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2006年12月14日

●Winny地裁判決を考える

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 京都地裁は、Winny開発者の金子氏に対して、著作権侵害のほう助の罪で有罪を言い渡した。
 結論を先にいうと、僕としては、犯罪としては無罪、しかし社会的道義的責任はあると考えている。
 というのは、まず第一に技術に対してはやはり罪に問うことはできないと考える。基本的には、使う者の倫理観・モラルの問題であろう。技術を悪用されたから、その開発者が罰せられるということであれば、開発者を萎縮させてしまうことになる。
 しかし、そのうえで、金子氏は、某巨大掲示板で極めて意図的に、著作権を侵害するための匿名性の高いソフトの開発を宣言し、Winnyを開発している。また、報道での金子氏のインタビューを聞いていても、自分の開発したソフトによって、100億円もの損害を社会に与えている責任に関しては、「自分は技術屋」として、まったく悪びれる様子もなく、優秀な能力は持っているのだろうが、人格的には大きな問題があると感じざるをえない。
 弁護団は、金子氏弁護の論理として、「技術が悪ならダイナマイトを発明した者はどうか」などと、もっともらしいことをテレビで言っていたが、ノーベルは自分の発明によって多くの人々が殺されるという現実に苦しみ、人類の幸福・平和のために、みずからの財産をなげうってノーベル賞を創設している。
 金子氏とノーベルは、優秀な科学者であるということは共通しているかもしれないが、人間的な意味においては、まったく違う。そういう科学者は、原子爆弾の開発を手助けしたアインシュタインにもいえる。アインシュタインは、日本やドイツ、イタリアから世界を守るという意味では原爆の開発は必要であったといっているが、しかし、金子氏のように「技術に罪はない」などというような無責任かつ傲慢な見方をしていない。自分の作り上げたものに、誠実に向き合っている。この点から、金子氏には、しっかりと社会的、道義的責任を感じてもらわないといけないと考える。
 たしかに、有罪判決には違和感を覚えるが、京都地裁・氷室裁判長の
 「社会に生じる弊害を十分知りながら、自己の欲するままウィニーを公開、提供しており、独善的で無責任との非難は免れない」
 という意見にはまったく賛成である。優秀な人間ほど、自分がもたらす社会的影響と責任というものを実感すべきであろう。

◆ウィニー開発者に有罪、「著作権侵害をほう助」・京都地裁
ファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を開発し、ゲームや映画ソフトの違法コピーを容易にしたとして、著作権法違反ほう助の罪に問われた元東大助手、金子勇被告(36)に対し、京都地裁(氷室真裁判長)は13日、罰金150万円(求刑懲役1年)の有罪判決を言い渡した。氷室裁判長は「社会に生じる弊害を十分知りながら、自己の欲するままウィニーを公開、提供しており、独善的で無責任との非難は免れない」と述べた。
2006-12-13 『NIKKEI-goo 日経ニュースメール』

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