2008年02月04日

●橋下徹・大阪府知事(確定) 就任前から公約撤回

%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%85%AC%E7%B4%84%E6%92%A4%E5%9B%9E0131.jpg

 大阪府知事に当選した橋下知事(確約)が、2月6日の就任を前にして、「府債発行は認めない」という公約を撤回した。さすが、知事立候補など20000%ない、つまり完全にない=100%の200倍!!!も“ありえない”といってた人間が、その舌の根も乾かぬうちに、立候補を表明した人物だけのことはある。
 府の借金は増やさない、大阪を明るくするなどと言う甘い言葉で府民をだまし、当選した橋下は、就任する前に、公約である「府債発行しない」ということを反古にしてしまったのだから、ご都合主義にもほどがある。さすが、タイタン所属の面白くない芸人だけのことはある。まあ、責任は、当の橋下にあるのではなく、当選させてしまった大阪府の有権者にあるのだが、それにしても、自らの知名度を利用して、府民を欺いた橋下の人格を疑ってならない。
 この就任前の公約撤回について、当の本人は、「ボクの知識不足だった」と芸猿のような“反省”の弁を述べているが、橋下くんの勉強不足で公約が簡単に踏みにじられて良いものだろうか。そんな簡単に公約撤回できるのであれば、言ったもの勝ち、有名人勝ちである。対立候補の熊谷氏は、公約に府民の所得を年50万円アップをうたったが、もし(歴史に“もし”などないが(笑)熊谷氏が当選し、就任前に「府民の所得を年50万円アップというのは、自分の勉強不足だ」と言ったら、どうなるだろう。非難囂々の騒ぎとなるだろう。こういうことを平気でできる橋下は、やはり厚顔無恥と言わざる得ない。
 まあ、橋下自身、若いので過ちも犯すと開き直っているようであるが、こうした開き直りは大阪府民883万人を裏切る行為ではないのだろうか。
 いずれにせよ、当選させてしまったのは、府民の責任であるが、こうした軽薄で非人道的な橋下府政など、とっとと退陣させてしまった方が良いだろう。いや、何もせずに退陣する前に、芸能活動で年間3億円ほど稼ぎ、しかも知事になっても、芸能活動はやめないそうであるから、府民の笑顔のために、府に何十億か寄付してから、退陣すればどうだろう。きっと、男が上がること間違いなし。

▼橋下徹・大阪府知事(確定) 就任前から公約撤回
▼橋下徹は、国家権力の犬か
▼橋下徹・大阪府知事には、なにもしないことを望む
▼橋下徹氏は弁護士にふさわしいか

2008年02月02日

●橋下徹は、国家権力の犬か

 2月1日(金)の朝刊(『毎日新聞』)を見て驚いた。1面に「国政に異議言うべきではない 岩国市長選 応援で橋下氏」とあったからである。
 アメリカの空母艦載機部隊の移転をめぐり、06年に住民投票と市長選で反対派市長が当選。国は、報復として補助金を打ち切り。現反対派市長があらためて民意を問うとして辞職した。その市長選で、賛成派自民党の候補の応援に関わった橋下の発言である。
 橋下の意見としては、「国防における防衛政策に関して、自治体が法律上の手続きを使って異議をさしはさむべきではない」ということだそうだ。
 まあ、彼の奴隷根性はどうでもよい。彼の思想からして容易に想像できることである。問題は、「国の防衛政策に、地方は逆らうな」と、知事の立場から住民に押しつけている点にある。沖縄をはじめとして、米兵を受け入れる自治体において、米兵の不法・無法行為に苦しめられている現実を無視するつもりだろうか。米兵がおこす様々な犯罪について苦しめられているのは、日本だけではない。隣の韓国においても同じであるし、米軍が駐留しているすべての国で、住民が犠牲になっている。。
 住民が、地元において、安全で平和な暮らしを望むのは当然のことである。これは、国の国防政策においても同じことである。岩国市民の多数が移転に反対であれば、国はその住民の意思を最大限、尊重すべきである。
 さらに、橋下は言う。
 「(移転が)国政の現場で決定され負担を被る以上、利益や便益を国に主張すべきだ」 
 これを奴隷といわずして何というのか。国政の現場で決定されたことには従え。しかし、負担を強いられる分、お金をせびればよいというのであるから、許し難い。
 安全や安心、平和な暮らしというのは、金に換えられるものではない。米兵に強姦された女性や殺害された一般人など、世界中にたくさんいるが、いくらお金を積まれても、満足できるものにはならない。当然である。移転を受け入れ、国から何らかの利益や便益を得て、立派な集会場や施設などができても、まったく意味はない。住民にとって大切なことは、安心で安全な暮らしなのだ。

