受けている人と受けていない人では、たとえ法の下で「平等」であっても、それは真の「平等」ではあり得ない。
 カメハメハ学校が、ヨーロッパから渡ってきた白人によって差別されてきた原住民(日本人を含めたアジアの民族と極めて似ている)を保護する目的を持つということは、絶対的に尊重すべきである。社会的差別を解消するためには、個人の努力をこえた様々な努力が必要であると思うばかりである。

※参考記事
 ▼Morty Hawaii V3「仁義なき戦い/カメハメハ学校編」
 ▼阿修羅「カメハメハ学校は公費支援のない学校らしい。反「人種差別」を悪用している例のようです。」

2006年12月03日

●ボランティアを懲罰と考える発想の貧困さ

野依良治座長
 『日刊ゲンダイ』12月2日号で、相愛大学学長・高橋乗宣氏が、鋭い指摘をしているので紹介しておきたい。
 安倍首相率いる教育再生会議で、いじめをした生徒への懲罰・指導のありかたとして、“社会奉仕”が挙げられているのだが、氏はこのことに対して、
 「これでは社会奉仕をしている子供はみんな、「いじめをした悪いヤツ」と見られるようになってしまう。積極的に社会奉仕をしてきた子供たちは、これまでのように感心されたり、褒められたりすることなく、色眼鏡で見られるようになるのだ。」
 と、危機感をもって訴えておられる。まったくそのとおりだろう。そして、「どうしたら、こういう発想になるのか」と嘆きつつ、
 「ボランティアは懲罰という価値観を持った国が、はたして美しい国といえるのだろうか。」
としめくくっている。
 さて、まったく教育再生会議の委員というのは、どういう思想の持ち主なのだろうか。発想が貧困としかいいようがない。貧困の思想ではなく、思想そのものが貧困であるとしかいいようがない。
 社会奉仕やボランティア、いやそこまでいわなくても、電車でちょっと席をゆずったり、階段でベビーカーを運ぶお母さんに少し手を貸したりするのは、自発的だからこそ、すばらしいのであり、精神的に賞賛されるべきこととなる。だれでもわかることだろう。
 今日、僕はたまたま電車で坐っていたら、酸素ボンベをカートにのせて車内に入ってきた老男性に席をゆずった。つれあいとみられる女性から、譲ったときと降りられるときの2度も、お礼をいわれたのだが、こうしたふとしたことが、僕にとっても、あるいはその老夫婦にとっても、ちょっとした日常での幸せとなる。人から礼をいわれて悪い気はしない。
 そうしたほんの幸福を得る自発的な精神を、懲罰の手段として使わないでほしいし、教育にもなりえない。懲罰として、社会奉仕させられて、精神的な幸福を得られるか。得られようもない、そんなものは、苦痛だろう。そうであれば、教育的な措置にはならないだろう。こういう発想は、旧ソ連の強制労働や北朝鮮の強制労働などの“教化”政策に似ていないだろうか。
 そのうえで、高橋氏が言うように、どうしたらこういう貧困な発想を持つことができるのだろうか。たぶん、この意見を述べた委員は、人から感謝されたことのない、心のたいそう乾いた人間なのだろう。
 こんな委員に教育「再生」を論議してもらいたくない。(論議だけなら、好きなだけやればいいが、この論議の結果、安倍首相が実現に向けて動くとなると、ますます日本は美しくなくなる。実害のある論議はやめさせないと。。。)

●地デジは必要なのか?

地デジ
 12月1日に、地上デジタル放送が拡大されたらしい。これで、地デジが5000万世帯の8割で視聴できるという。
 しかし、地デジなど本当に必要なのか。切り替えは、2011年7月に強行されるようにすでに決まっていて、今使っているテレビは無用の長物と化す。これは、国が、テレビメーカーとグルになって、地デジ対応のテレビを無理やり買わせる政策でないのか。民衆不在のテレビの買い替え強制としか思えない。
 もちろん、ハイビジョンや衛星放送など、それが必要な人がみるというのであればいいが、全世帯強制はいかがなものか。
 現行のテレビは、現在1億台ほど使用されているという。しかし、一方で地デジ対応のテレビは、1500万台ほどしか出荷されていないという。そのうち、実際に使用されているものはさらに少ないであろう。なにしろ、地デジになるということすら知らない人が多いのだから。
 こんな馬鹿げたことを一体だれがいつ決めたんだろう。本当に頭に来る。しなきゃならないことは、もっとほかにあるだろうに。

2006年12月02日

●NHKは誰のものか


 これまでも何度も書いているように、NHKとは、戦後日本の出発のために、二度と国営放送として、政治の言いなりにならないと、放送協会として成立した。
 したがって、その運営には、国民から理事を集め、資金としては各家庭から受信料を徴収して成り立っている。NHKは、その成り立ちからしても、だれが資金を出したかをみても日本で暮らす者の協会であることはいうまでもない。
 さて、その日本国で暮らすすべての人々によって維持運営されているNHKが、受信料を払わない人々を告訴し、徴収をはじめた。驚くべきことである。いったい、こういう状況をつくったのはだれなのか。告訴されるべきは、NHKを信頼できず支払いを拒否している人々ではなく、そういう状況を作り出した理事会とNHKにあるのではないか。
 様々な不祥事は、すべて広く日本国に暮らす人々から集めた金によってなされた。協会、ならびに理事会は、この責任を負わずして、自らの責任をNHKを支える人々に負わせるなど言語道断である。
 また、NHKは、不祥事のみならず、軍隊慰安婦の国際法廷の報道の歪曲をはじめとして、受信料を支払っているいわば“株主”の立場には立たずに、政府の立場にすりよっている。NHKのスポンサーは、政府ではない、受信料を支払っている多くの人々なのである。
 僕は、NHKは必要であると考える。とりわけても、NHKの報道の役割、教育番組などの役割はおおきい。民間では、大企業がスポンサーとなるため、どうしても金儲けにならない番組はつくることはできない。そうした傾向は、ますます強まり、いまや民間の報道番組は、バラエティー化してしまっていて、冷静で中立な事実を伝えるとはいえない状況になってしまっている。
 公共の放送機関としてのNHKを復活させるためには、民衆の下にNHKをとりもどさねばならないのではないだろうか。つまり、現理事会は解散し、理事の大半を国民から広く採用し、オープンで民主的な論議を通して、運営されるような協会にせねばならないのではないかと考える。
 この国に暮らす圧倒的多数の労働者、農民の利益に反するような企業があれば、大々的に報道し、労働者・農民を抹殺するような政治が行われるようなら、批判を強めるような放送協会であるべきである。

2006年11月29日

●労働意識の多様化?

 日払いのアルバイト枠が拡大しているという。
 日経ニュースメールのよると、その理由が
 「『働きたい時だけ働く』など若者の労働意識が変化しており、アルバイトなど若年労働力を確保するため」
 などと、言っているが本当だろうか。
 そもそも、“働きたいときだけ働く”ことができる人というのは、どういう人なんだろうか。親が生活費などを出してくれる学生くらいだろう。あと、資産家などで利子生活ができるなど、ごく限られている。
 学生のときなどは、僕もお金に困ったとき、交通量調査などの日割のバイトなどをしたが、学生がこうしたアルバイトの仕方をするのは、昔からあったことだろう。労働意識など、何の変化もないと思う。さらにいうと、どれだけ労働意識が多様化しようと、無産者は働かないと生きていけないのであり、“働きたいときだけ働く”生活など不可能である。
 ことの本質は、労働力の“看板方式”、つまり人がほしいときだけ雇うということで、人件費を削減し利益を上げようとしているだけなのではないかと思うばかりである。
 労働意識の変化などと、うまくいうものだとつくづく思う。

◆「働きたい時だけ働く」日払いバイト採用拡大・外食や小売業
アルバイト確保に苦心している外食、小売業に日払い制度が広がってきた。たこ焼き最大手のホットランド(群馬県桐生市、佐瀬守男社長)は年内にも全300店に導入する。ローソンは首都圏で実験を始めた。「働きたい時だけ働く」など若者の労働意識が変化しており、アルバイトなど若年労働力を確保するために雇用形態の多様化が進んでいる。
2006-11-29 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
2006年11月26日

●男性が見て興ざめしてしまう女性の姿・行動ランキング

 ランキングジャパンで、「女性から見て幻滅してしまう男性の姿・行動ランキング」が掲載されている。

■1位 鼻からタバコの煙を出したり、くわえタバコをする
■2位 オフィス中に漂うぐらい、匂いの強い香水をつけている
■3位 電車の中で周りを気にせず化粧をしている
■4位 電車の中で口を開けて寝ている
■5位 化粧がなんとなく変。(眉毛の形・長さ、厚塗り)
■6位 オフィスの机が散らかっている(男の自分より汚い)
■7位 付き合ってみたら、家事全般が出来ない人だった
■8位 下ネタを何の躊躇なく話す(少しは恥ずかしがって欲しい)
■9位 スーパーやコンビニで、スウェットの上下や、ダボダボのジャージ姿で買い物
■10位 すごくいい笑顔だけど、歯に青海苔が付いていた
■11位 有名ブランドの紙袋をサブバッグとして利用。長く使い込んでいる。
■12位 駅の階段をカン!カン!凄まじい靴音で駆け下りる
■13位 地下鉄で窓ガラスを鏡代わりにして髪型を直す
■14位 ジャニーズ系タレントの話で盛り上がっている
■15位 仕事はすごく出来るのに意外と字がヘタ
■16位 夜道でたまたま女性の後ろを歩いていたら突然駆け出す女性
■17位 箸が正しくもてない
■18位 食事の後、当然のように奢らされる(支払う素振りもない)
■19位 言葉使いが汚い
■20位 ありません。女性は女性というだけで、ただただ素晴らしい

 女性から男性を見た幻滅するランキングに比べると、男性は女性に対してあまり希望を持っていないような気がする。
 1位は、鼻からたばこの煙を出したり、くわえタバコをするとあるが、僕に言わせると男性でもあまりいいものではない。さらに、くわえタバコは、見た目だけではなく、他人に迷惑(やけどなど)をかけることもあるので、性別にかかわらず良くない。
 2位の香水。僕が表現するなら、香水がきつい女性(男性もそうだが)がいると、「あぁ、この人は、体臭がキツイんだ」と思ってしまう(^_^; 乳しか口に入れない乳児が乳の臭いがするのは乳しか飲まないからであって、肉類などタンパク質を好みとする人間はどうしても体臭が強くなるのは、必然である。まあ、香水は嫌いなのだけれど、やむをえずつけざる得ないのは、仕方ない。
 4,6,9,10,11、17、19位などは男・女の問題ではないと思う。いいとか悪いとかではなくて、品位の問題だろう。たとえば、4位の電車で寝てしまって口を開ける。これは、確かに不細工なのだが、朝から晩まで会社にこき使われ疲れがたまり、電車の中でつい熟睡してしまうことがある。寝ている間は、意識がないので、口を開けてしまうことも股をあけてだらしなくなることも、仕方ないと思う。何せ、労働条件が悪すぎる。まあ、女性に限らず、不細工に変わりはない。
 ただ、やはり他の人も思っているのだなあと思うのが、3位の電車での化粧。僕は、おしゃれというのは、他人に分からないのがおしゃれだと思うので、男であろうが、女であろうが、他人の見ているところで変身する姿はいただけない
 逆に、8位の下ネタは、あまりにも下品なものは、男女関わりなくイヤなものだが、あっさりとしたものだと、むしろ色気を感じたりする。女性の下ネタ話は、あまりイヤではない。
 16位は優しさがないので驚いた。僕にも経験はあり、イヤな思いはしたことは確かにあるが、やはり問題は、女性の一人歩きでイヤな思いをした女性が多いということが問題であり、これは女性の問題ではなく、男性側の問題であろう。痴漢しかりセクハラしかり、女と見れば触ろうが何しようが思い通りであると考える男どもを何とかしないと、何ともならない。
 最後に、僕は、連れ合いと一緒になってつくづく思うのだが、女性は女性というだけで、ほんとに癒されるしすばらしいと思う。

2006年11月22日

●今週の『サンデー毎日』~~日本はなぜここまで壊れたのか

サンデー毎日
 『サンデー毎日』(12月3日号)で岩見隆夫さんが「サンデー時評」という記事を連載されているのだけれど、そこで紹介されているマークス寿子著『日本はなぜここまで壊れたのか』(草思社)という本が紹介されている。
 とても興味をそそられたので、メモ代わりにマークスさんの本文を孫引きしておきたい。
 マークスさんは、最近の“理解を超えた犯罪”の増加の原因を次のように分析する

○通常は、個人の場合でも民族の場合でも、自分が幸福ならば、あるいは希望をもって生活しているならば、「恨みや怨み」は完全に消えてしまわないまでも、人々を過激な行動につき動かすほど強くはたらかないものである。
○ところが、私たちの常識での理解を超えた犯罪は間違いなく増加している。それは、いかに将来に希望がない若い人、自分はダメな人間だと考えている少年及び大人が多いかということを示していると考えるべきだろう。

 自分の希望を失った人間が、他人の不幸をねたんだり、悪いことをして有名になる、こうした“ねたみや恨み、憎しみ”などを「心の中の生きるための炎とする」としている。
 さらに、ではなぜこうした希望のない社会になったのかについては次のようにまとめている。

○「平和で豊かな社会」という日本のキャッチフレーズ、イメージがここにきて急速に変わってしまった。……イラクに派遣されていた自衛官に万一死傷者が出ないようにと慎重に準備し、他国の軍隊に守ってもらう手続きをした政府や政治家たちが、自分たちの足元で起こる殺人や自殺には大した対策も取らないでいるのはなぜだろう。
○皮肉を言えば、国や政府のためには一人でも死んではいけないが、市民生活で死んだり殺されたりするのは、政治や政治家のかかわる問題ではないと言っているみたいである。

 かなり、遠慮気味に書いておられるが、確かにそうである。いじめにあおうが、殺されようが、交通事故や自殺で何万という人が死のうが、政府や政治にとっては、“自己責任”で終わっているのである。これでは、この国で生きる希望も夢もなくなるのは当然である。
 人生には、いろいろなことが起こる。生きる年数が多いほど、死にたいと思うこともあるし、殺してやりたいと怒りを覚えることもある。挫折も多い。しかし、僕などは、そのたびに周りの人に希望を与えてもらい、今、こうして生きている。
 しかし、社会自体が急速に寛容さを失っている。ひとつ過ちを犯せば、恐ろしく叩かれバッシングを受ける。再チャレンジなどとんでもない。
 政治が小さい政府をめざし、日本に暮らす人々の生活をみていない、いや切り捨てているのが大きな要因であろうことは間違いない。
 ここで、僕が「政治が、、、」などというと、「すべて政治の責任なのか」という人が、周囲にも必ずいるのだが、そうであるとしかいいようがない。たとえば、韓国と北朝鮮の人々は同じ半島に暮らし、民族が同じで言語も同じであるにもかかわらず、なぜ生活、文化、体格など、ことごとく違うのか。それはだれも異議を唱えないと思うが、政治がまったく違うからである。極端だという人がいるかもしれないので、さらに書くと、自民党政権から、社民党あるいは共産党政権に変わったとき、僕たちの生活になんの変化も生じないか。いや、大きな変化をもたらすだろう。僕などは、歓迎なのだが、それは困るという有権者が多数を占めているからこそ、今までそういう政権は誕生してこなかったのである。
 話は、それてしまったが、近々、ぜひ購入したいと思っている。

2006年11月20日

●多文化・多民族・多国籍社会でともに生きること

 僕が、いつもチェックしているブログ「多文化・多民族・多国籍社会で「人として」」さんから、TBをいただいた。その記事が、僕の大脳をいたく刺激したので、僕の意見を書いておきたい。
 記事の題は、「虚構の上に立ついやしの「極右」か、現実の上に立つ節度ある「極右」か」で、題としては、極右という立場の人々を題材としているが、内容は、非常に多岐にわたって、重要な内容を含んでいる。
 僕が、非常に興味をそそられ、勉強になった点をまとめると、1つには、日本が「単一民族国家」であるか否か、2つめに民族差別の問題。そして、3つめに新たな差別の生産=被差別民の生産について書かれてある点である。
 仲@ukiukiさんの記事から助けを得ながら、今日の記事を以下にあらわしたい。

