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2004年02月12日

●日本の交差点文化

 エドワード・ホールというアメリカの人類学者が、日本人の思考方法を書いているのを読んだ。なかなか面白い。
 曰く、日本人というのは、ある目的まで行くのに「点」をつないで行くというのだ。交差点に名前を付け、その点を追って目的地に行く。
 ところが、西欧では、道に名前を付け、その「線」をつないで目的地までたどり着くという。
 第2次大戦後、占領軍が日本を支配した時、道に名前が無いので、目的地まで行くのに困ったらしい。そこで、占領軍は、主要な道路に、名前を付けたそうなのだが、占領終了後、新政府は、その道路の名前を早々と取ったらしい。
 筆者は、日本人は、結論までたどり着くための道筋をあまり重要に考えてないという。むしろ、ある結論をいうために、まわりクドイ言い方をする。イライラしたければ、古いタイプの日本人と話しをすればイイという言葉もあるらしい(^_^;) ちなみに、筆者は、日本人を批判しているワケではない。むしろ、欧米人とは異なる文化を持つということを尊重すべきというコンテクストの中で述べられている。
 さて、ブログを立ち上げて、僕のエントリに対するコメントを読んでいると、なるほどと思えることがある。
 例えば、「高校生の署名の請願書を小泉首相が読まなかったことは、非常識で恥ずかしい」というエントリに対して、いきなり何の説明もなく、「左翼的思考→汚染」という。まず、僕のエントリの内容から、どうしてそんな感想が出てきたのか。また、請願書のどの箇所をどのように読んで、「左翼的思考」だと思ったのかという「道」がまったくないのだ。あるのは、「左翼的思考」という「点」だけ。そして、そこから、いきなり「汚染」という「点」まで結論が跳ぶのである。さっぱり、ワケが分らない。
 これが、欧米の人が、イライラする古いタイプの日本人の思考ということなのだろう。
 さて、ここに紹介した論文は、この項の最後を次のように締めくくっている。
 道路の名前を取り去った後、日本人は、道路に名前があることの便利さに気付いて、再び名前を付けた。日本人の優秀なのは、イイと思えば、すぐに自分たちのやり方を変えて、取り入れることであると。

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コメント

こんにちは!Tamagoです。
今日は特別休暇で子守りしています。
道路繋がりのコメントなんですが、
私は仕事でdetroitに行くことがたまにあるんですけど
非常に関心するのは、信号がなくても渋滞しないんですよね、
あちらは。
Three way stopとかFour way stopの標識が
なくても、その時々の状況で皆が協力する辺りは
今の日本人には欠けている気がします。

昨年の4月に100万世帯の停電があった時も
絶対に交互に一台づつ交差点に入るんですよ。
(まれに急ぐ人もいますが本当に稀です)
日本だったら即渋滞でクラクションの嵐でしょうね(^^)
良いことは、学んでほしいなぁとつくづく思います。
もちろん、日本人の良いところもたくさんあるけど
昔よりは減ってるんじゃないかな?

あとミシガンはミシガンターンの交通ルールがとても
合理的で関心しています。(あれは日本の国土じゃ無理ですけど)

 Tamagoさん、どうも(^_^)/
 実は、僕が紹介したエドワード・ホール氏の引用の後に、アラブ人と欧米人の文化の違いが続くんですよ。
 欧米人は、自分が止まっている時に、自分の周りにテリトリーが発生するらしいです。したがって、動いているときには、テリトリーは発生しないんですって。
 ところが、アラブ人は、止まっているものに対するテリトリーには、関心がなく、自分がこれから向かう先に対するテリトリー意識が強いとあるんです。
 具体的には、欧米人は、座っていたりして、そのそばに見知らぬ人が近寄って来ることに不愉快さを感じ、自分がよけることはしない。しかし、自動車に乗っている場合には、相手がよってくるとよける。
 逆に、アラブ人は、止まっている人に近づく(逆もしかり)のは、何の違和感もないが、自分が自動車で走っていて、前に車が来たりすると、とても不愉快に感じるらしいのです。
 たぶん、日本人の感覚も、欧米人よりもアラブ人の感覚の方が強いのだと思います。
 まあ、理屈はさておき(^◇^;)、いろんな文化があるなあと思うこの頃です。

エドワード・ホールの本というのは、これでしょうか?

http://webcatplus.nii.ac.jp/tosho.cgi?mode=tosho&NCID=BN08793738

お手数ですが、本や論文を紹介される場合は、出版社名と本のタイトルなどを挙げていただけると、興味を持った場合に直にその本にたどり着けるのでありがたいです(「道の名前」が欲しいというか…)。

女子高生の請願書は、当人の意志や左系の汚染度(?)はともかく、左寄りの人の反・小泉的な主張に利用されてるかなって感じでした。まぁこの話は長くなりそうなんで、私のサイトのこんなところなど。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20040210#p1

 コメントありがとうございます。
 ところで、ご質問のエドワード・ホールの論文ですが、『世界の偏見と差別 152のアンソロジー』(明石書店)という本の中にある「比較文化的状況における接近学 日本とアラブ世界」というものです。多分、他で発表されたものからの引用だと思いますが、それ以上は分りません。
 また、
「お手数ですが、本や論文を紹介される場合は、出版社名と本のタイトルなどを挙げていただけると、興味を持った場合に直にその本にたどり着けるのでありがたいです」
 ということですが、お気持ちとしてはよく分ります。僕も、他の人が作られたサイトを見ていて、「あっ、これ、もっと知りたい」と思うことがあります。
 しかし、僕のサイトは、見てのとおりの極めて個人的な感想を書きつらねているだけのものであって、学術論文ではないので、基本的に、詳しい引用や紹介などはしないつもりです。
 単に僕の言いたいことを言っているだけのものですから。件のエドワード・ホールに関しても、彼がどういう研究をしていて、学会において、どういう評価がなされているかなど、全く知りません。また、彼を紹介するつもりも、批判するつもりもありません。あくまで、タマタマ、彼の書いたものが紹介されていて、それを切り口に、自分が思ったことをアリのママに書いたまでです。
 とはいっても質問されれば、できうる限り、答えるつもりです。また、僕の考えに対する疑問や批判、誤りに対する御教授には、ちゃんと、真摯に答えていきたいと思ってます。

どーもどーも。この記事すごく興味深く読ませていただきました。点と線ですかぁ。ディスカッションの文化とかにも関係あるのかもしれないですね。
よく見たら「気になるブログ」に入れてくださってて大変光栄です。ありがとうございます。

cozyさん、どうもです(^o^)

僕の恩師が、「外国人が書いた日本史は勉強になるよ」と、教えてくれたことがあるのですが、他文化の人が、自文化のことを書いたものも、異なる視点があって、面白いですね。

突然ですが、こちらの記事にTBさせていただきました。ご挨拶まで

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