続きを読む "橋下徹は、国家権力の犬か"
2008年02月01日

●中国製“農薬ぎょうざ”事件について思う

 中国でつくられたギョウザを食べ、中毒で人が倒れるという、あってはならない事件が起きた。被害を受けた人は、一口食べて「苦い」と感じ、その後に嘔吐、気絶したというのだから、かなりの高濃度で含まれていたのだろう。
 さて、この“農薬ぎょうざ事件”問題の本質は、どこにあるのか。僕は、「中国製が問題である」というのは、本質を見誤る論点の立て方であると思う。重要なことは、日本における食料自給率の低さと長期にわたる不況および、そこからくる生活難が問題であると考える。

続きを読む "中国製“農薬ぎょうざ”事件について思う"
2008年01月30日

●橋下徹・大阪府知事には、なにもしないことを望む

 この日の夜は、本当に鬱々として眠りにくかった。なんといっても、僕が愛してやまない大阪の知事に、かの橋下徹氏が2位に大差をつけて当選したからである。
 ネットで検索するまでもなく、橋下徹はテレビでおよそ弁護士とは思えないほど、軽薄で無責任、無内容に過激で、下品な言葉をさんざん吐いてきた男である。その無責任さ、軽薄さは、立候補をめぐって、出馬するといってみたり、出馬は2万パーセントないと言ったその数十時間後には出馬を表明するという1点をみても、いかに信用のできない人物かが容易に想像できる。
 当然のことながら、大阪府知事とは、大阪府民の生活を自らのリーダーシップによって守っていく人間である。政治は、結果が重要であり2年後あるいは3年後に「結果をだしてくれる」という期待ができるからこそ、当選もできる。しかし、橋下徹の言動に信頼ができないかぎり、その政策(といっても、府知事としての政策らしきものは皆無に近いが)には全く期待できない。そればかりか、核武装の支持者であり、子どもを産むための道具としてしか思っていない女性観、彼の思想性を表す下品な言動からすると、“期待”というより、橋下知事誕生は“悪夢”でしかない。

続きを読む "橋下徹・大阪府知事には、なにもしないことを望む"
2007年11月17日

●危機管理能力のない経営者~~船場吉兆

kityou.jpg
 今、新聞やニュースでは、船場吉兆の話題が毎日取りざたされている。その前は、伊勢の赤福だった。もっと前は、ミートホープの偽装……。
 こうした報道を見るたびに、経営側はなぜもっと潔く責任を認め、改善に切り替えないのかという疑問しかわかない。経営者にとっては、もちろん適切な利益を上げるということも重要であるが、やはり問題が起こったときに、きっちりと説明し、問題があれば改善するということも重要な責任ではないのだろうか。
 ミートホープにしても、赤福にしても、そして船場吉兆にしても、問題発覚時に適当なウソをつきごまかし、矛盾をつかれると、また、ウソで塗り固める。そして、その間に問題がドンドン大きく、深刻化してしまうという悪循環に入ってしまっている。これでは、再建できる問題も、再建不可能にまで陥ってしまうことは明白である。
 もちろん、再建不可能になって、倒産したとして、経営者は良い。自分たちの責任を、自分でとるのだから。しかし、従業員はどうか? 責任をとる能力のない経営者の失敗につきあわされ、解雇や賃金を下げられては、どうしようもない。
 船場吉兆は、あろうことか、現場でもっともよく働いている、いわば会社の利益の源となっているとパート労働者に、「自分で賞味期限のシールを貼り替えた」という偽装の念書を書かせたという。とんでもない話だ。
 企業にとって、パート労働者というのは、やすく使える“都合のいい”働き手である。正社員とは、給与体系違えば、責任の度合いも全く違う。そのパート労働者に責任をなすりつけるなど、まったくもって許し難い。
 そもそも、経営陣が言うように、仮に“パート労働者がかってにおこなった”行為としても、現場の社員が責任をとるべきだろう。それが、社員の役割ではないのか。さらに、現場の社員すら責任をとれないようなものであれば、会社役員が責任をとる。当然のことである。そうした責任感の全くない、我が身の保身ばかりを考える船場吉兆の経営陣は、恥を知るべきである。さらに、恥ずかしいことに、責任逃れは、パート労働者に押しつけるだけでなく、取引先などにも責任を押しつけている。地鶏と銘打って売っていたものが実はブロイラーであった点に関し、社長は業者にだまされたというような発言をしている。しかし、この業者は、ブロイラー専門の業者であったそうである。では、老舗中の老舗である船場吉兆は、ブロイラー専門業者に“地鶏”を注文したのだろうか。ほんとうに恥ずかしい。
 さて、ミートホープにせよ、赤福にせよ、船場吉兆にせよ、なぜこんなに無責任が横行するのであろうか。
 ウソをついてごまかしても、そのウソをまたウソでごまかさないといけない事態が早晩やってくることは、明白であるし、そもそもウソというのは、どこまでいってもウソであって、真実になることはない。そんなことは、小学生高学年から中学生くらいになってくると、自然と分かってくるものである。はじめは、通用していたウソが次第に大きくなり重くなり、やがては自分のみを守るためのウソが自分の重荷になってくるということを。
 経営者は、少なからず社員やパートを抱え、その人たちの生活を支える給与を支払っているのだから、きっちりと責任をとってもらわないと困る。問題が発覚すれば、即、自汁関係を調査し、明らかにし、改善から再建へと動くべきである。