続きを読む "多文化・多民族・多国籍社会でともに生きること"
2006年11月17日

●けっしてあきらめず、悪政を批判する

伊吹文明
 今日、ついに衆議院本会議で、教育基本法が、民主、共産、社民などの議員欠席の中、強行採決された。ひどい話である。民主主義のかけらも感じることができない。
 日本国憲法に書かれてあるように、日本国民には思想・信条の自由が掲げられている。さまざまな思想・信条があるからこそ、さまざまな党派が存在することになる。当然なことだ。
 しかし、多数をもって、法律をつくったり改正したりできるのであれば、議会の必要はないし、さまざまな党派が存在していても意味がない。北朝鮮には、朝鮮労働党以外にもいくつかの党派があるらしいが、政治的な力は何ももたない。日本においてもまったく同じである。自民党と公明党以外は、多数の論理の下では、政治的な力は「無力」と化している。これが、民主主義というのか。民主主義とは、多数が支配する社会ではなく、小数者に耳を傾ける社会である。
 また、衆院で強行採決される前に、中央公聴会が開かれている。呼ばれた5人のうち、3名は改正反対の意見を述べているが、だから、自民党や公明党はそこから何か学んだというのだろうか。結局は、強行採決ありきのうえにおこなわれた公聴会であり、これまた民主主義を装うためだけにおこなっているものといわざるをえない。
 公聴会で早稲田大教授の西原博史氏は、
 「子どもに(愛国心という)特定の価値観を強制することになる。多様な価値観を否定することは民主主義の否定です」
 と発言したようであるが、まったくその通りだろう。
 そもそも、愛国心などというものは、自発的なもので押し付けたり、押し付けられたりするような性格のものではない
 だいたい、教育基本法の何が問題であるというのか
 子どもたちのいじめの問題にせよ、自殺の連鎖などは、教育基本法が原因なのか。あいつぐ教師や校長の自殺は教育基本法を変えればなくなるのか。
 むしろ、教育基本法を変えて、特定の価値観を押し付ける方が、いじめや自殺の原因となるだろう。1億数千万人の様々な人間が暮らすこの列島において、ごく一部の特権的な政治家がつくった価値観をそのまま受け入れることのできる人は限られる。では、その価値観を受け入れることができない人間はどうなるのか。社会的に排除されることになる。つまり、いじめられることになることは、けっして極端な例ではないだろう。
 自民党と公明党以外の国会議員は、全員辞職して、強制的に国会を解散させるくらいのことをやらないと、いつまでたっても、多数派によるむちゃくちゃな政治は続くだろう。全く許すことはできない。
 この反動は、絶対に許してはならないし、国会が終わるまで、いや終わったとしても、教育基本法の改悪に対しては、あきらめずにたたかわないといけない

※【資料】Internet Zone::WordPressでBlog生活さんの「教育基本法衆院強行採決にたいする新聞社説を見る」に、地方紙の見解がまとめられています。

2006年11月12日

●現職警察官の連続強盗に思う

 群馬でおきた郵便局強盗で、指名手配中の埼玉県警・現職警察官のしわざでないかという記事が『ゲンダイ』紙に掲載されていた。
 江戸時代からの慣習で、犯罪者を捕まえるというのは、刑罰的な意味よりも見せしめ的な意味の方が、日本においては圧倒的に大きいので、一人の犯人に複数の犯罪を「押し付ける」ことが多いようなので、一概に、この記事を信用することはできない。
 が、問題は、犯罪を取り締まるために、血税でもって雇われている公務員・警察官が、なぜ郵便局強盗などするのだろう。こうした犯罪を犯す警官というのは、普段の仕事をどのように考えているのだろうか。
 青少年事件を主に担当する警察官は、やはり説教のひとつでもぶつだろう。暴力団担当は、見た目も言葉遣いも荒い。どちらが暴力団かわからないくらいであるが、それくらいのほうが、暴力団ににらみが効くのかもしれない。また、反戦運動や組合運動などの担当者は、活動家の逮捕となれば、みずから転んで「公務執行妨害!」などと叫び不当逮捕したり、ビラまきのためポストのある敷地に入ったとたん「不法侵入だ」といい不当な拘束をおこなう。こうした行動が、いいか悪いかはともかく、みずからの正義感で行われているのならともかく、仕事であるというだけでおこなわれているとしたら、それはたいへん恐ろしいことである。理性なき人間に、警察官であるという肩書の下、拳銃を持ち、自由に職務質問でき、ともすればそういう権力を利用して、その場で他人の荷物など、プライバシーを覗くことができ、さらに逮捕・拘束できる権利を与えていることは、ある意味、国家的な犯罪ではないのだろうか。さらにいうと、税金で雇われている人間が市民の生活に危険性をもたらすという重大責任を、国家はとるべきである。
 実際に飛んでくるかどうか分からないテポドンを騒ぐよりも、治安を守るべき警察官の続発する犯罪を喧伝すべきだろう。
 こうした警察官のモラルの低さとともに、あらためて1人間としての警察官に付与する拳銃所持や職務質問など特権についてや、あるいは留置所=代用監獄の制度など、抜本的に見直すべきではないだろうか。

 現職警官が指名手配された群馬・太田市の郵便局強盗事件。逃走中の埼玉県警加須署地域課の巡査長・長利高雄(44=伊勢崎市)が、新たに2件の強盗事件に関与した疑いが浮上した。
 群馬県内では、6月に伊勢崎市内の郵便局でカウンターを飛び越えた男が「強盗だ金を出せ」と脅し、現金135万円を奪う強盗事件が発生。8月には、みどり市内の郵便局で刃物を持った男が「金を出せ」と脅し、現金400万円を奪って逃げた。
 防犯カメラの映像では、犯人はいずれも身長160~170センチの中年で小太り。長利の背格好とよく似ているという。事件は半径10キロ範囲で起きており、局員に刃物を突きつけるなど手口も同じ。群馬県警は連続強盗の可能性もあるとみて捜査している。
『日刊ゲンダイ』11月11日
2006年11月09日

●世論操作の方法と値段

洗脳
 前に、「タウンミーティングは、権力の宣伝機関」で、やらせによる宣伝について書いたが、今日の『ゲンダイ』紙(11月9日)で、政府が主催し、民意を聞くというタウンミーティングの半数で、やらせがあったと暴露している。さらに、問題になった八戸のタウンミーティングでは、発言者10人のうち、なんと6名がさくらであったというから驚きである。これでは、民意を聞くどころか、世論操作そのものである。
 だいたい、日本人は長いものにまかれる体質がしみついている。かつて、ビートたけしが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と笑いをとったが、まさにみんな一緒であれば、それこそ「信号無視」だって平気でする。
 こうした性質からすると、10人の発言者のうち、過半数である6人をさくらとして仕込んでおけば、反対意見を封じ込めるだけではなく、政府の思い通りの世論が形成できる。これは、民主主義ではない。精神的にきわめて遅れている国のやり方であるといわざる得ない。
 さて、こうしたタウン大衆洗脳ミーティングを、一回開くのに2000万円ほどかかるらしい。洗脳代としては安いか。これまで、こうした大衆洗脳ミーティングが170回以上行われているというので、34億円以上の税金が費やされていることになる。けっして少なくない額の納めた税金が世論操作のために使われていたとおもうと、ほんとに悔しいばかりである。

 青森県八戸市で9月に開かれたタウンミーティングで発覚した政府の“やらせ”が、底なしの状況だ。八戸市のケースでは、内閣府が教育基本法改正に賛成の立場から質問するよう事前に依頼していたのは当日の発言者10人中6人に上ることが判明した。うち2人には文科省が作成した質問をそのまま渡していた
 政府関係者によると、タウンミーティングでの質問依頼は「円滑に対話を進める」などの名目でしばしば行われ、内部ではこの手の質問者を「依頼発言者」と呼んでいた。小泉内閣では全国各地でタウンミーティングが174回開かれたが、事前に一定数の「依頼発言者」を内々に決めておくことを認めており、半数近くでこうした「仕込み」と「やらせ」が行われていたという。市民の意見を聞くタウンミーティングは名ばかりだったのだ。
 『日刊ゲンダイ』11月9日

●ハーレムは、幸せか

harem salon
 いつも読んでいるメールマガジン「NNA BUSINESS MAIL」(06.11.8)に、イスラム教徒の一夫多妻制の話題が載っていた。
 記事によると、多妻が認められるのは、
  ・養える財力があること
  ・先に結婚した妻の許可があること
 がその条件であるらしい。
 まあ、俗に、酒の席なんかで、「若い妻を次々とめとるハーレムがうらやましい」などという話で盛り上がることがあるが、僕は愛する1人の妻で必要にして十分満足している。
 こうした考え方は、現地でも同様であるらしい。
 同記事が紹介しているマレーシアの現地紙が、イスラム教徒の男性約7,500人を対象に行った調査では、「妻は1人で十分」と考えている男性がほとんどで、「妻が2人いる」と答えた人は全体の5.0%、「3人」は4.3%、「4人」は1%以下だったよう。まあ、もちろん、経済的な理由によるものも大きいと思うので、希望調査であれば、もっと多妻を望む人が多いかもしれない。しかし、やはり経済的な理由だけでなく、複数の妻をもち、それぞれを平等に愛してひとつの家族としてやっていくことはたいへんやろうなあ。
 で、最後に、記事ではこんなニュースで締めくくっている。

 クランタン州に住むイスラム教徒のアズマン・ルディンさん(30)は、1人目の妻であるシティ・カリファさん(53)には黙って2人目の妻(20代)との結婚を計画。計画を知ったシティさんは逆上し、自宅で寝ていたアズマンさんの顔に劇薬を……。(記事より引用)

 そりゃ、そうやわな(^◇^;) 女性を甘くみてはいけません。

2006年11月08日

●日本の核武装の先に見えるもの

 過去の記事にも書いたが、相変わらず自民党・中川昭一政調会長が、日本の核武装についての論議は必要であるといい続けている。こういうトンデモ発言が許されているということは、自民党執行部も認めているということであり、全国の自民党員も認めているのであろう。非国民通信さんの記事「核武装論は続きますが・・・」によると、右翼のドン笹川良一の次男である笹川堯・自民党党紀委員長が、非核3原則の見直しを言っているようである。本当に驚くべき限りである。
 さて、核武装についての「論議」は必要であるというが、当然、核兵器を持つ過程や持った後についての「論議」も含むのだろう。中川政調会長は、いったいどういう意見をおもちなのだろうか。
 日本が、核兵器を持つということは、核拡散防止条約(NPT)や国際原子力機関(IAEA)から脱退しなくてはならない。そうなると、国際社会からの激しい反発は必至であり、とりわけても国連において、非難決議が採択される可能性もある。それでも、「対北朝鮮政策のために」といい続けるのであろうか。そんなことが許されるのであれば、核不拡散という国際的な原則は、破壊されてしまう。どこの国も持ち始め、持ち始めると、今度は核弾頭の数を競い合うことになるだろうことは、かつて米ソが競って核兵器を大量生産していた歴史をみれば明らかである。1980年くらいには、アメリカだけか米ソ合わせてか忘れたが、地球を8回くらい破壊できる核兵器があったなどといわれていた。
 さて、こうした国際的な世論や国連の動きなどを読んだうえで、なおかつ核武装の必要性を訴えるならば、結局は、国連脱退→脱国際協調へと走らざるを得ない。かつて、満州国を傀儡ででっち上げ、国際連盟を脱退し、勝ち目のない戦争へ歩んでいった歴史と同じなのではないか。
 70年前は、ドイツ・ヒットラーとイタリア・ムッソリーニと手を組んだが、今回は北朝鮮・金正日と手を組み、対米戦争へうってでるのだろうか。そして、靖国神社には「アメリカにそそのかされ、国益を守るため、第3次大戦を、、、」という説明が書かれるのかもしれない。

●今日の出来事 人のいい人

いい人
 今日、仕事の移動中、電車のホームでおばちゃんが声をかけてきた。なんでも、財布を落としてしまったので、500円ほど貸してくれないかとのこと。
 まあ、僕も500円くらいならと思い、財布を開くと、そこには100円玉2枚しかない。で、「200円でもいいですか」とたずねると、おばちゃんは「足らへんけどまあいいわ、すみません」といい、僕も「すみません」と。
 しかし、なんやろ。貸してほしいとはいうものの、実際は返してくれるわけでもない。金をくれということである。で、見も知らぬ他人から金をもらい、足らへんというのは厚かましい。そして、足らへんといわれ、思わず悪い気がしてしまい、すみませんと謝る僕は、なんやろか(^◇^;)
 欧米やったら、「金ないんやけど、ちょっとカンパしてくれへんか」「ええよ」「ありがと」「いや、かまへんで」という感じだろうか。
 ほんま、この人のよさが、日本人らしいなあと思ってしまう。

 ※写真は、Googleイメージで「いい人」検索の結果。皮肉にも、2ちゃんねるの壺が写っている(^_^;

2006年11月07日

●タウンミーティングは、権力の宣伝機関

 タウンミーティングは、やらせだった。
 ミーティングなどというと、なんだか論議ができて、その意見が反映されると思ってしまうが、結局のところ、政府が都合のいい資料を作成し、台本を用意、さくらに発言させていたことが、11月1日の衆院教育基本法特別委員会の共産党・石井郁子議員の質疑で明らかになったよう。
 権力者がみずからの都合のいいように世論を操作するであろうことは推測していたが、これほど明白になると、やはり権力を常に厳しく監視する目が必要であると思う。そして、みずからもこの社会で生きている以上、権力の操作の影響を受けないはずはなく、じぶんにたいしても、常に冷静に物事を吟味する姿勢がとわれるだろうと思う。
 やはり、政権を厳しく批判する政党は必要だと思う。

■ 教育改革ミーティング 内閣府「やらせ」認めた

 9月に青森県八戸市で開かれた政府主催の「教育改革タウンミーティング」で、内閣府などが「教育基本法は見直すべきだ」と発言するよう地元の学校関係者に依頼していたことが発覚した。

 1日の衆院教育基本法特別委員会で石井郁子議員(共産)が同県教育委が作成した文書をもとに指摘、内閣府も「参加者の発言の参考となるような資料を作る場合もある」などと、“やらせ”があったことを認めた。

 石井議員が示した文書には地元の学校長あてに「時代に対応すべく、教育基本法を見直すべきだと思います」などと具体的な質問をタウンミーティングで発言するよう依頼する内容だった。

 『日刊ゲンダイ』11月3日

※参考記事
 ▼goo-needs' blog「それが国家百年の教育のやり方か」
 ▼怒りのブログ「教育基本法「やらせ質問」依頼文書」
 ▼情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士「中国新聞社説:「やらせ」質問 甘く見られている国民 【+安倍首相は辞任せよ】」

2006年11月01日

●アメリカの教育バウチャー制度

 財団法人・自治体国際化協会のサイトで、アメリカのバウチャー制度について、簡潔で要点をえた解説があった。
 まず、アメリカでは「教育改革」の一環としてバウチャーが論議されたらしい。安倍氏が、いきなりバウチャー制度など言いだしたのは、ブッシュの物まねなんだろう。それはともかく、この「教育改革」の中身は以下のようになる。
 (1)連邦政府の補助金の使途について、州や各地区の裁量範囲を拡大する。
 (2)州政府に、3年生から8年生までの「読み書き」および「数学」の統一テストの実施を義務づける。
 (3)各学校にはテストの成績の目標が示され、基準に達しない学校には連邦政府から補助金が出されるが、それでも改善されない場合は、その学校の生徒は公費で別の公立学校に転校させることを認める。また、十分な改善が4年続けて見られない学校の教職員とカリキュラムを変更することを認める。
などである。(上記サイトより引用)
 さて、この(2)および(3)の問題は、深刻である。統一テストを実施し、子供の成績が基準に達しなければ、別の学校へ転校させ、またその教職員とカリキュラムを変更するという点である。
 マスコミでもときどき話題となる某巨大掲示板では、特定の都道府県や特定の地域を名指しで笑いものにしている場面に出くわすのだが、統一テストを実施し基準に満たない学校やあるいはそういう学校を含む地域が、蔑んだ目でみられネット上で差別的に取り上げられる危険性がたぶんにある。これは教育ではない。国家ぐるみの集団的ないじめだろう。
 そもそも、勉強はできたにこしたことはないと思うが、国が決めた基準に達しなければならない理由もない。僕の母親は戦中生まれで、字の読み書きは不自由であるが、立派に商売を営み、けっこうな生活をしている。要は、生きていく力をつけていくというのが教育なのではないのか。勉強だけできればいいのであれば、公立の塾でもつくればよい。
 さて、さらに安倍氏は著書『美しい国へ』の中で、アメリカのバウチャー制度に触れているが、広大な面積と3億の人口を有するアメリカでも、教育バウチャー制度を実施しているのは、わずか3地域にしかすぎない。しかも、先に紹介したサイトに詳細があるが、学校間の競争を促し教育の質を高めるために導入しているのではなく、教育費のねん出することができない家庭に、補助金としてバウチャーを発行しているのである。
 また、この記事では、バウチャー制度の問題として、1)政教分離の問題、2)コスト高の問題、3)成果の問題を挙げている。
 1)に関しては、宗教団体が学校を運営し、その学校に人気が集まり、バウチャーが大量に使われれば、特定の宗教団体への利益供与になるのではないかといく懸念である。まったくその通りだろう。
 2)の件では、僕は教育に対してはいくらコストをかけてもいいと思っている。むしろ、公立の小中高大学まで、無料もしくは無料に近いくらいの授業にすべきだと思っている。ただ、ここでいうコストとは、バウチャー制度をわざわざ導入したのはいいが、無駄なコストばかりかかるという可能性である。
 つまり、3)でいうように、成果に関しては、イギリスではすでに保守党サッチャー政権下でバウチャー制度が導入されているにもかかわらず、現労働党政権下では、導入した当の保守党からバウチャー制度の廃止を訴える声がでているというのだから、深刻である。
 では、こうした多くの問題を含む教育バウチャー制度を、今あえて安倍政権は出してきたのか。一つのカギは、過去の記事「教育を受ける権利は、誰もが有する」に書いたようなことがあるのではないかと考える。つまり、教育の民営化、公立の学校の撤廃を狙っているのではないかということだ。
 教育基本法改正の論議がふたたび国会でなされているが、安倍内閣はバウチャー制度もごったにして、どさくさまぎれに制度化する可能性がある。要監視事項のひとつだろう。

