« 日本がもし1000人の村だったら(2005年) | メイン | ニシンの缶詰はもう食べられない。。。 »

2006年09月28日

●言葉は聞いて覚えるもの

 安倍内閣の伊吹文明文部科学相が、小学校での英語学習について、「必須化する必要は全くない。まず美しい日本語が書けないのに、外国の言葉をやってもダメ」と言っているよう。
 まったくの正論だと思う。しかし、「書く」ことよりも、「話す」ことの方が重要ではないだろうか。そして、そうした日本語能力の育成という意味では、教育現場の問題というより、自分も含め、周りの大人の話す日本語が一番大切であると考える。言葉は、学校で学ぶのではなく、社会の中で自然に習得していくものだからだ。
 最近、テレビのアナウンサーの話す日本語のおかしさや政治家の話す日本語のおかしさには、耳を疑うばかりである。社会的に影響のある人は、とりわけテレビに露出する人は、注意すべきだろう。
 だいたい、小泉前首相が、「美しい日本語」を話しているところなど、思い出すことができない。記憶にあるのは、みずからの語彙力のなさを証明するかのようなワンフレーズのみ。
 この「伝統」は、安倍首相も引き継ぎ、「美しい」という形容詞を連呼してみたり、最近では就任会見において、 「しっかりと」という形容詞を32回、「思います」という曖昧な表現を35回も繰り返したらしい。
こうした「分かりやすい」表現が、国民受けしているらしいが、わかりやすく人の感情に訴える演説というのは極めて危険である。ヒトラーの演説がいい例だろう。逆に、名演説として歴史に残るのは、じっくりと耳を傾けたくなり、あとでじんわりと心に響いてくるようなものではないか。たとえば、ドイツ首相のヴァイツゼッカー演説とか、チャップリンが映画『独裁者』の中で披露した演説などは、何度聞いても、あるいは何度読んでもすばらしいなあと思う。
 まずは、国の最高指導者が、「美しい日本語」のお手本をみせてくれないと話にならない。ねえ、伊吹文科相(^_^;)

トラックバックURL

| この記事へのリンク

このエントリーのトラックバックURL:
http://redpepper.x0.com/mt-tb.cgi/322

コメントする

(TypeKey IDがなくてもコメントできます。しかし、初めてのコメントの時は、コメントが表示されるために承認が必要です。承認されるまでコメントは表示されませんので、もうしわけありませんが、しばらくお待ちください)