2007年11月05日

●[YouTube]飼い主をおこそうとするネコ

2007年11月03日

●ミャンマーの軍政にパンティーを

pan.jpg
 『朝日新聞』(11月2日付)の投稿欄に神戸で画廊を営む44歳の方の投稿があった。なんでも、ミャンマーには男が女性の下着にふれると力をそがれるという迷信があり、ミャンマーの民主化運動が、ミャンマーの民主化のために協力を訴えているという。ミャンマーの民主化を願う人々が自国にあるミャンマー大使館にパンティーを送れば、ミャンマー政府の一部である大使館の力はそがれるということなのだろう。
 真に平和を求める人たちが実践すれば、きっとミャンマーの民主化に寄与することは間違いないだろう。
 ものがなんであれ、世界中の人々が自国のミャンマー大使館に“あるもの”を送りつけるという行動は、ミャンマー政府にとっては恐ろしい圧力となることは間違いないだろう。しかも、その“あるもの”がパンティーであるという点も、“非暴力”平和主義運動の一環として極めて面白いと思う。
 世界中のミャンマー大使館に、色とりどりのパンティーが送りつけられ、大使館員がそれをいちいち開封し、大使に「今日は、何枚おくられてきました」なんて報告するのだろうかと、いろいろ想像すると思わずにやけてしまそうだ。

※参考ブログ記事「ミャンマー(ビルマ)軍事政権にパンティを贈ろう! Panty Power Campaign(パンティパワー・キャンペーン)」

2007年11月02日

●好きなものを食べられるのは幸せなこと

 『毎日新聞』(10月31日付)の投稿「大食いのテレビ見て飢餓を思う」を読んで思う。
 投稿者は、82歳の女性である。彼女は、こういう。

 あられもなく大きな口を開けて、さも得意げに大量の高級食品をパクパクと食べているお嬢さん。いったいどのような学校・家庭教育を受けたのか考えさせられます。
 同じ年頃のころ、私たちはちょうど戦中、戦後で極めて厳しい日々を過ごしました。今、地球上では飢えている可哀そうな子供たちも大勢います。大食いの光景をテレビで見ると気分が悪くなります。