 ※関連エントリー
 「今週の『サンデー毎日』 教育バウチャー制度編」

2006年10月31日

●今週の『サンデー毎日』 教育バウチャー制度編

 今週の『サンデー毎日』(11月12日号)は、教育改革特集だったので買った。
 ヤンキー先生こと義良氏が、「日本教育再生機構」(代表・八木秀次)などから左翼よばわりされていることや、岩波書店発行の月刊誌『世界』が、共産党機関紙『赤旗』と同列に批判されていることなど、恐ろしく偏向的な主張が語られていることなど、驚くべきである。『世界』の論調は、良くも悪くも日本の良識であり、右翼だとか左翼だとか、あるいは偏っているとか、そういう次元で語れるものではないのだが、それが一政党の機関紙と同列に並べられるとは、トンデモ見解としか言いようがない。
 さて、たいへんわかりやすかったのは、安倍氏の目玉のひとつである教育バウチャー制度が、まとめられていたことである。
 まず、安倍氏がお手本にしようとしているイギリスの教育バウチャー制度である。
 各家庭が、バウチャー=教育利用券を持っていき、自分の子供を学校に入学させるわけのであるが、各家庭が学校を選ぶためには当然その基準となる情報の開示が必要となる。その一つが、統一学力テストであるという。年に4回の全国統一の学力テストを各学校で実施し、そのランクを出す。保護者は、このテスト結果を参考にして行かせたい学校を第6希望までだす。
 もちろん、判断材料は、学力テストの結果だけではなく、保護者は学校見学やパンフ収集など、少しでも多くの情報を得なければならない。このとき、当然であるが、家庭が裕福でそうした時間のある保護者は、少しでも「良い」学校を探すことができるわけであるが、共働きをしていたり、一日に仕事を複数かけ持っている家庭、あるいは父子家庭、母子家庭などは十分な情報を得ることができない。ここでも格差が広がることになる。
 また、安倍氏は学校に競争原理を持ち込むことによって、保護者や子供にとっていい教育を提供できることになると公言している教育バウチャー制度であるが、学校間格差を広げることになるだろうことは容易に想像できる。イギリスでは、学力テストによる目標管理や学校名の公表、査察制度、成果主義的賃金体系などが、当然のことながら、各学校の格差を拡大させているようである。その結果、序列が下位の学校では、校長のなり手すらみつからず、今年は新学期が始まる1週間前ですら、イングランドだけで1300校の校長が決まっていなかったという。
 こうしたことは、まったく至極当然のことだろう。きわめて簡単に予想のできる結果である。親としては、少しでもいい環境で、いい教師がいて、学力テストの序列が一つでもいいところに、わが子を入学させたいと願うだろう。親心としては当然である。その結果、一部の学校に人気が集中することになる。また、教師にしても、人気校で働けば、給与はいいが、不人気校では同じ仕事をしても、給与が下がるなれば、いい教育の提供などできようがない。そして、そういう学校にしか通えない子どもたちの夢や希望は閉ざされてしまうだろう。
 記事の最後で、民主主義の強固なイギリスでは、各学校の自由と自主性がかなり確保されているのに対して、日本では「命令にどれだけ忠実かを査察するような監視・統制的なものになる可能性が高い」(佐貫浩・法政大教授)と、締めくくっている。
 まったくそのとおりだろう。

2006年10月30日

●全世界に存在するニートって誰?

 ILOが、ニートと呼ばれる若者が、世界で少なくても2000万人はいるとする報告を出した。この記事をみて、職に就けず職探しをあきらめる若者が世界的に存在するということは、歴史的なことであり、慢性的過剰人口を現代社会においてニートと表現しているのではないかと感じた。
 科学技術の進歩により、ITといわれる産業が急速に発展することによって、人間が「働き手」となしうる部分が恐ろしく減っている。今まで人間がおこなっていた仕事のかなりの部分を、機械とパソコンがおこなうという構造になっている。つまり、人はいらないのだ。
 このことにより、社会が雇いうる人口は激減し、慢性的な過剰人口を生み出す。雇われない人間があふれるのである。現代社会では、こうした歴史的社会的人口をニートという言葉でごまかしている、あるいは、ニートという名前をつけることによって、その人たちの責任にしているのではないだろうか。
 そもそも資本主義の発展において必然的に発生する過剰人口は、その始祖であるイギリスの蒸気機関による機械化=労働者の排除からすでにはじまっていた。世界史の教科書にある機械打ちこわし運動(ラッダイト運動)などは、その典型ではなかったろうか。
僕は、いままで、ニートという言葉の意味がよく分からなかったのだが、もしこれが、慢性的過剰人口を表すのであれば、いっきにそのなぞの言葉は解ける。そして、もし、そうだとしたら、これは経済構造のもたらす歴史的で社会的な大問題といわざるをえない。
 さいごに、Wikipedia「ラッダイト運動」より引用

   海の彼岸の自由な若者は その自由を、安価に、血潮で購った。
  われわれ若人も、自由に生きるか、さもなくば死を賭して戦おう。
  そして国王ラッドのほかはすべての国王を打ち倒そう!

◆世界の「ニート」、2000万人――ILO推計
「『ニート』と呼ばれる若者は世界で少なくとも2000万人」――国際労働機関(ILO)は29日、世界の若者の雇用情勢に関する報告書を発表、職探しをあきらめ、学校にも通っていない若年層の増加が各国共通の現象とする推計を明らかにした。ILOはこうした若者らが「労働市場に溶け込めず、社会に役に立たない存在になりかねない」と強い懸念を示している。
2006-10-30 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
2006年10月26日

●06年10月衆議院補選の見方

 10月22日におこなわれた衆議院選挙2補選の結果について、マスコミは、この2補選を自民党の圧勝、安倍内閣の信任などと軽口をたたいているが、本当にそうなのか。この2議席は、もともと自民党が持っていた議席であり、本来的に言っても、自民党が勝って当たり前である。勝てる試合に勝って、「圧勝」「信任」のへったくれもない。むしろ、1議席でも負けることがあれば、それこそ「惨敗」「不信任」が突きつけられたといえるのであり、勝てる試合に勝っても、それ以上分析しようがない。したがって、補選関連の記事は、特に書かなかった。
 ところが、日本ジャーナリスト会議のメールマガジン「JCJふらっしゅ」1208号で、この補選の結果について、鋭い切り口で分析している。『Y記者の「ニュースの検証」』がそれである。全文、非常にいい論文なので、関心のある方は、ネット上に公開されている当該記事を読んでいただきたい。
 僕が紹介したいのは、その中で触れられている得票数の問題である。
 神奈川16区の確定得票数を、1年前の衆院選と比べてみると、今回の選挙では、
  投票率47.16%(昨年9月の衆院選64.77%=17.61ポイント減)
   当109,464 亀井善太郎  自新 <1>推薦[公]
     80,450 後藤 祐一  民新 推薦[国]
      9,862 笠木  隆  共新
 で、05年9月の衆院選の得票数は、
   当 159,268 亀井 善之  自民 前
      87,991 長田 英知  民主 新
      21,504 桧山 千里  共産 新
 となる。
 Y記者の切り口の優れた点は、1年前の得票数を基準にして、投票率を掛け合わせたとき、今回の得票がどう動いているかを見るという点である。
 すると、今回投票率が17.61%減っているので、1年前の自民党候補者の得票数から換算すると、今回は13万1200票ほど取れる計算となる。対して、民主党候補者は、72500票となる。つまり、本来とれるはずの票に対して、当選した自民党の亀井候補は、22000票近く下回り、対する民主党候補は、8000票近く上回っているのである。
 もちろん、選挙は、勝ってなんぼであり、1票でも多くとり当選すれば勝ちなのだが、最初にも書いたように、この選挙は、自民党が勝って当たり前の選挙である。自民党が勝つことを前提にすれば、自民票が22000票を落としているという点は、重大である。つまり、自民党=安倍内閣に風など吹いていない、有権者は安倍内閣を積極的には支持していないことを表している。そして、民主党は、本来取れる票から8000票も上乗せしているのである。ちなみに、共産党の9862票は、Y記者も書いておられるが、知名度不足からくるもので、この神奈川16区における共産党の基礎票と考えていいだろう。
 また、同様に大阪9区についても同様に見てみる。
 大阪9区の確定得票数は、
  投票率52.15%(前回67.56%=15.41ポイント減)
   当111,226 原田 憲治  自新 <1>[公]
     92,424 大谷 信盛  民元 (2)[国]
     17,774 藤木 邦顕  共新
 05年9月の結果は、
   当142,243 西田 猛    自民 前
    111,809 大谷 信盛   民主 前
     27,347 榎並 憲治   共産 新
 であり、投票率が15.41%下がったことを考えると、自民候補は、120000票の獲得、民主候補は94600票あまりとれるはずである。しかし、今回の選挙では、自民党候補は、8000票以上下回り民主候補は2000票ほど下回る結果に終わっている。大阪では、自民、民主両党とも有権者は、支持していない状況が見て取れるが、それでも勝てる選挙で、自民候補が本来取らないといけない票を8000も落としていることは注目に値する
 さて、大阪の選挙では、明白となったが、重要なことは、庶民の立場に立って、投票するに値する政党がないことではないか。自民党は言うまでもなく、民主党は、第2自民党であり、保守系リベラルどころか、若手を中心にタカ派の政党である。もちろん、旧社会党や旧社民連の議員がいるので、なんとなく庶民の味方っぽく見えるが、そんなものは目くらましだろう。
 本格的な労働者の政党の誕生を待つばかりである。

2006年10月25日

●NHKの歴史を否定する暴挙

 菅総務相が、NHKへ「拉致問題を重点的に取り上げるよう」命令を出す方針を決めたよう。
 これは、きわめて危険なことであるし、またNHKが国営放送ではなく、なぜ日本放送協会であるのかという歴史性を無視する暴挙であるといわざるを得ない。
 60年前、国営放送は、戦局を大本営発表として、政治的にウソの情報を国民にたれ流し、多くの国民を戦争へ駆り立てていった。戦前日本の国営放送のあり方は、北朝鮮の国営放送とまったく同じで、都合の悪いことは取り上げず、さらに真実すらもねじ曲げ、国民を煽動する機関であったのである。
 戦後日本は、こうした状況を反省し、国営放送を解体し、広く国民から理事を召集し、運営する放送協会としてスタートした。もちろん、この理事を選ぶのも、かなり恣意的で偏っていると僕は思うのだが、いちおう形式としては、政府や政党から独立した放送局として、この60年間放送を続けてきたのである。
 しかし、NHKが、総務相の命令を受け入れれば、この独立性は破壊され、再び政府や与党の都合のいい放送局として使われていくことになるだろう。北朝鮮の国営放送と肩を並べる御用メディアになることは、容易に想像できる。
 NHKで働く良心的な労働者は、ぜひとも組合運動として激しく抵抗していただきたい。60年前の過ちを二度と繰り返さぬように。

◆拉致問題の放送、NHKに命令へ・総務相方針
 菅総務相は24日、NHKの国際ラジオ放送で拉致問題を重点的に取り上げるよう「命令放送」を出す方針を明らかにした。
2006-10-24 NIKKEI-goo 『日経ニュースメール』
2006年10月24日

●経済発展の通る道

 僕が、子どものころ、つまり70年代半ば、大阪の水質汚染や大気汚染はひどかった。たぶん、大阪だけではなく、東京や名古屋などもひどかったとおもう。
 川は、工場廃液で汚れ、薬品の悪臭で満ち、電車で川のうえを通るときには息をせずにこらえていた。大阪湾も、コーヒー色をしていて、それはそれはひどかった。
 経済的な発展というのは、数字だけみるとなんだかスゴイような気がするのだが、多くの労働者の命を奪い、健康被害を与えたにちがいない。
 さて、すさまじい勢いで経済成長をする中国であるが、そういうニュースを聞くたびに、工業地帯周辺住民の健康や生命、あるいは工場で働く労働者の健康問題など、また水質汚染や大気汚染など公害問題などは深刻だろうなと、思っていた。
 そんななかで、中国・経済特区の深セン市が環境対策をとることを決定したようである。深セン市における公害問題がどれほど深刻なもので、この対策がどの程度実行性のあるものか分からないが、深セン市および中国政府には、経済発展を遂げた国で、深刻な公害問題が発生し、尊い人間の命や健康被害うけた人が数えきれないほどいるという歴史からの教訓を真摯に学び、同じ過ちはくりかえさないようしていただきたい。

香港に青空は戻るか

発展著しい中国・深セン市政府はこのほど、向こう5年間の環境対策を盛り込んだ「深セン市治汚保潔行程行動計画(2006~2010年)」を発表しました。300億元(約4,500億円)を投じ、大気と水質を改善させる294項目のプロジェクトを推進するそうです。(10/17付The Daily NNA香港・華南版)

大気汚染対策としては、7億元を投入して媽湾発電所に脱硫装置を導入したり、5億元で月亮湾や宝昌などのガソリン発電所を天然ガス発電所に転換する計画。これにより深セン当局は、年間で二酸化硫黄3万トンと二酸化窒素46,000トンをそれぞれ削減できると予想しています。

この恩恵に授かれると期待しているのが大気汚染に苦しむ香港なんです。環境保護団体のグリーンパワーは、珠江デルタ地区の工場と発電所からの廃棄物が香港の空の汚
れの一大要因と主張。特に西北風が吹く季節には、深セン西部にある発電所の二酸化炭素が香港に大量に流れてくるようです。なので、深センの計画が香港の環境改善に大きく寄与するとの期待は高まるばかり。はたして香港に青空は戻ってくるのか。計画の成り行きに注目です。

2006.10.23(月) NNA BUSINESS MAIL

2006年10月20日

●人民から搾取・収奪を強化する中国共産党

 中国の国内総生産が、前年同期比で10.7%増加、景気減速の要因もなく4年連続で2ケタ台の高成長の可能性が大きいという。
 こうしたすさまじい経済成長は、何によってもたらされているのか。自らの国の人民を安い賃金で、しかも劣悪な環境で働かせ、搾取を強化しているからに他ならない。
 中国の正式名称は、中華人民共和国であるが、国家が人民に強搾取を強制する国は、人民共和国とはいえない。人民の手に政治を取り戻し、人民が自らの平和と幸せのために、自らの手で国を建設するのが、人民共和国の本質ではないのか。そして、さらには、国家という装置を廃絶していくというのが目的ではなかったのか
 ところが、現実には一部の特権階層が富と権力を握る国へと変節しているようである。中国共産党は、すぐに中国自由民主党と名称を改め、一部の特権階級が自由に金もうけをすることができ、民主主義を目指すと宣言すべきだろう。これで、世界の名だたる民主主義国(アメリカやイギリス、フランス、そして日本など)の仲間入りができる。さらに国名から人民という言葉をとり、代わりに民主をいれて、中華民主共和国としてくれると、ますます国名を聞いただけで、どのような政治体制の国かよくわかる。ああ、アメリカや日本のような国なんだなあと。
 ぜひ、中国指導部へ提言したい。

◆中国、1-9月は実質10.7%成長

【北京=吉田忠則】中国国家統計局は19日、1―9月の国内総生産(GDP)が実質ベースで前年同期比10.7%増えたと発表した。過熱が心配された建設投資は伸びがやや鈍ったが、貿易黒字が過去最高の昨年をさらに6割も上回り、成長率を押し上げた。今後も景気は減速せず、4年連続で二ケタの高成長になる可能性が大きい。
2006年10月19日『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
2006年10月19日

●いじめは人間の本質か

 仕事がら、なかなかテレビもみれないので、情報はもっぱらメールマガジンで仕入れるのだが、そのうちのひとつ『週刊メールジャーナル』(2006/10/18 No.356)で気になる記事があった。「いじめによる自殺報道は学校社会の本質を見ていない いじめのない学校なんてあるはずがない」という題で、このメルマガを編集発行している川崎氏の記事だ。
 この記事を、僕なりに要約すると、学校でのいじめというのは学校のみならず、人間の本能である。したがって、学校ではいじめはとうぜんのこととして、教師の研修などはじめ対処しなければならないというものである。
 僕は、観念論の立場をとらず唯物論の立場をとっているので、現実社会からすべての問題を考える。そうすると、学校でのいじめが現実に存在する以上、それをふまえて、教育現場は対応すべきだと思うし、実際にもそうしてきたのではないかと思う。
 が! いじめが「人間の本能であるから、当然いじめはある」というには、強い違和感がある。
 川崎氏は、野生動物を例にとり、
 「つまりは、自己の生存権のために、魚類や野獣が、自分の縄張りを守るために他者を追い出そうとたたかう本能と、ほとんど同じ行為なのである。」
 というが、こうした自然科学における「法則性」を、安易に社会科学に当てはめるのは、ナチスの方法に類似し、社会ダーウィニズムにも通じるきわめて危険な方法である。
 具体的にいうと、「魚類や野獣が、自分の縄張りを守るために他者を追い出」すというのは、誤りである。正確にいうと、都合のいいところだけを抜き出して、事実をねじ曲げている。最近はやりの言葉でたとえると、世界で最強最悪の物質「ジハイドロジェン・モノオキサイド」(和名:一酸化二水素)問題と同じく、嘘をつかなくても、ある事実を意図的に隠すことによって、見方が変えてしまうという効果をもたらす。
 さて、イワシが泳いでいる水族館にいけば、すぐにわかるが、小型の魚は自らの身を守るために群れをなす。けっして、仲間内で「縄張りを争う」などということはしない。あるいは、クジラの仲間でも複数のメスが群れをなし、子育てをする種がある。この場合などは、明らかに助け合って種を保存するという知的行動がみられる。
 哺乳類は、脳の発達から知的な行動をするケースが多数みられるが、太古の時代からヒトとともに生きてきたイヌもそうだろう。群れをなし、リーダーを先頭に助け合いかばいあいながら生きる。もちろん、次期リーダーを決める争いやメスをめぐる争いはおこるが、これはいじめとは次元が違う。
 では、この記事でいう「縄張りを争う」ことはないかというと、主に群れをなさない動物には確かにみられる。たとえば、ネコ科の動物など典型だろう。あるいは、魚類でいうとアユなども有名だ。
 しかし、縄張り争いをする動物がいるといっても、相手を殺すまでには至ることはない。ましてや、生物界において最も知能の発達した人間が、なぜ縄張り争いをして、相手を死に至らしめる必要があるのか。
 そもそも、川崎氏は、「本能」などという言葉を簡単にヒトに使っているが、ヒトほど本能から遠ざかった、あるいは本能という呪縛から解き放たれた生物はいないのではないかと考える。それは、高度に発達した知能だけがもたらすことである。
 つまり、いじめの発生と撲滅とは、この高度に発達した知能をもってすれば、かならず解決できるはずである。逆に、もし、川崎氏のいうように「縄張りを守ろうとする」ような本能がヒトに存在するなら、ヒトはもっと動物的であっただろう。つまり、ヒトの主な行動は他の動物と同様に、食欲という自己の保存と、性欲という種の保存のみに。もっとも、そうであったなら、いじめの問題はおろか、環境問題もエネルギー問題も、さらには同種が殺しあうという戦争の問題も存在しうるはずもなく、その方がよかったのかもしれないが。

