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2006年12月12日

●モラルと教育

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 今日、帰りの電車の中で、読書に夢中になっていると、前で坐っている子どもが騒がしい。ふと目を上げると、3人の男の子が座席のうえでじゃれていた。隣に父親らしい男性がおり、携帯をずっと触っていた。
 しばらくすると、車掌さんがきて、その父親に何か声をかけた。窓ガラスには、「携帯電話の電源をお切りください」とある。むかいに座る子連れも僕も、自分の坐っている場所が「優先座席」であると気がついていなかった。
 車掌から注意を受けた父親は、軽く会釈をし、携帯電話を手に包み込んだ。僕は、読んでいた本の続きが気になっていたので、何の意識もなく、本に入っていった。
 しばらくすると、僕の二つ隣に座っていた男性が、ブツブツと、なにやらいい始めた。前をみると、父親が再び、携帯を使っており、子どもたちがのぞきこんでいる
 これはいったいなんだろう。
 この父親は、自分に対する「監視」あるいは「管理」がなくなれば、何をしてもいいと思っているのだろうか。もちろん、人間であるのだから、理性が働かなくなくなることもある。僕などは、しょっちゅうだ。いい年をして、監視されなくなると、注意を受けたことを繰り返すということに、情けなさを感じる。その上で、その隣にいる3人の子どもは、「迷惑行為やマナーなどは、形式的なもので、さほど重要でない」と、父親の姿をみて学ぶだろう
 僕は、基本的な教育とは、大人が自らの姿や行動を見せることであると思っている。ちょっとした信号で、車が通っていないときは信号を無視して渡ることもあるが、目の前や近くに子どもがいたときは、信号が変わるのを待つ。それが、せめてもの僕なりの社会に対するささやかな貢献と考えている。
 見本となる大人が、マナーを守らずに、社会的常識のある子どもが育つとは思えない。

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