 この表現からすると、非難されているのは、ほぼ間違いなくギャル曽根こと曽根菜津子さんであろう。
 さて、以前、僕も曽根さんの大食いについては、ブログで書いた
 そもそも、僕は、この投稿者と同じような考えを持っていたし、今も持っている。母親からそう教わったからだ。お茶碗に、ご飯が一粒でもついていようものなら、「残さず食べなさい」と怒られた。「一粒の米には、8人の神さんがいる」とか「お百姓さんが一生懸命につくったものだから」「もったいない」といわれた。そのおかげで、今でも出されたものは、残さずに食べるくせがついている。カウンターしかないような赤提灯で、魚の煮物などを食べると、女将さんが皿を下げるときに「まあ、猫もびっくりやね」とうれしげにいわれることもあるくらい、残すのは嫌いである。
 したがって、曽根さんの名前は、ずいぶん前から聞いてはいたが、彼女がでている番組など、見ようとも思わなかったし見なかった。が、以前の記事にも書いたように、一度見てすっかりとファンになってしまった。
 その理由は、繰り返しになるが、その食べっぷりにある。
 かつての僕と、この投稿者は、大きな勘違いををしていると思うのだ。つまり、世界には飢えて死ぬ子どもも多い。そして、国内においても、餓死者は増加の一途をたどっている。しかし、問題は、大食いにあるのではけっしてない。問題は、あまりにも多くのものが捨てられているという点にある。
 さらに、曽根さんの食べっぷりに魅せられるファンが多いことは、彼女のブログを見ても分かるが、なぜ、人は彼女の食べっぷりに魅せられるのか。それは、食べるという行為が人の本能であり、本当に幸せそうに食べる彼女を見て、自分も擬似的に幸福感を味わっているのだと思うのである。
 投稿者は、自分の若い頃は食べられずに……という。僕の母親も、戦中・戦後は本当に食べ物には苦労したといっていた。だから、僕たち子供には、本当においしいものを食べさせてくれたし、しかし残すことは許さなかった。好きなものを腹一杯に食べることができる幸せは代え難いものである。
 僕は、曽根さんの食べっぷりを見ていて思うのは、食べることのできる幸せを彼女が本当に体現できている点にあると思うのである。食べることができない人がいるから大食いがいけないのではなく、むしろ食べることができない人がいるから、食べることのできる彼女は人を魅了するのではないかと思うのである。
 一度、投稿者を含め、曽根さんの食べっぷりに違和感を覚える人は、若い人がよく行くような居酒屋などに行ってみるといい。どれほど多くの若い人たちが、たくさんの食べ物を残しているか。僕の母や投稿者が若い頃に比べると、日本は確かに豊かになっている。だからこそ、多くの若い人たちは、外食に出かけては、食べたいものをたくさん注文しては、食べきれずにたくさん残しているのである。この現実こそ、問題にすべきではないだろうか。
 僕も、妻も食べることは大好きなので、よく外食に出かけるが、そのたびに大量の食べ残しが下げられていくのを見て、「もったいないなあ」と愚痴をこぼす。それこそ、「食べられない人がいるのに」なのだ。
 外食だけではない。コンビニなどで賞味期限を過ぎたおにぎりやお弁当がどれだけ廃棄されているか。大阪の日雇い労働者の街・釜が崎にいけば、賞味期限切れと思われるコンビニの弁当が、路頭で150円やら200円で売られている。十分に食べられるのに、捨てられている。これが現実の社会である。テレビで映し出されている世界など、いわば「架空」のものであり、問題は現実に廃棄され、処分されている食品の多さ、そしてそうしたものを生み出す、僕たち、この投稿者も含め、消費者にある
 かつての僕がそうであったように、曽根さんを非難する人の気持ちはよく分かる。しかし、問題は、たくさん食べるということにあるのではなく、たくさん捨てるということにあるのではないだろうか。そして、前向きに考えると、自分の好きな食べ物を好きなだけ食べられるというのは、本当はとても幸せなことなのだと思うのである。

2007年11月01日

●耳の不自由な人間は落語を聞いちゃいけないのか?

 落語とは、なんとすごい芸なんだろうかと、昨今の落語ブームの中で、よく考える。
 着物を着たひとりの人が、小さい机の前で正座し、話をするだけなのに、それが人間の喜びやおかしさ、悲しさなどを表現し、聞き手の中で大きくふくらませるのだから、本当におどろくべき芸である。
 たしかに、ほとんど動きもなく、派手さもない落語は、テレビの普及の中で一時漫才やコントにその活躍の場を失われつつあった。とくに大阪では、東京と違い、落語にふれる場というのは、急速に奪われていったと思う。しかし、大阪でも、ドラマ『タイガーアンドドラゴン』のヒットや天満宮の繁盛亭の落成によって確実に落語が大きな娯楽へと成長しつつある。
yumenosukexxx.jpg
 そうした落語復権のなか、三笑亭夢之助という落語家が、島根県安来市主催の敬老会での独演会で、自分の落語を手話通訳している人に対し、
「落語は話し言葉でするもので、手話に変えられるものではない」
「この会場は聞こえる方が大半ですよね。手話の方がおられると気が散りますし、皆さんも散りますよね」