●どこかで聞いたような。。。北朝鮮外務省の声明

 北朝鮮外務省が、17日、国連の制裁決議に対して「米国の脚本に沿った宣戦布告」という声明を発表したらしい。その内容は、
 「堂々とした核保有国になった現在、われわれが圧力や脅しに屈することはあり得ない」「われわれは平和を望むが、戦争を恐れない」
 というものであるという。
 なんだか、前の記事に書いた自民党・中川政調会長や安倍首相の言ってることと同じではないか。
 「中国や韓国の圧力には屈しない」「断固として報復する」「非常事態もありえる」などなど。
 この2つの国の政治の共通点は何か。それは、政治の破綻と解決の方向性ではないか。
 かの国・北朝鮮は、独自の主体思想なるエセ社会主義政策をとってきた。それがソ連の崩壊や中国の資本主義化、追い打ちをかけるようなアメリカからの圧力によって破綻した。この政策の失敗を真っ正面から解決しようとせずに、外部に敵を作り国民の怒りの矛先を、政治指導部に向けないように仕向ける。テポドンやノドンなどのロケット実験、つづく核実験など、その典型だろう。
 対し、この国・日本は、自民党による土建政治の破綻によって、国と地方は、いまや1000兆円という、天文学的(まさに天文学でしかでないような数字。。。)巨額の赤字を抱え、瀕死の状態である。これを乗り切るために、外に敵を作り、政治責任を自民党に向けないように仕向けている。
 消費税を20%にしてでも、なくさねばならない1000兆円もの赤字を生み出したのは、いったい誰か。北朝鮮か、中国か、それとも韓国なのか。イヤ、自民党の政治の結果だろう。本当に、この責任を感じるのであれば、議席が最大であっても、下野すべきである。それが、まだましな責任の取り方ではないか。もちろん、下野したからといって、1000兆円の赤字が減るわけではなく、今なお、僕も含めて国民(いや国民だけじゃないワナ、外国人を含めた日本に住むすべての人々)の肩に重くのしかかり、いつかはその責任をとらされるのであるが。。。
 この国、かの国、政策の方向が全く同じであることは、当事者としては、もう笑うしかない。

2006年10月18日

●北朝鮮が核実験に至った責任は誰にあるのか。

 『JCJふらっしゅ』1203号の「Y記者の「ニュースの検証」に興味深いデータが載った。韓国KBS第1ラジオの世論調査で、北朝鮮の核実験の責任はどの国にあるかというものである。
 これによると、責任が多いとするトップが「米国」43.4%、次に「北朝鮮」37.2%と続く。なんと、この調査では北の政治に対する責任よりも、米国の政治の結果と受け止めている人々の方が多いのである。つづいて、「韓国」13.9%、「中国」2.4%、「日本」1.0%となる。
 韓国と米国の関係は、僕が思うに友好以上のものがあると考える。誤解を恐れずにいえば、米国は韓国を生み出した国といっても言いすぎではないか[と思っている。両国は、あまりにも密接であり、韓国ウォンは米ドルと連動するし、韓国内には米軍も多数存在する。
 反対に、韓国と北朝鮮はいまだに交戦状態にある。朝鮮戦争は、継続している関係にある。そのことは、いろんな意味で、韓国の人はわかっているだろう。とくに韓国は徴兵制をとっているので、現実の問題として、北朝鮮が「敵国」であるという思いは、日本に暮らす僕が感じる以上のものがあると思う。
 その韓国の人たちのかなりの部分が、北朝鮮の核実験の責任は米国にありと考えているというのは、非常に重要であると考える。少なくても、「北から核が飛んでくる」とか「戦争も辞さない」などと、反応している日本の世論と比べると、非常に冷静であることがうかがえる。逆に考えると、日本の政治家やマスコミのヒステリックさかげんがよくわかる。北朝鮮指導部と同じくらい危うい気がする。といっても、僕は小泉や安倍の政治よりも、金正日の政治力の方がはるかに上だと考えているが。。。良い悪いは別にして、小泉劇場と安倍ぼっチャンの政治など、とてもやないが政治とはいえない。
 僕は、先の記事にも書いたように、核の平和利用などありえないという立場であるし、日本は当然のことながら、どのような国であっても、核実験や核兵器開発などは許してはならないという立場をとっている。したがって、今回の北朝鮮の核実験も断固として反対の立場である。
 しかし、だからといって、地上で200回以上も核実験をやっているアメリカに北朝鮮を非難する権利があるとは思えない。また、北朝鮮に核のカードを使わせた関係諸国の責任も大きいだろう。歴史にもしなどないが、もしブッシュ政権が誕生せずに、クリントン政権が続いていたら、ここまで北朝鮮を追い詰めることもなかったように思わざるをえない。

□■北朝鮮「地下核実験」報道(2)

 北朝鮮「地下核実験」をめぐる韓国人の世論動向がわかった。

 KBS第1ラジオの時事番組が、11日から2日間にわたって、全国の19歳以上の男女500人を対象に電話アンケートを実施した。多くの韓国人が、北朝鮮の核実験は米国の責任が大きいと考えていることが分かった。



<責任が大きい国>

「米 国」43.4%

「北朝鮮」37.2%

「韓 国」13.9%

「中 国」 2.4%

「日 本」 1.0%

核実験は米国の責任が大きい、韓国人43%が認識(YONHAP NEWS)

『JCJふらっしゅ』10月17日 1203号

●日本も核武装で反撃するぞ――自民党・中川政調会長

 自民党の中川昭一政調会長が、15日のテレビ番組で、
 「(日本の)憲法でも核保有は禁止されていない。核があることによって(他国から)攻められる可能性が低くなる。あるいは、やればやり返すという議論は当然ありうる。当然、議論はあっていい」「(北朝鮮は)撲滅しないといけない」
 などと、発言したらしい。
 大問題である。なぜ、マスコミは、大騒ぎしないのだろう。「核保有は禁止されていない」というが、非核3原則との関係ではどうなのか憲法に「核は持たない」と書いていないからといって、持って良いことにはならないだろう。そんな論理が通用するなら、生物兵器だってサリンなどの化学兵器だって、憲法には「持つな」とは書いてないから、持てるのか。
 そもそも、憲法というのは法律の背骨をなす重要な法体系であり、いちいち細かいことなど規定しないし、また規定する必要などない。細かいことを規定してしまったら、時代の変化とともに、変えないといけなくなってしまい、憲法である意味がない。イギリスの憲法体系に、なぜ1688年の名誉革命時の権利章典(300年以上も古い!)が含まれているのか。それは、新しいとか古いとかというような表層的にとらえるものではないからではないか。
 いずれにせよ、日本も核兵器を持ち、やられたらやりかえせなどというようなやくざのような、いや世界を核対核の無限連鎖で破滅させるような醜悪なテロリスト政治家は徹底的に弾劾しなければならない。

※参考 『日経新聞』「社説 不見識な中川氏の核発言(10/17)」http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061016MS3M1600316102006.html

2006年10月13日

●岩上安身解説「北朝鮮による日本への核攻撃のメリット」

 今日は、休みだったので、ひさびさに生で報道番組を見た。
 関西テレビ(フジサンケイグループ)の夕方の報道番組「スーパーニュースアンカー」で、岩上安身氏(この番組ではじめて知った)が、北朝鮮による日本への核攻撃にはメリットがあるというので、「おっ、何をいうかな」と期待して耳をかたむけた。
 米国防関係者から直接聞いたと、前置きを置きながら解説が始まった。
 はじめは、何を言っているのかよく分からなかったのだが、要は、北朝鮮が日本と韓国を核で壊滅させてしまえば、アメリカは、48時間以内に報復攻撃をして、北朝鮮は壊滅させられてしまう。しかし、その後、アメリカは、日本と朝鮮半島復興のために、莫大な資金が必要となり、アメリカの資金を持ってしても不可能である。そのとき、アメリカは、朝鮮半島は捨てて日本のみの復興に取りかかるという。そこを狙って、日本だけでも壊滅させれば、アメリカは、日本復興でかかりきりになり、その間、北朝鮮は韓国に軍事侵攻し、統一を成し遂げるのだというのだ。
 あまりにも、バカげている。前置きとして、自分の意見ではない、米国防関係者の意見だと、逃げを用意しての発言とはいえ、こういう3流の映画にしかならない筋書きを、公のテレビで放送してもいいのだろうか。
 だいたい、北朝鮮の軍事力で、日本や韓国を壊滅させることができるのか。そんなことは妄想にすぎない。岩上氏は、「だから核兵器や大量破壊兵器が必要なのです」ともっともらしいことをいっているが、じゃあ核保有国のイスラエルやインド、パキスタンは、核兵器でもって対立している国を壊滅させたことがあったか。核兵器を持つだけで、国を壊滅させることができるのであれば、いまごろイスラエルは、中東各国を壊滅させて、大イスラエル帝国を築いていることだろう。
 しかも、アメリカが日本復興にかかりつけになっている間に南進なんていうが、韓国の軍事力は、北朝鮮の10倍にもなる。もちろん、日本の軍事力は世界でもトップクラスであるが、そうした国をどのようにして、北朝鮮が制圧できるのか。しかも、制圧したあと、どう統治するのか。
 岩上氏の話は、非常にわかりにくかったのだが、大きな特徴は、アメリカと日本が中心になっていて、韓国の主体がまったく語られないのである。ここが大きなペテンであろう。韓国からの北朝鮮への反撃をまったく意図的に無視して、「北の恐怖」を煽っているのである。
 しかし、フジサンケイグループも、こんな3流作家しか評論家として雇うことができないとは、情けない。

2006年10月08日

●市長は、政教分離を理由に、神社の例祭出席を断るべきか


 奈良の生駒市長が、往馬(いこま)大社の「往馬の火祭り」への参加を断った。山下市長は、理由として「例祭での拝礼と玉ぐし奉納が宗教的活動にあたり、政教分離原則に反する」と説明している。
 この判断が、いいか悪いかはともかく、僕は、非常にすばらしい市長であると思った。それは、彼が弁護士であり、自らの法に対する責務を忠実に守っているという点を評価したい。もし、弁護士でない市長であれば、「あらっ、まじめな人もいるモンだ」と思うところであるが、こんな弁護士がいるというのは、本当にすばらしいと思う。
 生駒市では、山下市長は、少数派なので、議会ではたいへんである。
 かつて、大阪で、東大阪市長に共産党員の市長が誕生したときは、本当にたいへんであった。議会の多数が、野党であり、自民党をはじめとする野党が、くだらないことを延々と文句をつけ、議会が半年以上(正確な日数は忘れました、、、)にもわたって開かれないという状況が生み出されたことがあった。議員というのは、市民のために働くのが当然であり、共産党市長が自分の思想信条に反することを言えば、堂々と反対すべきであるが、反対のために反対をおこなう野党議員には、「日本という国は、本当に田舎やな。近代民主主義のかけらすらない。代議士という意味を分かってんのか」と、怒りを通り越して情けない気持ちになったものだが、生駒市では、そこまで酷くはないものの、ある意味、同じような状況がおこっている。
 野党が、議会の多数派であるということ自体、たいへんなのに、往馬大社という非常に立派な神社の「往馬の火祭り」に参加しないことは、また野党諸派から攻撃を受けるだろうが、それも引き受けてのことだろう。
 ぜひ、がんばって欲しい。

 奈良県生駒市の山下真(まこと)市長(38)が、8日に往馬(いこま)大社(谷野浩重宮司)で開かれる「往馬の火祭り」への参加を断っていたことが分かった。弁護士でもある山下市長は、理由を「例祭での拝礼と玉ぐし奉納が宗教的活動にあたり、政教分離原則に反する」と説明。鎌倉時代から続く伝統行事だけに祭り関係者から「杓子(しゃくし)定規に考えなくてもいいのに」との声も出る一方、専門家の間でも意見は分かれている。
……
 奥村文男・大阪国際大教授(憲法学)は「公費を支出するとしたら問題だが、特定の宗教を利用したり圧迫したりする事例とも考えられず、社会的な儀礼として参拝することは問題ない。市長は神経質になっているのでは」と話す。一方、横田耕一・流通経済大教授(憲法学)は「参拝は明らかに政教分離に反する。市長の判断は妥当ではないか」と理解を示している。
毎日新聞 2006年10月7日 18時27分
2006年10月06日

●「愛国心教育」を押し付けることは、まともな政治をやっていない証明である

 「愛国心教育」を押し付けることは、まともな政治をやっていない証明である――佐高信氏の言葉である。ぜひ、安倍首相に、この言葉の意味をかみしめてもらいたい。
 安倍氏の著書『美しい国へ』を読むと、彼自身とてもコンプレックスの塊のようである。だいたい、「自虐史観」という言葉自体、その裏に異常なコンプレックスというか敗北感というか、自信のなさを感じるのだが、安倍氏の敗者意識はどこからきているのだろうか。
 日本各地には、美しい景観を保っているところはたくさんある。自我自賛であるが、僕が住んでいるところも、非常に美しいと思っている。空は澄みきり、風は爽やかで、朝には小鳥がさえずり、夜になると、カエルの鳴き声や虫の音が静寂の中にひびく。ここはけっして田舎ではないが、豊かな自然がある。また、近くのお店の人の人情も温かい。
 安倍氏は、『美しい国へ』の中で、アメリカの工場が雑然としていたことに驚いたとあるが、むしろ逆なのではないかと思う。工場にせよ、スーパーマーケットにせよ、庶民の生活する場所でこれだけ美しく保たれているのは、世界広しといえども、日本ぐらいでないかと思う。安倍氏には、一度お忍びでヨーロッパの町中のスーパーやショッピングセンターにいってみたらと思う。どんなに自然のままか(笑
 安倍氏をはじめ、つくる会教科書を支持する人たちや靖国参拝を支持する人たちのネット上での書き込みをみると、本当にかわいそうな気がしてならないのだ。一体、成育史において、どれほどまでにみじめな思いをしてきたのか。多くの人から愛されて育ったのであれば、少しは人に対する思いやりというものが、もう少しあってもよさそうなものである。
 まあ、それはともかく、佐高氏の「安倍首相はストーカーと変わらない。国民に『愛してくれ』とつきまとっているのです」という言葉は、思わず納得してしまった。

 「『愛国心教育』を押し付けることは、まともな政治をやっていないことの証明です。愛される国にしている自信があれば、法律を定めてまで国民に『この国を愛せ』とは言わないでしょう。安倍首相はストーカーと変わらない。国民に『愛してくれ』とつきまとっているのです」(佐高信氏=前出)
『日刊ゲンダイ』10月5日

●株式会社による学校経営について考える

 ついに、全面的に株式会社による学校経営が始まりそうである。このことによって、何が起こるであろうか。
 株式会社というのは、株主が出資・投資し成り立つ会社である。とりわけ上場すれば、株式市場で自社株の売買を行えるために、資本の調達ができる。しかし、逆にいうと、それまで、創業者のものであった会社=My Companyは、多くの株主のための会社=Our Companyとなる。
 創業者と役員が動かせる会社は、その経営者の理念がそっくりと反映されやすい。ところが、Our Companyとなった途端に、多くの株主の利害を追及しなければならなくなる。出資してくれている株主に損をさせない、さらに配当金として利潤を分配しなければならず、理念よりも金もうけ優先になりがちである。
 こうした株式会社が、教育業を営むということは、理念よりも儲けが勝ってしまう可能性がある。
先の記事『教育を受ける権利は、誰もが有する』で、政府の教育を民営化するという方針について書いたが、当時の大蔵省が危惧するように、儲けを追及するあまり迎合的になったり、サービス過剰で、低俗な教育機関になる可能性は、十分にあるだろう。すでに、最近開校した私立中学校では、報道でみる限り、かなりサービス過剰気味な気がした。これが、株式会社化すれば、授業料だけでなく、市場からの資金も合わせ、その潤沢な資本を元にホテル並みのサービスを兼ね備えた、しかもエンターテイメント性に富んだ学校=公教育が誕生するかもしれない。
 ただ、裕福な層がこうした学校に通わせるのは勝手である。むしろ、どうでもよい。問題は、公教育がこのような過程を経過しながら、民間に移行していくことだけは、絶対に阻止しなければならないとおもう。公立学校自体の維持存続と公立学校での質の高い授業の維持発展は、なされないといけない。現場の先生方は、大変だろうが、ぜひ奮闘していただきたい。

