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2004年03月02日

●オウム真理教・松本(麻原)死刑判決に思う

 オウム真理教の教祖・松本(麻原)が、死刑判決を受けた。死刑制度の賛否は、ともかく、僕も含めて、多くの「予想どおり」の結果だろう。
 しかし、僕には、こんな「死刑判決」で終らせてイイのかという疑問が残る。多くの被害者や遺族の方がたは、こんな「死刑判決」で納得できるのだろうか。僕が、当事者であれば、キット納得できないし、新たな怒りが込み上げてくるだろう。
 オウム真理教が、公然と布教活動を行ない、パソコンショップや飲食店などを経営していた頃から、教祖・松本は、たいした思想家だとも宗教者だとも思わなかった。むしろ、人のイイオヤジという感じだった。
 しかし、その教祖の下には、多くの「優秀」な人びとが集まった。「優れた」学者や医者、弁護士などである。そして、彼らの「英智」を集め毒ガス兵器工場を作ったのである。
 さて、さしたる思想もない「宗教者」が、現世の司法やその決定に、何の反応も見せずに、むしろ平然と「超越した」態度を見せ続ける。その中で、死刑が行なわれるというのは、いかがなものだろう。ある種、現世を「超越」したかのような被告・松本を死刑にすると、「受難の教祖」になってしまうのではないだろうか? 「神格化」されるのではないだろうか?
 「弟子」とされる人びとの証言でも、被告・松本が、バレれば死刑だろうと言ったとされているし、まぁ、誰もが思いことだろう。同じ死刑になるのであれば、「教祖」「神」のままで、死刑にされるという考えが、被告・松本にないだろうか?
 初めにも断ったが、死刑の是非を言ってるのではない。被害者やその家族の心情や、オウム真理教という集団の今後を考えた時、教祖・松本をムリヤリ現世の法で、一方的に裁くのではなく、法廷において神のベールを引っぺがして、人間・松本にする必要があるのではないだろうか。人間・松本を裁き、自分のこれまでの行ないを見つめさせ、深い反省の淵に追いやることなしに、殺された人は報われないし、オウム真理教がなくなることはないように思う。

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コメント

GK68 さん、
私も裏Blogに「極刑よりも……」という記事を書きました。
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/takayan_1925_3219/53
でも、どうしたらこの人が「自分のやったことを反省し、償う」気持ちになれるのか、特にアイディアがありません。
ただ、少なくともそうさせるためには、「死刑」へと導くことは有効な手段ではない、と私は思います。
公判に対するこの人の態度を見る限り、自分が死刑になってこの事件の記憶が人々から「ポア」されればいい、という「恐ろしい」考えを巡らせているのではないか、と思えてならないので。

私は「オーム・プロブレム」でスッキリしないのは、
1番目が、「国松長官狙撃事件」未だ真犯人が見つからない。なぜ命中率の低いコルトを使ったのか。ホローポイント弾丸の線条痕(警察発表)からコルトらしい。
2番、「なぜ地下鉄サリン事件の時、約9時頃のテレビの字幕が『サリン』だったのか」最初の死亡者から血液検査で判明したとのことだが、時間的に決定するのが早かった。(第何審かでの弁護団の追求より)
3番目、「村井を刺殺した犯人の身元、及び動機などの解明」結局うやむや。
4番目、「上祐はなぜ早く釈放されたのか」
5番目、「どのようなルートでロシア製ヘリコプターを購入、国内に運んだのか」
6番目、「いつも映される地下鉄サリン事件の時のカメラマンはどこの局の者か。またどうして一テレビカメラマンがあのような状況の中で取材できたのか」
7番目、単純な「どうして麻原(松本千津夫)は、拘置所で数年間ひげは剃らないでいいのだろうか。聞く所によると風呂は週に2回程度だから清潔のためにも身なりは清潔にしなければならないとか」
8番目、「まだ結審していないので、いわゆる『推定無罪』なのに、もうテレビ番組で彼らの犯罪を脚本し放送していいのだろうか」
9番目、「アレフはオームの変体だとはっきりしているのにまだ宗教法人なのか」
まだいろいろありますが、…     by KOWAGARI

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