 といい、手話通訳者を舞台からおろしたというのだから、とんでもない差別事象である。
 まず、第一に落語は話し言葉なので手話に変えられないとは、なんという傲慢さであろうか。たとえば、自分が年をとって、あるいは病気などで耳が不自由になったときのことを想像してみるといい。知りたいと思っている人間に対し、「いや、これは話し言葉だから良いのであって、手話で表現できない。だからあなたにはムリなのだ」といわれたら、どうだろうか。暗澹たる気持ちになる。
 さらに、大半の人間は耳が聞こえるから手話は必要ないという表現もひどい。ひどすぎる。自分は、耳も聞こえる“多数者”であるからこういう人を傷つける発言ができるのであろう。“少数者”は排除していいのだろうか。こういう“多数者”意識というのは、どうすれば持つことができるのだろうか。きわめて疑問に感じる。しかも、この場は敬老会であり、耳の不自由な人も多いはずであり、いろいろな意味で人生の先輩に対して、配慮すべき場であるはずなのだ。
 また、最悪なのは、こうした自分の差別意識を落語を楽しみにきた客に押しつけ、同意を求めている点である。差別の煽動である。絶対に許すことができない。
 芸人とは、人を楽しませるために仕事をしているのではないのだろうか。それなのに、耳の聞こえない人を排除し、それを客に押しつけ、いやな思いをさせるとは、すでに芸人ではない。当然のことであるが、「手話通訳がつくので夢之助さんの落語を楽しめると期待していたのに」という耳の不自由な人もいたという。『毎日新聞』(10月31日付)
 この夢之助という人は、落語をどう考えているのだろうか。耳の不自由な人には必要のない、“健常者”だけが楽しめばよい娯楽だとおもっているのだろうか。あるいは、手話通訳者がいるだけで、落語がやりにくいほど夢之助という落語家は噺が下手なのか。手話通訳を通じて、自分の噺が面白いと感じる耳の不自由な人をファンにさせようという気持ちはまったくなかったのか。
 いずれにせよ、こんな人は、芸人であると僕は、絶対に認めたくはない。
 なお、昨年、この安来市主催の敬老会には、宮川大助・花子さんを招き、漫才を披露したそうである。そのとき、花子さんは手話通訳者に「ありがとう」といったそうである。宮川花子さんがどういう意味で手話通訳者に感謝の意をのべたのかは分からないが、僕がもし芸人だったとすると、やはり“自分の芸を耳の不自由な人にも分かるように伝えてくれてありがとう”と思うだろう。

 ※なお、「くまさんの自立」さんのブログで、三笑亭夢之助という人物の品性が語られている。

2007年10月30日

●[YouTube]食欲をなくす“Body Parts Bread”

 タイのパン屋さんらしいのだが、かなりグロテスクなパンを売っている。これは、食欲がわくどころか、かなり怖い。。。

2007年10月26日

●これは一種のセクハラでは?


 昔から、よく思っていたのだが、電車の中でスポーツ新聞のポルノ記事やセックス記事を広げて読むのは、恥ずかしいことではないだろうか。
 ポルノが悪いと言っているんではない。人前で読んだり、見たりするものではなく、1人でコッソリ見るというのが、“正しい”見方なんじゃないかと思うのだ。
 さらに、見たくもないのに「○○、レイプ」などという見出しを見せられるのは、不愉快きわまりない。
 世間の女性は、どう感じているのだろうか。あるいは、スポーツ紙のセックス記事を読むオヤジを、自分の子どもが見ることは不快ではないだろうか。
 さらに、学校教育において、正しい性知識を学ばせる性教育にたいして過剰に反応する部類の人たちは、公共の場で広げられているセックス記事やポルノ記事や写真など“有害な”ものにはほとんど反応していないように見えるが、これも理解できない。
 まあ、性教育に過剰反応する部類の人たちは、日教組や全教が諸悪の根源のように考える方が多いように見受けられるが、日教組や全教にそんな強力な影響などあるはずもなく、公共にポルノをばらまいているのは、フジサンケイグループが発行する「夕刊フジ」や「サンスポ」だったりするから、不思議なものだ。
 ちなみに、中学生の頃、親に隠れて買うスポーツ紙は必ず「サンスポ」だったσ(^-^;) スポーツ記事しか載せない「日刊スポーツ」などは、決して買わなかった。。。