◆株式会社の学校経営、全国解禁を検討・政府
政府は株式会社による学校設立で、全国解禁の検討を始める。土地・建物の所有を義務付ける学校設置規制の撤廃も論議。
2006-10-05 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
2006年10月04日

●教育を受ける権利は、誰もが有する

 科学教育研究協議会(科教協)編集の『理科教室』9月号の「科教協だより」に、東大阪市の小学校教諭の三上周治氏が、「教育基本法の改正は教育民営化の準備である」と言っておられる。
 そこで、氏は、1986年に出された大蔵省委託研究の「ソフト化社会の家庭・分化・教育 -今後21世紀に向かって日本の教育システムはどのような方向に進むべきー」という報告書が紹介されている。
 そこでは、次のような信じがたいことがまとめられている。
 ・21世紀は、国家は教育を提供しない。
 ・多様なニーズに応じて、民間が供給する自由で競争的な教育
 ・学校は、教育企業的な性格を持つ

 としている。
 さらに、予想される問題点として
 ・競争の激化に伴い、需要迎合型の低俗な教育の出現
 ・教育に関心をもつ階層とそうでない階層との分化が起こる

 と報告しているという。
 さて、この報告書が出されたのは20年も前であるが、現実をみたときいったいどうだろうか。僕には、この報告書通りに教育行政が進んでいるとしか思えない。明らかに、国はみずからの責任において、教育を果たしていく義務を意識的に放棄している気がしてならない。
 たとえば、現在、小学校や中学校で使われている教科書をみれば、いかに内容が薄いかよくわかる。どの教科もそうである。
 小学校における英語教育の導入などが論議されているが、中学校の英語の教科書の貧弱さをみれば、むしろ中学校における英語教育の充実が重要である。さらに言えば、聞いたり話したりすることがきわめて苦手な子どもが増えてきていることを考えれば、小学校では何がなくても日本の読み書きの訓練が最重要課題であることはいうまでもない。
 さて、公教育のサボタージュの結果、今、子どもたちの学力は、私学と塾に一任されているといわざる得ない。しかし、こうした公立の小中学校の軽視の傾向は、上記のレポートを読む限り、偶然ではなく必然なのだろう。政策的に行っているといわざるえない。現場で働く、公立学校の教師の方々には、悔しい思いをされていることだろうと強く思う。
 さて、政策的におこなっていると考える理由は、まず第一に、科学技術の進歩による労働者過剰の問題の解決である。
 技術が高度に発達すればするほど、人手はいらない。そこで、教育に関心のない層やあっても経済的に教育に支出できない層の子どもたちは「自己責任」の名の元に切り捨てることができる。つまり、雇わない理由ができる。
 二つに、日教組や全教などの労働組合潰しが目的としてあるだろう。
 86年といえば、中曽根が首相のときで、当時日本列島を浮沈空母にするだとか言っていた。その中曽根が戦後政治の総決算として、労働組合潰しを画策したのは記憶に新しい。
 現JRは、当時国有鉄道であった。日本国内でもっとも土地をもつ会社であった。しかし、この国民の財産というべき国鉄を民間に払い下げた。
 その目的として、中曽根は「国労をつぶすこと」とのちに述懐している。
 国鉄の最大の労働組合であった国労は、この結果、大きく縮小したものの、しかし中曽根が目指した壊滅には至っていない。ただ、力は大きくそがれ、さらに国労とともに政府のめのうえのコブであった郵便労働者の組合である全逓や教員の組合である日教組は反権力として闘う気概をそがれたのである。
 結果、郵便は民営化に一歩一歩近づいている。次は、教育の民営化であろうことは、簡単に想像できる。
 日本は識字率が世界でもっとも高い文化的な国であるが、10年後には、文字の読み書きができない人がアメリカ並みに増えているかもしれない。
 そのとき、犠牲になるのは、いつも決まっている。社会的な弱者である。
 再チャレンジ? ふざけるなといいたい。チャレンジできない、夢も希望もない社会をつくってきたのは一体誰か。自民党の政治ではないのか。
 こうした政権は、さっさと終わりにしてしまわないと、庶民の生活は、アメリカ並みに早晩崩壊させられる。

2006年10月03日

●原子力発電所のさまざまなリスク

 winter-cosmosさんのブログ「緑の森を楽しく歩いた」の記事を読んで思ったのだが、原発の存在というのは、きちっと考えていかないとダメだと思う。
 もちろん地震の問題は、大きな問題である。日本列島は、海洋プレートの端に存在し、太平洋側では巨大な地震が起こるし、日本海側でもひび割れ=活断層が無数に存在しているわけで、地震が起こらない場所など日本ではあり得ない。
 また、活断層が引き起こす地震のエネルギーは、プレートが動く地震に比べはるかに小さいとはいうものの、直下型で震源が浅ければ、阪神淡路大震災なみの地震がおこる。
 阪神淡路大震災のとき、僕は学生だったので、ボランティアとして、現地によく足を運んだのだが、木造住宅はペシャンコになり、巨大なビルが倒れている姿には、あいた口がふさがらないほどの衝撃を受けた。
 実感としては、いくら原発の建物が頑丈につくられていたとしても、地球の持つ自然のエネルギーには対抗できないと思わざるをえない。
 さらに、話はそれるが、地震より僕が怖いと思っているのは、原発施設の老朽化問題である。なぜなら、原発の建て替えは不可能だと考えているからだ。
 原発施設から出るゴミは、核廃棄物である。燃やすわけにもいかなければ、簡単に捨てるわけにもいかない。核施設で働く人たちの放射能の防護服などの低レベル廃棄物さえ処理に苦慮しているというのに、巨大な原発が核廃棄物になったとき、その処分はどうするつもりなのか。多分、現在稼働している原発は、壊すことができないのではないだろうか。すくなくても、現在、日本で稼働している原発のほとんどはかなり老築化しており、事故多発の可能性は捨てきれないし、感覚的には20年前に比べ、10年ほど前からトラブルや事故が増えているような気がしてならない。
 地震にしろ、事故にしろ、原発の抱えるリスクは途方もなく大きい。
 滋賀県栗東市の無駄な新幹線の駅などつくるくらいであるなら、税金で各家庭に太陽電池パネルを無償で設置すべきだろうと思う。そして、電力会社の発電量を減らし、順次原発は廃炉にしていかなければならないのではないだろうか。
 後悔は先に立たない。大きな事故が起こってない今のうちに、エネルギー政策を大きく転換してもらいたい。
 安倍首相には、この問題で「闘う政治家」ぶりを発揮してもらいたい。

2006年10月02日

●広島、長崎、そして沖縄が平和の要

 「JCJふらっしゅ」の記事によると、沖縄知事選に野党統一候補として、糸数慶子さんが立候補するかもしれない。
 沖縄は、沖縄県として日本に属する過程から、第2次大戦での悲惨な上陸戦と、苦難を強いられ続けている。
 現在でもそうだ。
 本土に住む僕たちは、沖縄といえば、青い海ときれいな空、そして穏やかな人々を想像し、あこがれる場所であるが、見るのと住むのでは大きく違う。
 戦闘機による爆音はすさまじい。沖縄に行ったことがある人なら経験したことはあろうかと思う。耳をつんざく爆音は、うるさいというレベルを通り越して、人に恐怖心というか不安な気持ちにさせる。また、沖縄に駐留する海兵隊の犯罪は、きわめて残虐である。これは、日本のみならず、韓国でも同様な犯罪が行われている。しかも、その犯罪の矛先は、若い女性に向けられるのであるから始末が悪い。
 こうした海兵隊の犯罪は、過去にも書いた(とかとか)が、必然であるとしか思えない。米4軍のうち、海兵隊は突撃部隊であり、常に死と向き合わせである。いざ、何かあれば、24時間いつでも世界各国に派兵され、動いているものをみれば、銃を撃ち、そして自らも殺される運命にある。僕の義兄は、滋賀の饗庭演習場の近くに住んでいて、偶然、海兵隊の兵士と交流する機会があったのだが、みな結婚していないといっていたという。そりゃ、そうだろう。恋愛しても結婚しても、いつ、自分が死ぬかわからないのに恋人をつくったり、ましてや結婚などかなりためらうだろう。
 こうした現状を打破していくためには、米軍基地の撤去を叫びつづけていなければならない。もちろん、現実の問題としては、沖縄県知事の問題ではなく、日本全体の政治の問題であるし、世界中に兵隊を駐留させ、世界の警察をしてふんぞりかえっているアメリカの政治の問題なので、一気に解決とはならない。
 しかし、一歩でも、いやナショナリズムが吹き荒れ、あきらかに戦争情勢化に突き進もうとしているなかでは、糸数さんが当選するだけでも、大勝利であるだろう。
ただ、こうした情勢では、糸数さんも相当な覚悟と決断をしたのだろうと思う。平和を望む一市民として、微力ながらでも応援したい。

 Z記者の「報道の現場から」

 ▽沖縄知事選、野党は糸数さんを統一候補に

  在日米軍再編問題が最大の争点

 11月19日投開票が行われる沖縄県知事選に野党統一候補として、参院議員の糸数慶子さん58歳を擁立することが18日に決まった。これまで野党各派がそれぞれの候補を出すなど、揺れてきたが、民主、共産、社民、自由連合、沖縄社会大衆、政党そうぞうが野党共闘で、沖縄社大党副委員長の糸数さんを擁立することが決まった。

 沖縄社会大衆党の喜納委員長は、野党分裂から敗北した2002年の前回知事選を挙げて「このままでは4年前と同じ最悪の結果になる。分裂を避けるためにも糸数さんを擁立するしかない。本人も状況を理解していると思う」と延べ、他の野党に協力要請を求めていた。

 このため、6党は話し合いを進めた結果、出馬に意欲を見せていた元県出納長や衆院議員が不出馬を表明したため、あらためて糸数さんで一本化した。これまで「6者でまとまれば、私は逃げません」と発言していた糸数さんは18日の記者会見で、出馬に前向きな意向を示した。

 こうしたことから知事選は既に自民、公明の両党が擁立を決めている前沖縄電力会長の仲井真弘多氏67歳との一騎打ちになる見通し。今回の選挙は在日米軍の再編問題が最大の争点となり、その結果はこれからの沖縄の在り方に大きく影響するものとみられる。

  2006/10/01 1194号 [JCJふらっしゅ]

2006年09月28日

●言葉は聞いて覚えるもの

 安倍内閣の伊吹文明文部科学相が、小学校での英語学習について、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と言っているよう。
 まったくの正論だと思う。しかし、「書く」ことよりも、「話す」ことの方が重要ではないだろうか。そして、そうした日本語能力の育成という意味では、教育現場の問題というより、自分も含め、周りの大人の話す日本語が一番大切であると考える。言葉は、学校で学ぶのではなく、社会の中で自然に習得していくものだからだ。
 最近、テレビのアナウンサーの話す日本語のおかしさや政治家の話す日本語のおかしさには、耳を疑うばかりである。社会的に影響のある人は、とりわけテレビに露出する人は、注意すべきだろう。
 だいたい、小泉前首相が、「美しい日本語」を話しているところなど、思い出すことができない。記憶にあるのは、みずからの語彙力のなさを証明するかのようなワンフレーズのみ。
 この「伝統」は、安倍首相も引き継ぎ、「美しい」という形容詞を連呼してみたり、最近では就任会見において、 「しっかりと」という形容詞を32回、「思います」という曖昧な表現を35回も繰り返したらしい。
こうした「分かりやすい」表現が、国民受けしているらしいが、わかりやすく人の感情に訴える演説というのは極めて危険である。ヒトラーの演説がいい例だろう。逆に、名演説として歴史に残るのは、じっくりと耳を傾けたくなり、あとでじんわりと心に響いてくるようなものではないか。たとえば、ドイツ首相のヴァイツゼッカー演説とか、チャップリンが映画『独裁者』の中で披露した演説などは、何度聞いても、あるいは何度読んでもすばらしいなあと思う。
 まずは、国の最高指導者が、「美しい日本語」のお手本をみせてくれないと話にならない。ねえ、伊吹文科相(^_^;)

2006年09月27日

●日本がもし1000人の村だったら(2005年)

 日本がもし1000人の村だったら、村の総資産額は、05年で235億3000万円となる。そして、村一番の金持ちは、1人いるのだが、彼は、富の4%つまり9億4000万円を所有している。これは、8年前の97年と比較すると、1.3倍にも富を増やしている。
 次の金持ちは、17人いる。この17人は、村の富のうち、14.5%つまり34億1000万円を所有している。1人あたり、2億円ほどの計算になる。この2番目の金持ち層は、8年前と比べると、1.2倍ほど富を増やしている。
 3番目の長者は、57人いる。この57人で村の富の15.8%を所有している。額にして、37億2000万円。1人あたり、6500万円となる。この3番目の長者の富は、8年前と比較すると、0.96%とわずかに富を減らしている
 4番目の人たちは、143人いる。この人たちは、1人あたり3500万円ほどの富を持つ。この人たちもまた、8年前と比べるとわずかに富を減らしている
 のこりの782人の人たちの富を合計すると、村の富の44.4%つまり104億5000万円となる。1人あたり1336万円となる。8年前と比べると、富は増えてもいないし、減ってもいない。

 そうすると、村の8割近い人たちの平均的な富の70倍もの富を村一番の1人の金持ちが持っていることになる。また、この差は、8年前と比べると、1.3倍ものに拡大している。明らかに格差が広がっている。
 また、この格差は、村の1番の金持ちと2番目の金持ち層が、よりたくさんの富を集めていて、3番目以降の人たちの富が減っていることからも、明らかである。村全体の富は、8年前と比べると、1.2倍ほどに増えているのだが、増えた分は、すべて村1番の金持ちと2番目の金持ち層のものとなっている。
 さて、これは、05年の村の資産調査結果であるが、現在06年ではどうなのだろうか?

 ※参考 「『2010年、日本の未来を提案します。』 2006年9月5日 株式会社野村総合研究所


2006年09月25日

●安倍氏流集団的自衛権

 9月24日のJCJふらっしゅの『安倍氏、集団的自衛権検討機関を 経団連会長も改憲すべきと』の記事は、驚くべき内容だ。
 安倍氏は、集団的自衛権が行使できないのは、「憲法上、行使できないという解釈は必要最小限度の武力行使を超えるという判断からだ」といっているが、そうなのだろうか。憲法全文にあるように、二度とあの悲惨な戦争は起こさないという歴史を教訓に、同じ過ちは繰り返さないという決意から、軍隊は持たないし、専守防衛に徹し、集団的自衛権は発動しないというのではなかったのか。
 だいたい、安倍氏のいう「必要最小限度の武力行使」などというのは、きわめて空想的であいまいである。どれだけが一体必要最小限度なのだろう。これまでの戦後60年間におよぶ脈々と行われてきた9条や前文に関する論議というのは、そんな意味不明な「必要最小の武力行使」などという結論しか生まなかったのか。それでは、自民党の大先輩方にも大変失礼ではないのか。
 さらに、安倍氏は「合憲は日米の艦艇が公海上で並走している際に米艦が攻撃されれば、日本が見て見ぬふりができるのか」と疑問を投げかけているというが、こうした情緒的な言い方も危険極まりない。
 電車の中で、困っている人がいて見過ごせるのかとか、酔っぱらいにからまれている女性を放っておけるのかというような、道徳、モラルの問題ではない。
 もちろん、安倍氏の想定している状況というのは、きわめてリアルであろう。起こりうる事態である。では、こうした状況に遭遇した場合どうするべきか。結論からいうと、「見て見ぬふり」をすべきだろう。さらにいうと、全速力で、現場を離れるべきである。
 だいたい、世界中から恨みをかいまくっているアメリカの軍艦と專守防衛の自衛隊の艦船が、平走しているというのが間違っている。暴力団の組長と仲良く歩いていて、トラブルに巻き込まれないというのが、おかしい。
 つぎに、となりで米艦船が攻撃を受けるのを見過ごすというのは、たいへん辛いことであろうが、しかし、そこで応戦してしまえば、今度は自衛官の海上自衛官の生命のみならず、本土が焦土と化す可能性が出てくる。安倍氏は、それでもいいというのだろうか。日本に暮らす1億数千万の命を、ブッシュ憎しの勢力に殺されてもいいというのか。ここは、絶対に涙を飲むべきである。
 3つめに、こうした政治判断は、間違えているか。僕は、あながち間違えていないとおもう。もし、逆の立場であれば、米軍は援護するだろうか。状況にもよるだろうが、7割方、自衛官が攻撃されるのをみていると思う。
 米大統領は、頭が悪くてはできない。米国民3億人の命を守る必要があるだけではなく、ドル基軸で世界経済が回っている以上、アメリカ大統領の発言一つで、為替相場や株式相場の流れが変わる。自衛官の対する攻撃に対しても、さまざなに絡み合う利害や国際関係などを解かないと、簡単に援護などできない。つまり、ここで、感情的になってしまうようであれば、米大統領など通用しないだろう。
 日本の政治は、アジア諸国との緊密な外交と、アメリカのと緊張感ある外交を、まるで綱渡りをするかのように頭の先から足の指の先まで、神経を集中して行わねばならないと思う。だからこそ、憲法全文と9条が必要なのではないか。憲法前文と9条を金科玉条にして、困難を振り払い前に進まないといけない。
 絶対平和が、日本の生きる軸だと思う。

2006年09月21日

●強権政治で平和がもたらせるか

 アメリカ合州国では、中間選挙に向け、米国にたいする脅威が増加したとする報告を公表し、ブッシュ共和党政権を鋭く批判を開始しているよう。
 日本ジャーナリスト会議のメルマガ『JCJふらっしゅ』に、その報告書の一部が紹介されている。
まず、アメリカの仕掛けたイラク戦争で武装闘争に参加する兵士が、2003年には5000人だったのが、06年には2万にも増えているという。さらに、アルカイダのメンバーも01年の2万人から5万人に急増したという。
 アルカイダという組織が、今一つわからず、一部には米国に脅威を与える集団を指すCIAの造語であるという説もあるくらいである。しかし、本質はそういうことではなく、イラクにおける対アメリカ武装兵の増加とアルカイダメンバーの増加とは、中東やアジアにおいて、アメリカに憎しみをおぼえ、自分の命に代えても、戦うと決意している人が圧倒的に増えていることを表しているのではないか。
 また、裏を返して、では当のアメリカ人はというと、「86%の専門家や知識人が「ブッシュ政権下で米国がより危険になった」と回答し、83%が「米国がテロ戦争に勝利しつつある」との主張には「NO」と答えている」という。
 つまり、言ってみれば、ブッシュが世界中に火を付け回り、多くの人々から恨みをかい、「テロ」の危険性が強まったと、CIAは秘密収容所をつくり、ますます米国民は危険にさらされるという最悪のスパイラルに入ってしまったのだろう。力でなんでもできると思うのは、たいへんな思い違いである。そんなことで平和な社会など建設しえない。平和は、地道な努力によってしか得ることができないのではないか。
 また、安倍は、中国や韓国をパートナーとして選ぶのではなく、こうしたブッシュとともに歩む、ブッシュのような政治運営をしようとしているのだから、とんでもない危険な道に日本は踏み入れたといわざるえない。安倍に投票した自民党員の責任は重いだろう。

 民主党は5日、5年間のブッシュ政権の下で、イラク、イラン、北朝鮮、中国など米国に対する潜在的な脅威が増大したという報告書「ザ・ネオコン(新保守主義)」を公表し、共和党の政策を批判した。
この報告書では、対イラク開戦を主導したネオコンを皮肉っており、イラク、イラン、北朝鮮など7つの項目別に「脅威」の増大を裏付ける数値を挙げている。
 例えば、イラク戦争では武装闘争に参加する兵士が2003年には5000人だったのが、06年には2万にも増え、国際テロ組織アルカイダのメンバーも01年の2万人から5万人に急増したと示している。
 また、北朝鮮はブッシュ政権下で「封じ込め可能な問題から本格的な脅威になった」と分析している。さらにアフガニスタンの旧政権タリバンの残存勢力による攻撃も04年から06年の間に284件にも上ったと指摘している。
 一方では、中枢同時テロから5年を前に民主党系シンクタンクがまとめた調査では、86%の専門家や知識人が「ブッシュ政権下で米国がより危険になった」と回答し、83%が「米国がテロ戦争に勝利しつつある」との主張には「NO」と答えている。

Z記者の「報道の現場から」

2006/09/21 1185号[JCJふらっしゅ]

●タイのクーデターと日本経済

 タイで、クーデターが起きたよう。仕事がら、なかなかテレビのニュースは見れず、もっぱら情報は、メールニュースで仕入れるので、詳細はよくわからない。
 さて、問題は、日本経済の動向である。
 日本経済は、中国や韓国のみならず、多くのアジア諸国との関係の中で成り立っている。日経ニュースメールによると、日産が2工場、ホンダが1工場、トヨタも2工場、操業を停止させている。
自動車産業は、日本の基幹産業であり、大変なダメージを受けることはまちがいない。この騒ぎが長期化するほど、大変なダメージを受けるだろう。
 自動車のみならず、日本の産業は、極限にまでコストを下げる努力をしている。人件費だけではない。部品や材料にしても、在庫を出さないように綿密に計画されて生産している。ここで、タイの工場が止まってしまえば、こうした在庫をなくすことによるコスト減という方法が根本から崩れてしまう。タイから部品を受ける方の工場も停止せざる得ない。なにしろ、在庫を出さないよう、生産調整しているからだ。
 このタイのクーデターにより、日本の経済構造の弱さと、アジアの国々の動向をしっかりと把握し、途切れ目のないアジア外交の必要性をあらためて感じる次第だ。一体、小泉政権下の外交は、どうなっているのだろう。
 靖国や拉致やで外交を論ずるのではなく、もっと大局から外交を論じていただきたい。
 といっても、安倍サンじゃあ、役不足か。。。

2006-09-20 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』
 ◆日産自など自動車各社、タイのクーデターで現地生産に支障も
 19日に発生したタイの軍によるクーデターを受け、日本の自動車メーカーの生産に影響が出始めている。首都バンコク近郊の2工場で車両を生産する日産自動車(7201)は、20日の操業を停止。従業員を自宅待機させた。
 ホンダ(7267)ではバンコクの二輪車・汎用製品向け工場を通常通り稼働させる一方、アユタヤ地区にある四輪車工場は20日午前8時から午後5時(現地時間)まで操業を停止する。2つの車両工場を持つトヨタ自動車(7203)も従業員を自宅待機させている。〔NQN〕
2006年09月20日

●ブッシュ米政府による世界恐怖支配

 ブッシュ大統領が、東欧諸国に、CIAの秘密収容所の存在を明らかにしたという。そこでは、過酷で厳しい拷問が行われている(そうこの時点でも)ことは、イラクにおける米軍の蛮行を思い起こせば、容易に想像できる。
 ブッシュ大統領は、「テロとの戦いにおける最も重要な手段」として、その意義を認め、継続していくことを表明しているが、そもそもアメリカに他国民を拘束し、だれもそこで何が行われているかわからない秘密の収容所を持つことは、きわめて恐ろしいことである。
 権力、とりわけアメリカ合州国のような強大な国の大統領の権力は、およそ想像を絶する権力を持つ。その気であれば、国の一つや二つくらい簡単に破壊できるし、実際にアフガニスタンやイラクなどで行われてきた。
 こうした想像を絶する強大な権力に対しては、世界中のマスコミをはじめとした多くの人々による厳しい監視が必要である。ベトナム戦争においても、アフガン、イラク侵略に際しても、戦場ジャーナリストや各種団体、個人の果たした役割は大きかった。
 しかし、今回、ブッシュが認めざる得なくなった収容所とは、長い間秘密とされてきたものである。権力者の暴走を食い止める役割をするジャーナリストや各種団体から隠されてきたのだ。これほど恐ろしいことはない。

 これまで、ポーランドを含む東欧などに設置されていたとされる米国の秘密収容所をめぐり、欧州を中心に国際法との批判が相次ぐ中、ブッシュ政権は沈黙を続けていたが、同大統領は6日、ホワイトハウスでの演説で、国際テロ組織アルカイダの重要容疑者らを極秘に拘束していたCIA=中央情報局の国外秘密収容所の存在を初めて認めた。
 CIA秘密収容所というのは、昨年11月、ワシントン・ポストのスクープで存在が明るみに出たもので、アルカイダの幹部など最重要テロ容疑者を収容するため、米国外に密かに設けられた施設。
……  「テロとの戦いにおける最も重要な手段」として、秘密収容所を継続運営する方針を表明したが、拘束者への拷問や虐待問題で膨らんだ米国のテロ容疑者の扱いに対する国内外の疑念を拭い去るのは困難といえそうだ。
 また、ブッシュ大統領は、米中枢同時テロに関与した被告や容疑者ら14人を秘密収容所からキューバのグアンタナモ米軍基地に移送したことも明らかにした。移送者の中には中枢テロの主犯格もおり、「その供述によって、新たなテロを未然に防いできた」と強調するとともに「米国や世界を守るための情報を得てきた」と述べ、秘密収容所を正当化した。
2006/09/19 1183号 [JCJふらっしゅ]
『Z記者の「報道の現場から」』より

●甥・晋三へ「靖国には絶対行かせない」

 『ゲンダイ』紙に、政治家・野中広務さんのインタビュー記事が掲載されていた。野中さんは、僕からすると、自民党の土建政治の代表格で、嫌いなタイプの政治家なのだが、一貫して戦争に反対する思いは、すばらしいものがあると、とても感銘している。
 さて、その野中さんが、安倍サンを批判している。本当なら、全文紹介したいところだし、また残しておきたい文章である。古い自民党をぶっこわすとして小泉政治が放逐した人物の声だからである。
 このインタビューによると、安倍さんの叔父のみずほホールディング元会長の西村氏が、「靖国神社には絶対行かせない」といっていることは、注目に値する。
 日本の経済構造は、海外から安く原材料などを仕入れ、それに高い技術力に裏付けられた付加価値をつけ、輸出してなりたっている。そういう意味では、アジアにおける立場というのは、絶対的優位ではありえない。中国や韓国とも、うまく外交を繰り広げていかなくては、経済がなりたたない。日本資本の中枢にいた西村氏の危機感はそこにあるのだろうと思う。
 しかし、小泉はともかく、安倍サンはそこがまったくわかっていない。アメリカのように、圧倒的な軍事力を背景に、人を殺しながら無理やり市場を拡大することで、日本の経済も成り立つと考えているふしがある。
 アメリカが同盟国だなんていうのは、幻想である。アメリカにとって重要なことは自国の利害であって、日本の利害ではない。日本の利害とアメリカの利害が一致すれば、同盟国としてふるまうが、一致しなければつぶされてしまう。それが、資本主義的な政治の本質である。そこには、牧歌的なものなど一片もない。
 話がそれてしまったが、西村さんはきっと憤死されたのだろう。野中さんは、「大切なアドバイザー」を失ったと残念がっているようであるが、むしろ安倍氏の素の姿がむき出しになっていくのは、いいことであると思う。

 この5月に「小渕さんを偲ぶ会」で安倍君の叔父にあたる西村さん(正雄=みずほHD元会長)と会った時、「晋三は今、政策を勉強する時期なのに総裁選に出ることになるだろう。でも靖国神社には絶対行かせない。野中さんは日中友好協会の名誉顧問だから中国との首脳会談に力を貸して欲しい」と言われた。
 その西村さんが8月に突然亡くなられ、安倍君は大切なアドバイザーを失ったのです。
  『日刊ゲンダイ』 2006年 9月20日号
2006年09月17日

●飲酒運転による事故の増加の一因

 最近、テレビをみていると、飲酒運転による事故や公務員や議員などの飲酒運転のニュースが目立つ。
 なぜ、こんなに目立つのか。
 ひとつは、マスコミが特に注目しているために余計に目立つということがあるだろう。
 ふたつに、モラルの低下の問題。何しろ、首相は軽薄でウソツキだし、警察官の犯罪は後をたたないわでは、モラルが低下するに決まっている。上に立つ、あるいは取り締まる立場の人間ほど、モラルを徹底して守らないと、全体のモラルは崩壊するにちがいない。さらに、それを食い止めようと強権を発動すると、不満がたまり爆発する。
 また、みっつ目に、これだけ格差が増大し、啄木ではないが、働いても働いても、給与は上がらない、生活は苦しい、一方で年収1億、2億の人間が増えているというのでは、ヤケクソで酒をたらふくかっくらって、無茶な運転をする人も出てきてもおかしくはない。人間幸せだと、不幸な道はできるだけ避けようとするものだ。
 さて、『日刊ゲンダイ』紙では、代行運転業者への規制強化を、その理由の1つに挙げている。なるほど、確かに04年の代行運転手の「第2種運転免許」義務化は、代行業者を減らす大きな要因となったにちがいないし、このことにより、代行料金の相場が上がったのではないかとも推測できる(※このあたり、体験としてご存じの方は、御面倒でなければコメントください。何しろ、僕は、飲酒運転しようにも、車の免許すら持っていないので、よく知らないんです……)。
 タクシー業者には、代行独占で喜ばしいことかもしれないが、利用者には大変である。この間も、ニュースをみていると、どっかの自治体の幹部が飲酒運転を行い、その理由として「代行業者を頼んだが、一時間待ちといわれた。しかし、親類の急病でやむをえなかった」という感じの報道があり、僕は「ほんまかいな」と眉に唾をぬりながら聞いていたのだが、まんざら嘘ではないような気がする。
 飲んだら飲まないのは、当たり前だが、政治には、飲酒したドライバーの救済策を十分にしていただきたいものだ。

 「実は02年と04年の法改正で地方の代行運転業者は激減してしまったのです」(交通ジャーナリスト)
 以前は代行運転業を営むのに特別な許可は必要なく、サラリーマンがアルバイト感覚で営業している個人業者も多かった。
 ところが、02年に「自動車運転代行業の業務の適正化に関する法律」が施行され、公安委員会の認可がなければ営業できなくなったのだ。また、04年には代行運転手にタクシー運転手と同じく「第二種運転免許」の取得が義務付けられたのである。
 これによって、不良業者は駆逐されたが、逆に新規参入のハードルも高くなり個人業者は激減してしまったのだ。
 「法改正にはタクシー業界からの圧力が働いたといいます。実際、今の代行業者の多くはタクシー会社の兼業です」(事情通)
『日刊ゲンダイ』(06年9月16日)
2006年09月15日

●思いっきり放屁

 オナラ解消薬が売れているらしい。
 人間は、生きているのだから、その証拠として、二酸化炭素をはじめ、多くの気体を放出する。屁もそのひとつ。
 たしかに、人前でぷっぷっとされたら周りの人間もたまらないが、薬品まで使って、止めることはないのでないかと思う。
 もし、友人や恋人、同僚の前で出てしまったら、ごめんといえばすむし、上司などのまえでは「失礼しました」でいいのではないだろうか。むしろ、礼儀のよさという意味で高感度がアップするのではないかと思う。
 しかし、実際には『日刊ゲンダイ』によると、オナラ解消薬「ガスピタン」の売れ行きが上がっているらしい。


「00年の発売以降、便秘がちな女性に売れてきましたが、最近は男性の購入客も増えています。売り上げも01年は4億円、02、03年は4億5000万円、04年は5億円、05年は6億円と伸びてきています」(小林製薬広報)

『日刊ゲンダイ』 2006年9月14日号

 このオナラの増加、オナラを止めようとする人の増加を、ゲンダイ紙は、ストレスと分析する。
 たしかに、小泉政権の下で、多くの規制緩和がなされ、競争が激化し、労働者も自社で雇わなくても、派遣労働者を使った方が、一から教育しなくてもいいし、賃金だけではなく福利厚生費も安く使用できる。さらに、正規雇用と違って、首切りもしやすいとなれば、多くの労働者は、ストレスもたまる。
 僕は、正社員なのだが、やはり常に「自分であることのメリット」を考え、仕事を行う。簡単にいえば、少しいやらしいかもしれないが、自分を売る。そうしないと、あれよあれよという間に、賃金が安く若い非正規社員に置き換えられるのではないかという思いがあるからだ。また、さらに派遣の労働者は、正規社員よりも、そういうストレスは多いだろう。
 ストレスが、屁をうみ、その屁がまたストレスを生むという屁スパイラルに陥ってしまっているようだ。

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2006年09月13日

●「美しい国」にするためには

 安倍サンが、『美しい国』をキャッチフレーズにしているらしい。
 本や冊子の題名のみならず、総裁選出馬会見でも、8回も連呼していたそう。
 しかし、美しい国とはどういう国なのか?
 たとえば、豊かな森やせせらぎ、青々とした稲穂が風に揺れているのも美しい。中緯度に存在する日本は、四季がはっきりしているので、その移り変わりも美しいだろう。
 安倍サンは、いったいなにを『美しい』といっているのだろう。著書では、「大草原の小さな家」などを例に挙げているようだけれども、大草原などは、日本の元風景ではない。ゴルフ場をみればわかるが、温暖で湿潤な日本の気候風土において、草原をつくるためには、農薬をまいて草木が生えてくるのを破壊しないとならない。彼は、一体、何をもって『美しい日本』と言っているのだろう。
 そもそも、経済発展を最優先し、森を破壊し、下水対策の遅れから河川を汚し、米が何からとれるか知らない子どもを増やしてきたのは、いったい誰か。まさに、安倍サンをふくめ、親父や祖父がその中枢として舵取りをしてきた自民党でなかったか。
 戦後一貫して、日本の政治は、自民党政権がほぼ独占してきたことは事実である。経済最優先で、自然も、人の心も、破壊してきたのは、社会党でも共産党でもないし、日教組によるサヨク偏向教育とやらでもない。まぎれもなく、60年にわたって、延々と続いてきた自民党の政策の結果である。
 現代日本が美しくないのであれば、まず、その原因をわが身に見いだすべきであろう。さらにいえば、これ以上の醜悪な日本にしたくなければ、公明党との野合をやめ、だだちに政権を譲るべきである。自民党こそが、諸悪の根源なのだから。
 戦後初めて、自民党が政権を持てなかったときの菅直人厚生相の薬害エイズ問題への対応はとてもすばらしかったが、もし、菅氏が大臣でなければ、いまだに薬害エイズ問題は、自民・公明政権の下では、何の進展もなかっただろう。
 美しい国にするためにも、自民党には下野してもらわなければならないだろう。

 安倍晋三官房長官は、「美しい国」というコピーがよほど気に入っているらしい。総裁選前に初めて書いた本が「美しい国へ」なら、政権構想の冊子のタイトルも「美しい国、日本。」だ。9月1日の総裁選出馬会見では約20分間に「美しい国」を8回も連呼。その後も「子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てる美しい国に」(9日、東京・秋葉原での街頭演説)とか「世界から尊敬される美しい国をつくっていく」(11日の公開討論会)とか、ヒマさえあれば、「美しい国」を繰り返している。
 フザケた話だ。日本をここまで醜悪な国にしたのは誰なのか。「アンタたちじゃないか」と言いたくなる。