2007年10月21日

●1600円の過払い返還

■納税の確認について

 この間、会社の経理課から電話があった。なんでも、H17年度の年末調整において、連れあいの収入の申告額に過ちがあったので、年末調整で過払い分を納めよというものであった。
 聞くところによると、年収にして10万円ほど、“過小申告”しており、過払い分1600円を税務署に納めよということである。原因は、たぶん妻がパートでつとめる会社が交通費を含め、僕が交通費を抜いて申告したのが、月額にしておよそ9000円ほどの差を生んだのだろう。いずれにせよ、確認はしていないし、給与明細なども処分しているので、税務署の調査が正しければ、僕は“脱税”していたことになるので、来月分の僕の給与から天引きで税務署へ1600円を支払うよう、経理課に頼んでおいた。
 さて、それにしてもなんとも解せない点がある。それは、1600円を納めよといわれたことではない。僕の行った申告が誤っていたならば、訂正されるのは当然である。解せないのは感情的なものである。
 夫婦2人で働いて、裕福ではないが、とりあえず暮らしていける生活をしている世帯の年収10万円の誤差を見つけ出し、1600円の過払い分を戻せという事務処理は何なのかという感情的な疑問なのだ。
 僕は、以前から書いているように、つい2年前にフリーター生活から足を洗い、正社員になったのだが、入社してわずか2年で満足な給与がもらえるはずもない。たぶん、同年代の公務員は、僕の年収の2倍以上はもらっているのではないだろうか。そう考えると、その税務署員は時給にして3000円くらいの報酬は取っていることになる。僕の申告の誤りを1時間かけて発見したとするならば、彼は3000円の報酬を取って、1600円分の仕事をしたことになり、コストを考えると最低でも1400円の“税金のムダづかい”をしているのではないかと思うのである。
 何度も、繰り返すが、誤りは正さないといけない。脱税はいけない。が、1600円の年末調整の払いすぎに対して、3000円以上コストをかけて、取り戻すというのは、いったいいかがなものなのだろうか。疑問に思えてならない。
 話は変わるが、この間、NHKの『クローズアップ現代』をみた。「船出はしたけれど
~郵政新会社の課題~」という特集で、郵政民営化における新たな問題点がテーマである。正確に言えば、郵政会社が上場するにあたって、上場基準を満たさないといけないわけだが、監査法人が入ると一般企業ではありえない問題点が出てきているというのである。
 全国に散らばる郵貯のATMの保守・管理を、郵政OBのいわゆるファミリー企業が牛耳っているというのだ。その取引額は、年間50億円。大変な額である。しかも、ひどいことに、この会社には、従業員がほとんどおらず、実際の業務はすべて丸投げで他の会社がやっているという。
 つまり、このATMの保守・管理を行うという郵政OBの企業は、郵政から受けた仕事をそのまま別会社に振るだけで巨額の利益を得ているのだ。この利益の源泉は、税金であり、郵貯利用者が本来受けるべき利潤である。それを、このOB企業は、何もせず巨額な売り上げを上げるのである。
 また、全国の特定郵便局の家賃が近隣同種の物件に比べ、平均にして30%ほど高いということも上げられていた。このこともまったく不可解きわまりない。特定郵便局長会の会長だったかがでて、家賃が高いのは郵便局舎の窓やフェンスは特注のものであって、コストが高くつくからだ、と説明していたが、説明になっていない。特注であるので建設費が30%高くなるというのなら分かるが、なぜ家賃が3割も高くなるのか。月づきの家賃が3割も高くなるほど、局舎の管理・維持費に金がかかるというのだろうか。
 いずれにせよ、一般企業ではありえない高コスト状況、無駄遣いが行われているのは事実であり、それは本来ならば、国民や郵貯利用者が得なければならない利益であることはまちがいない。
 さて、月9000円ほどの申告漏れにたいする調査がおこなわれ、その一方では郵政ファミリー企業への数十億円という利益供与や特定郵便局への破格の優遇がおこなわれている現実を見ると、ますます1600円の過払い分を支払えと言う“正当な”要求が疑問に思えてならない。

2007年10月10日

●“偏向ブログ”か(笑


 何気なく、Googleで、「偏向ブログ」と検索してみたら、2位に僕の記事が!

2007年10月01日

●[YouTube]大がかりなアニメーション

 すごい大がかりなアニメーション。廃屋を利用しているのだろうか。とても面白い。