『日刊ゲンダイ』 2006年 9月13日号

2006年09月12日

●国民を愚弄した候補者はゴメンだ

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 自民党の参議院議員の候補に、女優の藤原紀香さんの名前が上がっている。政治を志す人は、どんどん立候補して、いまや「家業」ともなっている国会議員を変えていかなければならない。
 しかし、藤原紀香さんは、いったいどんな政治理念をもっているというのだろうか? 彼女に悪意はないが、1億2000万国民を背負うくらいの覚悟と理念、行動力がないのであれば、立候補などやめていただきたい。
 テレビでの政策論争において、安倍氏が、麻生氏や谷垣氏にくらべ、はるかに無内容であることは、すでに暴露され始めている。しかし、当然のことながら、自民党の総裁は自民党員で選ぶため、必ずしも国民の総意と一致するわけではない。
 そうした勢いだけの安倍氏が、タレント候補者を乱立させてくることは、おおいにありうる。
僕たち有権者は、国民を愚弄した候補者には絶対に投票しない、そして当選させてはならないのではないだろうか。国会議員の質によって、僕たちの生活がけっていされるのだから、投票する候補者選びには慎重になりたい。

2006年09月08日

●2世、3世議員なんていらない

 自民党所属の国会議員で、庶民の気持ちがわかる議員は一体何人いるのだろうか? そもそも、自民党や、旧自民党議員を多く持つ民主党の国会議員を含めると、世襲議員は3割にのぼるようである。こういう人たちに、庶民の生活、サラリーマンや小規模店主、あるいは農業を営む人の気持ちがわかるのだろうか。
 封建制は、法制史的に表現すると「ご恩ー奉公」という契約関係と説明できるが、社会史的に表現すると「身分と職業の一体」した制度表現できるのではないかと思うのだが、そう考えると、日本国憲法においては、職業選択の自由がうたわれているにもかかわらず、国会議員という「職業」においては、依然封建的なしっぽが残っていると言わざる得ない。日本の民主主義の深度がよく分かる。
 『日刊ゲンダイ』 2006年9月7日号に、こんな記事がのった。

◆ 庶民の痛み苦しみが分からない世襲政治家 ◆

小泉だってそうだ。安倍と同じく一族3代の政治家。税金で食ってきた。当然払うべき国民年金も支持者の会社の「ユウレイ社員」として払ってもらい、バレると「人生いろいろだ」と居直った。
格差についても「格差がない社会の方がおかしい。悪いことではない」「成功者をねたみ、能力のある者の足をひっぱる風潮は慎むべきだ」などと答弁している。学用品や修学旅行費が払えず、就学援助を受けている児童が12.8%もいることなど、どこ吹く風だ。
政治アナリストの伊藤惇夫氏が言う。
「安倍さんや小泉さんを含め、2世、3世議員の多くは代々、税金で暮らし、リストラなどで失敗した経験がない。だから、痛みや苦しみなんて分からない。政治家というより、家業としての『政治屋』です」

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2006年09月07日

●死んで、支払え!

 消費者金融、いわゆるサラ金業者10社が、借り手全員に生命保険をかけていたらしい。要は、生命を担保にして金を貸すということだ。
 この10社のうち、大手5社(アコム、アイフル、武富士、プロミス、三洋信販)においては、昨年1年で保険金で返済をうけた件数が3万9880件、うち自殺によるものが判明しているものだけでも、3649件にのぼっているという。
 この比率は、『毎日新聞』(06年9月6日)によると、成人志望者の自殺者の割合の3倍にもなり、明らかに、自殺によって借金を返済させている実情が存在している。
 名前が上がっているこの5社は、テレビCMにもよく名前がでている会社であるが、かなりの悪徳なやりかたに驚くばかり。
 大阪毎日放送の報道番組VOICEの特集でも、この問題がとりあげられ、取立の様子や録音された電話の様子などを放映していたが、やはりえげつなかった。もちろん、町のサラ金などと違い、言葉は丁寧であるが、むしろそれがかえって借り手に圧迫となるように仕組んでいる感じであった。
 もちろん、こうした問題の本質は、小泉政権5年における徹底した規制緩和と所得階層の2極化が根底にあることはいうまでもない。かつては、一億総中流といわれ、疑似社会主義的な政策をとっていた日本であるが、それはすでに過去の話、いまはむき出しの弱肉強食の社会、嫌いな言葉であるが、「多くの負け組と少数の勝ち組」の国になってしまったのだろう。
 なんとか、こういう仕組みを変えていかないと、僕たち庶民は本当に生きていけなくなってしまう。

●Windows ビスタの価格決定に思う

◆米マイクロソフト、「ビスタ」の価格を正式発表
米マイクロソフトは5日、次期OS「ウィンドウズ・ビスタ」の米国での小売価格を正式発表。価格は199―399ドル。
2006-09-06 「NIKKEI-goo 日経ニュースメール」

 WindowsXPの次のOSの価格が決まったよう。200ドルほどという価格は、まあそんなものかなという感じ。
 ただ、価格よりも、一ユーザーとしては、もっと重要な点がある。それは、OSの外観に凝るよりも、もっと安定性、安全性を志向してもらいたい。XPでは閉鎖的になったデスクトップテーマをオープンにし、個性的なデスクトップあるいはギミックを取り入れたい人は、取り入れることができるようにし、基本はあくまでも安定性、安全性であるべきだと思う。
 たしかに、Me以前のバージョンからすると、ずいぶんと安定するようになった。フリーズもほとんどしなくなった。その上で、ハードウェアはすさまじい進歩をしているのであるから、さらに安定しサクサクと動くOSを開発することは、まったく難しいことではないはずである。
 マイクロソフト社には、ぜひ安心・安全を第一にしたOSの開発を望みたい。

2006年09月06日

●飲酒運転に注意ーー友人への真の思いやりとは?

 8月25日に福岡でおきた幼児3人が死亡した交通事故で、事故をおこしたAの友人が逮捕された。
 新聞によると、Aは飲酒運転をし幼児3人がのる乗用車に追突、その後、現場をはなれ、友人へ「酒を飲んで事故を起こした。水をたくさんもってきて」(『毎日新聞』06年9月6日朝)と頼み、友人は2リットルのペットボトル数本を差し入れたらしい。
 この行為が、証拠隠滅として逮捕された。
 さて、この水を差し入れた友人の判断はどうだったのだろう。もし、自分がこの友人の立場であったらどう行動するだろうか。
 確かに、この水を差し入れた友人の行為は、証拠隠滅といわれても仕方がない。そして、事故の大きさを考えれば、やはり軽率であった感はぬぐいとれない。ただ、事故を起こした友人Aをなんとかしてあげたいという気持ちが先にたったのだろう。
 実際に可能かどうかはともかく、「事故を起こした」と聞いた時点で、どういう事故か確認しないといけいだろう。そして、現場を離れているのであれば、すぐに戻って警察に連絡すべきと、友人の立場から忠告すべきだったのではないだろう。
 そもそも、事故を起こしたAという男は、衝突事故を起こしておきながら、現場から離れ、何をしたのかというと、飲酒運転の罪を隠そうと友人に水を頼むという自己保身の人間である。現場を離れた時点で、ひき逃げである。もちろん、中で子供が3人死んでいるということは予測できないにしろ、まずは自分が原因で不幸にも事故にあった人、つまり相手を思いやるのが先決なのではないか。
 この友人もそのあたりを、少し考えていれば、逮捕という事態にはなっていなかったように思う。本当の友人であれば、しっかりと忠告してやらないといけないだろう。
 さいごに、この事故では、Aと一緒に酒を飲んでいた人も、飲酒運転ほう助で逮捕されている。友人と酒を飲むときには、車で来ているやつには飲まさない、一緒に飲まないということも気をつけておかないとならないだろう。

2006年09月04日

●国は、庶民から何もかも奪うのか

 厚生労働省が、生活保護給付を、自宅保有者については給付から融資にかえることを検討しているという。
 自宅を担保にして、国が融資をおこない、死亡に自宅を取り上げるということなのだろう。
 しかし、国はこの65歳以上で生活保護を必要としている人々をどのように考えているのだろうか。この人たちは、そのほとんどが、定年まで、本当に一生懸命に働き、多額の税金を納めてきた人たちである。福井日銀総裁のように、通貨の番人でありながら、濡れ手に粟で何千万か儲けているのではない。
 まじめに働き、税金を納めながら、生活を営んできた人間から終の棲家を奪うようなことを、なぜできるのか。自宅を担保に入れられながらの生活では、ゆっくりと心を休めることもできないだろう。自分が死んだ後、すべて国によって没収され、ともすれば葬式代すらでないかもしれないのだから。
 厚生労働省の役人は、戦後のボロボロの日本を世界有数の経済大国へと発展させてきた65歳以上の先輩に最大限に敬意を払うべきである。若いうちに、一生懸命働いても、報われないような社会は、崩壊するということも視野におきながら、担保政策などいうイジメは、絶対にやめるべきだ。

◆65歳以上の生活保護給付、自宅保有者は融資に・厚労省検討◆
厚労省は自宅保有の65歳以上の生活保護者に自宅担保に生活資金を融資する制度導入へ。生活保護給付に優先させる方針。
2006-09-04 『N I K K E I-g o o 日経ニュースメール』
2006年09月03日

●ビラ配布→逮捕→23日間監禁→裁判1年以上

 東京で、共産党員がビラをまいたことで、逮捕され、23日間も国家権力より拉致・監禁された事件で、7月28日に東京地裁は無罪判決を言い渡した。
 判決文は読んでいないが、読む必要もないだろう。ビラをまいただけで、拉致・監禁されるなど、自由社会においては到底認めることのできない暴挙であるからだ。むしろ、検察側の求刑理由を読んでみたいくらいだ。
 しかし、この国では、そういう「常識」も通用しなくなってきているようである。なんと、東京地検が高裁に控訴したというのである。まったくもって、異常きわまりない。
 政治ビラをまいただけで、逮捕され、23日も拉致・監禁され、しかも1年以上も裁判をしなければならない国など、どこにあるだろうか。いや、あるにはちがいないが、そういう国は国際社会からは「独裁国家」とされ、正義の味方・アメリカ軍によって滅ぼされる運命にある。
 さて、逮捕だけでも異常としかいいようのない、この拉致・監禁事件であるが、あろうことか東京地検は、控訴を決定した。1年も続けた裁判で、ようやく当たり前の判決をえたにもかかわらず、まだ裁判を続けなければならないとは、何とも理不尽きわまりない。
 東京地検は、そっこく控訴を取り下げるべきである。さもないと、正義の味方・アメリカ軍のピンポイント爆撃が永田町に落ちるかもしれない。

■関連エントリー■
 ▼こっかこうむいんほういはん、、、
 ▼ふ、ふほうしんにゅう?
 ▼ビラを拒否する自由、、、

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2006年09月02日

●東京五輪はいらない

 『日刊ゲンダイ』9月1日号で、「《2016年東京五輪招致》早くもささやかれる森派・石原都知事“巨大利権”」いう記事があった。

 既存施設の利用を掲げる都の計画では、五輪に使用する36会場のうち既設は22、仮設は12、新設はメーン五輪スタジアムなど2会場だけ。施設整備費4956億円を見込んでいるが、都の負担はたったの453億円だ。残りはほとんどを国や民間資金で賄ってもらう計画。大会運営費2943億円も国や民間にオンブにダッコで、都の負担はゼロ。石原都知事は「民間の協力を得ながら努力を重ねる」とか言っているが、すべて絵に描いたモチだ。
 「資金集めはあくまで見込みで、国や民間の協力が100%得られる保証はありません。節約のために既存施設の改修も打ち出していますが、駒沢オリンピック公園などは老朽化が著しく、新設と変わらないくらいカネがかかる。日本武道館は使えても、近くに練習場がないので、新たに仮設の建物が必要です。最終的に都の負担がどれだけ膨れあがるかも分からない。都の計画では五輪が開催されなくても16年夏までにすべてを完成させる予定です。最初から再開発ありきとしか思えません」(都関係者)
 04年のアテネ五輪も開催費は当初予算の倍近い約1兆2000億円に達した。それを見越してか、都は今年度から五輪準備基金を毎年1000億円ずつ、4年間積み立てると言いだした。この4000億円は都民の税金から賄われることになる。使い道は「五輪に関係の深い事業や都市戦略の中で必要なものに充てる。交通整備などインフラ投資も考えられる」(都五輪招致本部)というから、ドサクサ紛れで何に使われるか分からない。

 東京・石原都政が、オリンピックを招致を手にした。また、庶民の生活をかえりみず、大きな花火をぶちあげて、重要問題から目をそらさせようとしている。
 さて、上記の記事によると、今回の東京五輪では、既存の施設を利用し、5000億円弱の予算でおこなうという皮算用であるらしい。しかし、アテネ五輪が当初予算の2倍近い額を費やしたということであると、やはり東京五輪も1兆円近い金がかかるのだろう。いや、開催国の意地をかけて、メダル争いをしなくてはならないから、もし東京五輪が決定すれば、選手育成のために莫大な金が、ごく一部の選手にのみ使われる。
 その金は、まぎれもなく都民をはじめ日本に暮らす多くの人々の税金である。こんな金があるんなら、もっと別に有益な使い方があるのではないか。もちろん、スポーツ振興に税金を使うのは賛成だ。しかし、ほんのひとにぎりの選手だけが、手厚く扱われるのであれば、賛成はできない。
また、『日刊ゲンダイ』紙では続けて、オリンピック利権の行方を指摘する。

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2006年08月27日

●戦争を売り物にする政治家

 『文藝春秋』9月号は、おもしろい。特別定価760円なのだが、その価値は十分にあるのではないだろうか。
 まず、「昭和天皇『靖国メモ』 未公開部分の核心」という記事。ふたつめに、「中国が仕掛ける遊就館戦争」はつっこみどころ満載。また、「保阪正康連続対談 昭和の戦争 七つの真実」も読みごたえあり。そして、4つめに、「『闘う政治家』宣言 この国のために命を捨てる」という安部晋三氏のインタビューである。
 といっても、先の3つの記事からすると、内容がなくまったく薄っぺらなものである。しかし、このような内実がまったくなく極めてイデオロギッシュなことしかいえない人物が首相になるかもしれないというところは非常に面白みがある。『文藝春秋』9月号の「編集だより」にも、このインタビューを読んで「読者の皆さんは若き総裁候補の宰相の器をどう量るでしょう」と、なんとも歯切れの悪い言葉で結んでいる、
 さて、このインタビューの中で、安部サンは決意主義的に「国民を守るために命をかける」と吠えているのであるが、本当に国益や国民を「命をかけて」守りたいのであれば、国際協調、とりわけアジアにおける各国との協調をはかるべきではないのか。
 インタビューでは、

「(北朝鮮が)日本に向けてノドンを数発発射し,万が一,それが日本本土に着弾するようなことになれば,日米同盟に基づいて米軍が報復します。F16戦闘機から,あるいはイージス艦から,命中精度の高い巡航ミサイルが,イラクでフセイン以下の要人を狙ったときと同じように,金正日委員長にピンポイント攻撃をおこなうはずです」『文藝春秋』9月号106頁

 といっている。
 北朝鮮からロケットが飛んできたとき,本当に,米軍が出動すると考えているのかというあまりにも酷い政治センスのなさはともかく,重要なことは,以前のエントリーにも書いたように,日本に暮らす人々の安全などまったく考えていないということが現れている点である。
 本当に,「命をかけて」国や人々を守るつもりがあるなら,米軍の報復など頼らずに,命がけで”ロケットが飛んでこない”ような外交努力をすべきではないのか。
 そういう外交努力もせずに,むしろ挑発し,「ロケットが着弾すれば,,,」などというのは,無責任であるし,日本で生活する人々の生活や生命を第一に考えていない証拠である。
 いずれにせよ,『日刊ゲンダイ』紙が指摘するまでもなく,「首相の器」どころか,平和な暮らしを望む庶民からすると,非常に危険な政治家であることは間違いなさそうである。

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2006年08月25日

●ヤスクニの反動

 このあいだ、NHKの靖国参拝をめぐる論議をテレビでちらっとみたのだが、そのとき、若い女性が「反発しているのは中国と韓国だけ」という旨の発言をしていて驚いた。
彼女は、一体、中国や韓国の反発をどう考えているのだろうか。理由もなく反発していると思っているのだろうか。「反日」といっても、それ自体が目的であるわけはない。物事にはかならず理由があるのではないだろうか。
 なぜ、靖国参拝がアジアを中心に多くの人々の耳目を集めるのか。それは、日本の歩んできた歴史の結果にほかならないのでないか。そうであるならば、中国、韓国のみならず、他のアジア諸国にも重要な関心事にならざるえない。
 だいたい、日本は世界を代表する経済大国となり、中国や韓国以外の国が、日本の政治に真っ向から意見など言えるはずもない。そんなことをすれば、経済制裁を受ける可能性もあるからである。
経済大国・日本へ意見をいうという「タブー」がある中、『「JCJふらっしゅ」2006/08/24 1157号』に、アジア各国からの「ギリギリ」の気持ちが表現されていたので、いかに転載したい。

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2006年08月21日

●「北海道根室沖・第31吉進丸」事件

 この事件が起こって、まず感じることが、日本政府は邦人の安全を本当に守る気があるのかということだ。
 漁船が銃撃を受け、死者が出るなんていうことは、大事件である。しかも、海賊から銃撃を受けたのではない。これは、どう考えても外交問題、国どおしの政治的な解決をのぞいて考えることはできない。
 先の北朝鮮のロケット発射問題で大騒ぎした政府やマスコミの態度と比較して、この事件への対応はあまりにもおそまつである。
 まず、北朝鮮のロケットはロシア沿岸に落ちたのであり、日本領海の侵犯ではない。しかも、実質的被害はなにもない。しかし、銃撃事件は違う。死者が出ており、漁業を営む民間人がいまだに捕虜として囚われているのだ。これが、大問題といわずに、何が問題となるのだろう。
 かつて、イラクで人質として囚われた邦人を「自己責任」として放置した冷血な政治姿勢を思いださざるえない。
 いま、日本人は、世界各国で様々な活動をおこない生活している。いわば、経済大国として存在しているのは、こうした邦人の存在が大きい。日本の国際的地位を守りたいのであれば、ロシアに囚われた邦人の救出に全力を尽くすべきではないのか。
 北朝鮮のロケット問題で、先制攻撃論をぶちまけた安部晋三官房長官の威勢のよさはどこへいったのだろうか。しょせん、北朝鮮という「小」国にはキャンキャン吠えるが、ロシアという「大」国にはしっぽを丸めてしまう小型犬か?
 いずれにせよ、小泉も安部も、日本の安全で平和な生活を保証してくれる人物ではないことだけは間違いがなさそうである。

2006年08月19日

●「格差社会のひずみを考える」講演会

■09・08 格差社会のひずみを考える■
~ 取材現場からの報告 ~ 
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●主催 JCJ(日本ジャーナリスト会議)出版部会

 この国は、貧困率が、アメリカに次いで僅差で世界第2位です。若者の失業率は7%を超え、その被雇用者の三人に一人は非正規雇用で、フルに働いても手取り月収10万円が普通というワーキングプア(働く貧困層)が拡大しつつあります。将来の無年金者・無健康保険者の醸成が進んでいるともいえましょう。

 生活保護受給者が百万人を超えました。一方で、生活保護を受けられずに餓死したシングルマザーや高齢者夫婦。抗議の自殺者も出してしまいました。年間自殺者はついに8年連続3万人を超えました。

 今回は、こうした小泉政治5年間の痛みの現場を直接取材し、新聞・雑誌・書籍などで事実を明らかにし、問題の所在を指摘し続けている気鋭の記者から、生々しい報告を直接うかがいます。小泉=竹中経済路線を総括し、あるべき経済政策についてともに考えましょう。

■日 程 :2006年9月8日(金) 

■時 間 :午後6:30開会 (6:00開場)

■場 所 :岩波セミナールーム

東京都千代田区神田神保町2-1 信山社3F

<交通>地下鉄半蔵門線、地下鉄新宿線・三田線神保町駅(A6出口1分)

■講 演 :竹信三恵子 (たけのぶ みえこ)

「朝日新聞」記者・「週刊金曜日」連載執筆者

■参加費 :500円(学生・JCJ会員300円)

■主 催  :JCJ(日本ジャーナリスト会議)出版部会

■問合せ :JCJ(日本ジャーナリスト会議) 

TEL03-3291-6475  FAX03-3291-6478

jcj@tky.3web.ne.jp

http://www.jcj.gr.jp


 ワーキングプアといわれる「働く貧困」問題はとてつもなく大きい。働けるのに生活ができない、働いているにもかかわらず生活ができない人々が増えているというのだ。
 以前の記事でアメリカの格差について書いたが、日本もついに貧困率がアメリカについで2位。極少数の人間が、大部分の富を独占・占有する国になってしまったんだろうか。
 といっても、実はわが家も似たり寄ったりで、NHKスペシャルでワーキングプア問題が放映されていたとき、さほど年収が変わらず、つれ合いから「うちは、ワーキングプアやん!」といわれ、「いやいや、これは東京の物価を基準にしてるから。うちんちは、田舎やし」などと、苦しげな言い訳をしたのだが、年収1000万と1100万では生活レベルは変わらずとも、年収200万と300万の差は大きい。この差は、食事がまともにとれるかとれないかの、人の生死の境目になる。
 いずれにせよ、格差の極端な拡大には、反対である。ただ、上記講演会は、場所が遠いので、いけません、残念。。。 行けた人は、感想を教えてくださいね。お願いします。

●テロとの戦いに50兆円!

◆テロとの戦い、負担は累計で約50兆円に・米予算局推計
米議会予算局はテロとの戦いを掲げるブッシュ政権の下で、米政府の負担額が累計で約50兆円に上るとの推計をまとめた。
2006-08-18 Afternoon
NIKKEI-goo 日経ニュースメール

 「テロ」とはなにか?
 「テロとの戦い」なんて言ってしまうと、なんだか「自然」にふりかかってくる「災害」との戦いのように聞こえるが、そうなんだろうか。
 この春、スウェーデンに行く機会があったのだが、スウェーデンの空港のなんと平和なこと。わずらわしい所持品検査や身体検査などほどんどなく入国できた。日本からの出国、日本への入国と比べると、ビックリするくらい簡単だった。なぜか。それは、スウェーデンが、テロにあう必然性がないからだろう。ひっくり返すと、アメリカや日本は、テロにあう必然性があるのである。

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2005年08月14日

●ほんのささやかな気持ちですらも、封じ込められている---穏やかな言論封殺

 グラビアアイドルで有名なインリン・オブ・ジョイトイさんが、ブログをつくった。

 彼女の本家のサイトは、だいたい、もっと過激だし、彼女のインタビュー記事などでも、戦争の問題など、はっきりと答えている。

 さて、ブログでは、開設3本目の記事から、彼女のそうした気持ちが出始めてきた。

 それは、別にいい。彼女が、自分のブログで何を書こうと、勝手なのだから。

 しかし、問題は、彼女が、戦争に反対するという気持ちに賛同した人たちのサイトが、なかば恫喝、恐喝といってもいいくらいに激しく攻撃されている。

 そもそも、なぜ、「つくる会教科書」に反対といい、それを支持したくらいで、これほどまでにヒステリックに反応する人がいるのか、全く分からない。

 「読んだことあるのか」「歴史を知らないくせに、ブログなんてつくるな」「不満だったら中国へ帰れ」

 など、まあ、なれていない人だったら、たぶん生活に恐怖を感じるコメントが、インリンさんの記事に賛同した人たちのブログのコメント欄にあふれかえっている。

 なぜ、これほどまでに激しく非難されないといけないのか。インリンさんの記事に賛同した人の多くは、たぶん、ごくふつうに暮らしている人で、ごくふつうに平和を望んでいる人たちだと思う。そういう人たちの平和への思いを、踏みにじっていくコメントは、まさに「ブログで平和を語るな」という言論封殺状況になっていくだろう。

 こんなんでいいのだろうか。せっかくブログという手段をもち、個人が、思い思いに自分のほんのささやかな思いを、他人に伝える手段ができたというのに、大量の非難コメントでつぶされていくとは。

 最後に、あちこちで、「中国へ帰れ」といっている人へ言いたい。

 今、日本人同胞は、百万の単位で、全世界で働いている。文化も法律も違うし、また歴史的認識からのトラブルなどもあるだろう。勘違いからくる非難などもあるかもしれない。その同胞が、異国の地で、「不満があるなら、日本に帰れ!」と言われて、「はい、全くその通りでございます」と、へこへこ戻ってくることが、「つくる会教科書」の言う「自国を誇りに思う」日本人の姿なのだろうか。

 僕は、むしろ逆に、教科書ごときで、これほどまでに、ヒステリックに反応している人たちをみるほど、自分がこういうことをする人たちと同じ日本人であることに、嫌気がさしてしょうがないのだけれど。
 

2004年12月20日

●「フリーターはサマワへ」考

■「若者はサマワに行け」武部幹事長大暴言
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自民党の武部勤幹事長が、またまたムチャクチャな暴言だ。きのう(9日)の都内の講演で青少年のフリーター増などの教育問題に触れ、「一度自衛隊にでも入って、サマワみたいなところに行ってみてはどうか」「緊張感をもって地元に感謝されながら活動したら3カ月でまたたく間に(人間性が)変わる」な どと言ったのだ。

若者が荒れているのは、就職難などの重大問題にまったく手をつけようとしない小泉内閣の責任。それなのに、言うにコト欠いて「イラクに行け」とはアキれてしまう。

今や、死と隣り合わせの自衛隊員は、なり手がいなくなる可能性がある。若年失業を放置し、自衛隊を受け皿にしようという考えが透けて見える。

いくら自民党でも、こんな暴言幹事長はクビにしなけりゃウソだ。
『日刊ゲンダイ』(12月11日)

 『ゲンダイ』紙では、「ムチャクチャな暴言」としているが、まんざら、無茶な話しでないところが恐ろしい。

 不景気で、就労できない人間を戦地に送るというのは、暴言ではない。実際に行なわれる政治だ。

 アメリカでは、就労できない人間を兵士として雇うために徴兵制を止めた。そして、兵士に志願する多くの人びとは、働くところのない、生活に切迫した人たちだ。また、正規軍のみならず、兵士として戦地へ送る派遣業者もいるらしい。

 さらにいうと、こんなことは、戦後日本でもやっていた。それは、50年朝鮮戦争の時。

 当時、敗戦を迎えたばかりで、国は疲弊し、職にありつけない多くの人びとが、戦地へ動員された。「良い仕事があるよ」といわれ、ある人は、船員として、またある人は荷役の労働者として朝鮮半島へ連れていかれ、多くの人々が、朝鮮戦争で亡くなっている。

 船員組合や航空労組は、いわゆる同盟系の組合といわれ、かつては自民党より「右」といわれた民社党系の労働組合だが、今、もっとも戦争に反対し、有事法制に反対している。それは、ひとえに、いまちゃんと反対しておかないと、自分たちが、戦争政治の中で巻き込まれ、殺されてしまうという歴史に学んでいるからだ。

 こうして、朝鮮戦争の結果、現在の日本の経済復興があったといっても、全く言い過ぎではない。つまり、戦後日本の経済発展は、非常に多くの朝鮮人の血と日本人の血によって、そのきっかけをつかんだといえる。

 自民党・武部勤幹事長は、その年齢からいっても、こうした歴史的事実を知っている。要は、50年朝鮮戦争以後の経済発展を考えた時、職にありつけない多くの若者を、イラクに送り、石油利権の分け前を、アメリカやイギリスから、分捕り、自民党政治の失敗としての今の長期不況から脱却するということなのだろう。

 人殺しをし、あるいは殺されることによって、なされる経済発展など、必要はないと思う。

2004年12月08日

●「学力低下」問題なのか

OECD:「学力の低下を認識すべきだ」中山文科相

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 学習到達度調査の結果について、中山成彬文科相は7日の閣議後会見で「我が国の学力が低下傾向にあるとはっきり認識すべきだ。文科省はショックかもしれないが、大臣就任前からそう考えていた。(政策見直しは)中央教育審議会で分析・検討してもらう」と話した。90年代後半に「学力低下論争」が起きて以降、旧文相・文科相が学力低下を認めるのは極めて異例。【千代崎聖史】

 学習到達度調査の結果(『毎日新聞』記事)について、中山文科相が、「我が国の学力が低下傾向にあるとはっきり認識すべき」といったようだが、子どもたちの責任にするなと、声を大にして叫びたい。

 問題は、「学力の低下」などではない。本質は、「学習内容の低下」問題である。

 ひとつに、まず、学習時間が大幅にカットされている問題がある。

 たとえば、僕が小学生の時は、1980年からの学習指導要領に基づいた授業がなされていた。そのときで、小学6年生で、年間1015時間の授業をすべしとなっている。しかし、2002年からは、945時間と、70時間が削減(7%減)。総合的な学習なる110時間をのぞくと、835時間(18%減)と、大幅な学習時間の削減となっている。

 次に、学習内容の削減があげられる。

 例えば、2002年の小学校の学習指導要領の算数を見ると、3けたの計算は、電卓を使っておこなうように指導がなされている。しかし、3けたの計算などは、普通に社会に出たときに、必要不可欠な計算であって、これを小学校で筆算を使っておこなわないというのは、大変な問題である。実際、中学理科における各種の計算(圧力や飽和水蒸気量、電気など)において、子どもたちの計算能力たるや、おそろしく衰えてしまっている。

(新指導要領の問題点として、円周率を約3とするというのが、有名になったが、これは、円周率をどう教えるのかという問題が本質なのではない。本質は、3けたの計算ができないために、3・14を教えてもムダだということである。したがって、マスコミなどで騒がれた後、文部科学省は、3・14でもよしとする異例の見解を出したが、3けたの計算を小学校算数で教えない以上、まったく意味がない)

 さて、経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査(PISA)の03年実施結果は、子どもたちの学力低下を現しているといえるのか。

 僕は、この結果は、文部科学省の教育政策の過ちの結果としか、思えない。

 政治の責任を子どもたちの学力の問題にするなといいたい。

2004年12月01日

●ソフトウェアの不正コピーは、ユーザーの不利益に

路上での海賊版CD-R販売で逮捕 - 新宿
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━━ MYCOM PC MAIL ━ 2004.11.26 No.1750 ━
新宿区の路上でPCソフトの海賊版CD-Rを販売していたとして、警視庁は無職の男3人を著作権法違反の疑いで逮捕した。路上に設置した露天で海賊版を販売しており、 逮捕時には約500枚のCD-Rを所持していたという。
逮捕された3人は、著作権者の許諾を得ずに複製したものであることを知りながら、 「Adobe Photoshop 7.0 日本語版」の複製CD-Rを1枚7,000円で販売。さらに 「Adobe Photoshop 5.0 日本語版」「同6.0 日本語版アップグレード」「同7.0 日本語版」の複製CD-R1枚と「Adobe Illustrator 10 日本語版」の複製CD-R1枚を合 計1万4,000円で販売するなどした疑い。
警察庁、情報セキュリティ政策大系を4年ぶりに見直し
ソフトウェア著作権侵害の被害は290億ドル、36%が違法コピー
海賊版ソフトを組織的に販売した男性らに実刑判決
海賊版ソフト販売していた高校生を書類送検
ハイテク犯罪、検挙は15%、相談は2.2倍の増加 詐欺での相談2万件に 警察庁
コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)

 20年以上、愛し続けているわが日本橋界隈でも、路上でのパソコンソフト販売が増加して久しい。最近は、これまた不正と思われるDVD販売も増加しているように思われる。 さて、ソフトウェアの不正コピーは、正規ユーザーに、はなはだしい不利益を与える。

 不正コピーによって、本来、メーカーが販売によって受ける利益が減少することにより、正規ユーザーが受けるべき、還元がなくなるからである。いや、還元のみならず、ソフトメーカーが倒産する可能性さえある。これは、大変困る事態である。

 僕は、一太郎ユーザーだ。なぜ、一太郎かというと、縦書き、段組、ルビに強い。Wordでは、表現できないことができる。簡易DTPとして、充分使える機能を持つ。ルビに強いということは、漢字に弱い人への強い見方である。子どもしかり、何らかの理由で、教育が不十分にしか受けられなかった人への文章作りには、ルビ入り文章は、不可欠なのだ。

 こうしたルビ付きDTP作成を、お手軽にできるという意味では、たぶん一太郎以外には、存在しないのではないだろうか。だから、一太郎が無くなっては、非常に困るのだ。ジャストシステムが、倒産すると困る。

 しかし、そのジャストシステムも、いまやWordに押され、息が上がっているように思われる。不正コピーは、そのジャストシステムの背後を突く役割を担う。

 ということで、一太郎やATOK愛用の皆さんは、くれぐれも不正品に手を出さないようにしましょう。でないと、なくなっちゃうかもしれません(O.O;)

2004年11月18日

●3万人もの自殺者

【影に包まれた日本の暗部】フランチェスカ・ランチーニ , Peace Reporter.net(2004/10/13)

 年間に、3万人もの人々が自殺する。これは、ひとつの「戦争」のようなものだ。
 上記リンク先には、白人が見たこの日本の異常な状況の翻訳。
 この異常な現状をしっかりと見据えて、変えていかないといけないと思う。

2004年11月16日

●売春市場の動向、、、

 東京では、売春市場が、値下がりしているという。


長引くデフレで「援助交際」の料金も値崩れが起きている。うまくやれば男の“買 い手市場”。女たちの肉体はどれだけ手ごろな値段になっているのか?
* * * * * *
「援交料金の値崩れは出会い系サイトの影響が大きい」と語るのは風俗ジャーナリス トの村上行夫氏だ。 「出会い系サイトがより一般的になったため、この2、3年で“体を売って稼ごう” という女性が急増。過当競争から値下げ戦争が勃発したのです」
村上氏によれば、5年前に比べて素人売春の値段は3割以上暴落しているという。 たとえば最も供給の多い女子高生と女子大生の相場は2万円から1万5000円に、 OLも3万円から2万円へと大幅にダウン。女性たちの住んでいる地域でも値段に違 いがあるという。
『日刊ゲンダイ』(11月15日)

 記事では、デフレの影響といっているが、デフレは最近進んだものではない。デフレは、本質的な理由ではないだろう。
 モノの値段というのは、需要と供給のバランスで決定されるというのは、中学校でも習う。
 需要と供給で考えるとどうか?
 値下がりが起きるということは、需要=買春が減ったためか?
 これは、最近の児童買春のニュースを見ても、あるいは大阪でも「無料紹介所」なるものが、やたらと増殖しはじめている事実などを見れば、需要が減っていることは、残念ながらないよう。
 じゃあ、供給=売春の増加?
 確かに、上記の風俗ジャーナリストの村上氏は、「出会い系サイト」の一般化による売春する女性の増加を上げている。
 なんというか、、、(¨;) 21世紀初頭、すでに世紀末の様相。寂しい日本の現実ですな。